六十五、推しとお祭り 2







「お部屋はこちらになります。すぐにお食事になさいますか?」


「いや、先に湯を使いたい」


「畏まりました。浴室は、別々にお使いになられますか?」


「ああ」


「畏まりました。すぐにご用意いたしますので、こちらでお待ちくださいませ」


 


 ふおお。


 お部屋がひとつと聞いた時には、ぴょんとびっくりしましたけど、ここたくさんお部屋があって、普通のお家みたいですよ・・・・・。


 とても、ホテルの一室とは思えません。




 ホテルの廊下を歩き、扉を開けたらそこは家だった、とデシレアが思うほどに広いそこで、オリヴェルとデシレアがまず案内された部屋は居間となっているようで、他に主寝室がふたつと食堂もあると説明を受けたデシレアは、ぽかんと高い天井を見あげた。




 おお。


 天井も美しい。




 派手さは無いが、やわらかな白を基調としたそこには細かな彫刻が施され、手が込んだ造りになっていて、見ていて飽きないとデシレアは思う。


「支配人。それと、購入したばかりの着替えを洗濯したいのだが」


「こちらでいたしましょうか?」


「いや、大丈夫だ。湯だけ用意してくれ」


「では、ご入浴予定の無い浴室にお運びいたします」


「頼む」




 ご入浴予定の無い浴室?




 話を聞いていて不思議に思ったデシレアだが、この部屋にはもうひとつ、他のふたつよりは小さめの浴室があるとオリヴェルに言われて仰け反ってしまう。


「何を驚いている。寝室も、もうひとつあるのだから当然だろう」


「ふええ」


「主に使用人用だ」


 言われ、デシレアは納得した。


「そうか。お貴族様は、使用人の方ありきだから」


「そういうことだ。だから、簡単な厨房もある」


「なるほど。使用人の方のお食事も必要ですものね。はあ。一泊お幾らなのか、考えるだに恐ろしい・・・」


「ん?ああ、このホテルはメシュヴィツが出資しているから、気にしなくて大丈夫だぞ」


「はああ。別世界」


 あっさりと言われ、余りのことに気が遠くなりかけたデシレアを見て、オリヴェルが苦笑した。


「何を言っている。このホテルでも、君が考案した様々な物が使われているというのに」


「はえ?」


「そして支配人は、それらの発案者が誰なのか知っている・・・ほら、ここだ」


 オリヴェルは、そう言ってひとつの扉を開く。


「あ、はい。お洗濯・・・って、ここが小さめの浴室ですか?」


「ああ。やはり驚くか。だがまあ、互いに背を向けて洗えば何とかなるだろう。台もそれぞれ用意してくれたようだし。狭いが、我慢してくれ」


「違います!」


 困ったように言うオリヴェルの言葉を、デシレアは断じるように否定した。


「違う、とは?ああ、洗剤や道具の心配か?それもほら、用意されて」


「そうではなく。ここで狭いなんて、どんな贅沢ですか、って話です」


 きりっと言い切ったデシレアに、オリヴェルが首を捻る。


「ん?つまり、不満は無いということか?」


「もちろんです。こんな素敵な浴室でお洗濯。しかも、しゃがまなくていい台あり。はあ。お母様にも経験させてあげたい」


 うっとりと言ったデシレアに、オリヴェルが怪訝な顔をする。


「伯爵夫人は、洗濯もなさるのか?」


「え?ああ、流石に全部ではありませんけれど、自分で洗える範囲の物は、そうです」


「そうか。以前、炭を使わせてさしあげたい、とも言っていたよな」


「今のレーヴ家は、貴族であって貴族ではないようなものですから」


 屈託無く言って洗濯を始めようとするデシレアに、オリヴェルが考えるように言った。


「提案なのだが、それらの物をデシレアから贈るというのはどうだろう。俺からしたいが、そうなると遠慮してしまわれるだろう?」


「それはもちろんです。オリヴェル様には、今でももう十二分にご支援いただいていますから」


 当然、と頷くデシレアに、オリヴェルは苦い笑みを浮かべる。


「それは、領への支援だからな。俺としては、家族となるのだからレーヴ家へもと思うのだが、伯爵がそれは必要無いと」


「実の娘の私にも、もう仕送りはしなくていいと言ったくらいですからね。まあ、復興が進み始めたというのもあると思いますが」


 肩を竦めるデシレアを見て、オリヴェルは眼鏡の細い縁を持ち上げた。


「だが、品物ならいいのでは、という話になっただろう?まあ、炭や洗濯の台では、余り贈り物らしくはないが」


「あ!なるほど。その手がありました!」


 ぽん、と手を打ち嬉しそうな顔になったデシレアに、オリヴェルも嬉しそうに笑う。


「手配は、俺がしてやる。デシレアは、確認だけ頼む」


「私の、お支払い出来る範囲でお願いします」


「もちろん、そうする。用意するのは、メシュヴィツが使っているものでいいか?」


「はい!ありがとうございます。お手数ですが、よろしくお願いします」


「任せておけ。では、洗濯を済ませてしまおうか」


「そうですね。折角のお湯が冷めないうちに」


 その後、ふたりしてお互いの手元が見えないように赤くなりながら洗濯をし、何故か魔力を大放出したオリヴェルにより、そのまま乾燥室と化した浴室で、洗濯物は無事、速攻で乾いた。








「ふわふわ。それに、石鹸のいい匂い」


 先に洗濯で使用した浴室が狭いと言われる理由が分かる、広々とした浴室、そして大きな湯船をひとり満喫したデシレアが、心地の良い下着と部屋着を身に着け居間へと向かえば、先に上がっていたらしいオリヴェルが、ソファに座ってゆったりとグラスを傾けていた。


「来たか。良かったら、デシレアもどうだ?よく冷えているから、湯上がりに最適だぞ」


「それは、是非いただきたいです」


 いそいそとデシレアがオリヴェルの向かいに座れば、オリヴェルがグラスにワインを注いでくれる。


 その所作も美しい、と見惚れてから、デシレアは渡されたグラスを軽くあげ、ゆっくりと口に運んだ。


「ありがとうございます・・・・んー、美味しいです。きりっと辛口」


「デシレアも、結構強いよな」


「オリヴェル様には、負けますけれどね。ほんと蟒蛇うわばみ様ですから」


 そう言ってデシレアは、オリヴェルに悪戯っぽい目を向ける。


「否定はしない。しかし、ふたりでこうして楽しめるというのは、いいな。うちは、両親がよく寝る前にふたりで楽しんでいるのを見ていたから。何というか、夫婦の理想のように思っていたようだ」


「ようだ、ってオリヴェル様」


 自分のことなのに、とデシレアに言われ、オリヴェルは照れ臭さを隠すように不機嫌を装う。


「仕方が無いだろう。最近になって、そうだと自覚したのだから」


「ふふ、冗談ですよ。私も分かりますから。うちの両親も、よく一緒に飲んでいて、憧れていました。尤も、うちの両親が飲んでいるのは、母手製の果実酒ですけれども」


 その言葉に、オリヴェルが驚いたようにデシレアを見た。


「自家製ということか。凄いな」


「母は色々器用なんです。ジャムも昔からお手製で」


「そうか。デシレアも器用だものな。料理上手だし」


 オリヴェルが納得と頷きグラスを空けた所で、夕食の仕度が整ったと声がかかる。


「では、行こうか」


「はい」


 きゅっ、と自分のグラスを空けてデシレアが席を立てば、その様子を見ていたオリヴェルがくすりと笑った。


「だって、勿体ないです。ちょっとお行儀悪かったかもですが」


 目を泳がせて、デシレアは給仕の方を見遣る。


「いや、可愛いと思っただけだ」


「え?」


 聞こえた、意外な言葉にデシレアが目を丸くすれば、オリヴェルがわざとらしく口角をあげた。


「いや。デシレアならやるのでは、と思って、わざとすぐに行くような言葉を口にした」


「むむ?そんなにお腹が空いてしまいましたか?」


 しかしデシレアが発した言葉に、オリヴェルはがくりと肩を落とす。


「何故そうなる」


「だって、早く席を立ちたかったのですよね?それって、早く移動したかった、つまり早くごはんを食べたいという」


「違う」


「え?なぜなにどうして、そんな呆れた目を」


「普通は、分かるからだ」


「何をですか?」


 意味が分からない、ときょとんとした目で問いかけるデシレアに、オリヴェルは噛んで含めるように言葉を紡いだ。


「俺は、デシレアならやるのでは、と思って、わざと、すぐに行くような言葉を口にした、と言っただろうが」


「それは、さっきも聞きましたよ。今の方が、ずっとぶちぶち切れていましたけど」


「ぶちぶち、って」


「あ。何ですかその、残念なものを見るような目は」


「そういうのは分かるくせに、何故と思う。わざとなのか?」


「わざとって何がです?もう。何なんですか、一体。教えてください」


 エスコートされているオリヴェルの腕を揺するようにデシレアが言うも、時間切れとばかり食堂に着いてしまい、デシレアは仕方なく席に着く。


「急がせれば、残りひと口のワインをああして飲み干すだろうと思い、わざと急ぐような言葉を選んだ。結果、可愛い君が見られて俺は満足だ」


「へ?・・・ふぇえぇ!?」


 着席するなり早口でそう言ったオリヴェルの言葉を、デシレアが理解した時には既に食前酒が用意されており、オリヴェルは乾杯の姿勢を取ってデシレアを見ていた。


「ふたりで楽しむ祭りに、乾杯」


「乾杯」


 となれば、デシレアもそれに従う以外の選択肢はなく、恙なく晩餐が始まる。


「美味しい」


 そして始まってしまえば、料理に夢中になるのがデシレア。


「確かに。それに、デシレアと一緒だと、更に美味しく感じる」


「私もです。オリヴェル様と一緒だと幸せで、よりお食事を美味しく感じます」


 お揃いですね、とデシレアが微笑み、そうだな、とオリヴェルも微笑み返す。


 その日、ふたりの晩餐の給仕係を勝ち取った面々は、英雄として広く知られているオリヴェルと、その婚約者であるデシレアの、仲睦まじい様子に悶絶するも<決して英雄達の日常を邪魔しない>という暗黙の了解に従って、その場で見た事聞いた事、それらすべてを各々の胸の内に大切に封印した。


 ただ、彼等の表情からその場の空気は他の者達にも何となく伝わり、街歩きの際のふたりの様子も徐々に伝わって行ったことから、街はその後暫く、オリヴェルとデシレアの話題で盛り上がっていたことなど、本人達は知る由も無い。



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