番外編 ホワイト交響曲(シンフォニー) ~オリヴェル視点~







「デシレア様へのお返し、何にするかもう決めた?」


「それが、まだ迷っているの。デシレア様なら、何を差し上げても無碍にはなさらないだろうけれど、だからこそ、喜んでもらえる物がいいなって」


 仕事の途中なのだろう。


 廊下を歩きながら、明るい声で話す侍女の会話に、オリヴェルはふと足を止めた。


「あっ、若旦那様。仕事中に申し訳ありません」


 そんなオリヴェルに気づいた侍女達が、青くなって頭を下げる。


「いや、さぼっていたわけではないのだから、多少の私語は構わない。それより、デシレアへのお返しとは?」


「あ、はい。以前、チョコレートを、使用人全員にも個別にいただきまして。特別な日、だとデシレア様がおっしゃっていたので、ではその特別な日のお返しの日もあるのでは、と伺ったところ、あると教えていただきました」


 侍女達の説明で、あの日のチョコレートのお返しの日なるものがあることを知ったオリヴェルは、ひとり沈思する。


「チョコレートのお返し、か」


 侍女達がデシレアから聞いたところに依ると、飴などのお菓子でもいいし、小物や花など、ともかく心が籠っていれば何でもいいと笑って言っていたとのことだが、とオリヴェルはデシレアの喜ぶ姿を想像してみた。


「食べ物、は全般喜ぶ気がする。菓子類はデシレアが作るのが一番だが、うちの料理人が作る物も好んで食べているから、それを幾つか作ってもらえばいいだろう。そうだ。菓子はデザートにしてもらって、ふたりだけの晩餐を料理長に頼めばいい。あとは、何を贈るか、か」


 お返しの日を、より特別な日とするために考えに考え、漸く納得のいくお返しを思いついたオリヴェルは、髪飾りの件で縁の出来た装飾品店を、ひとり訪ねた。








 そして迎えた、お返し当日。


 オリヴェルの私邸は、その日朝から何となくそわそわしており、朝食の席で一緒になった何も知らないデシレアは、不思議そうに首を傾げていた。


「オリヴェル様。今日、何か催しでもあるのですか?」


「いや。そのような予定は無い」


 そう言いながら、オリヴェルは今日いつもより早く帰宅する予定で、厨房とも今日の晩餐については相談済み。


 しかしそれらは、今夜オリヴェルが戻るまでデシレアには秘密と使用人にも箝口令を敷いた。


『若旦那様。贈り物は、若旦那様より先にお渡ししてもよろしいでしょうか』


 そう言い出したのは、邸の総意を預かって来た、という執事のノア。


 オリヴェルが用意しているものについては絶対に口を割らないが、時間によってはオリヴェルが戻るのを待っていては渡せない者も居る、とノアに説明されて、それならば仕方あるまいとオリヴェルが許可すれば、デシレアのいない所で会う使用人ごとに礼を言われる事態となった。


「私、何かおかしなところがあるのでしょうか?」


 余りにちらちらと使用人達に見られ、デシレアは不安そうに自分の姿を見下ろす。


「いや、問題ない。では、行って来る」


「いっていらっしゃいませ。お気を付けて」


 休日であるデシレアに、にこりと笑顔で送り出され、オリヴェルは馬車のなかで気合を入れた。


 いつも共に出勤するデシレアが休日だと、ひとりの馬車内がやけに広く、笑顔の彼女が居ないことを寂しく感じるものだが、今日はそのような事を言っている暇は無い。


「今日は絶対に、早く帰る」


 その決意のまま、オリヴェルは行きの馬車の中から全開で書類仕事を熟していった。






 しかしながら、そう決意した日に限って想定外の事は起こるもの。


「聖女が?」


 オリヴェルの執務室に来た文官が携えていたのは、王子カールからの伝言で、聖女エメリが本日これから教会へ行きたいと言っているので同行するように、という物だった。


「何故、今日という日に。その意味は」


 聖女エメリは気まぐれなところがあり、予定も必要も関係無く、その時の気分で突如教会へ様子を見に行きたがる。


 そして、その際には必ず、王子カール、ディック、オリヴェルと魔王討伐の神託を受けた面子を揃えるのを必須としていた。


「もっと早く言ってくれれば、デシレアに伝えられたものを」


 これから視察に行くとなれば、それなりに時間がかかるうえ、報告書も提出しなければならない。


 これはもう、早くなど帰れないとオリヴェルはため息を吐いた。


『何も言わずに早く帰ったら、デシレアは驚くだろうか』


『料理長は、腕を奮うと言っていたからな。デシレアもきっと目を輝かせるだろう』


『しかし。贈り物は、いつ渡すのが正解だ?食事の前か?後か?花も用意した方がいいのか?』


 今日、いつものように昼食を届けてくれ、手際よく用意してくれるデシレアを見ながら、浮き立つ内心を心地よく感じていた昼休憩が懐かしい、とオリヴェルが遠い目になってしまうのも無理からぬ。


「それ以前に、贈り物を取りに行く時間も確保できないのではないか?」


 思えば、最早オリヴェルにはため息しか出なかった。








「ふふふ。相変わらずの、大歓迎だったわね」


 四人で乗り込んだ帰りの馬車で、聖女エメリが満足そうに微笑んで言うのを聞きながら、オリヴェルはこれからの予定を懸命に組み立てる。




 報告書の内容は、大体考えてある。


 後は、肝心の贈り物を取りに行く時間をどう捻出・・・ん?




「すまない。少し停まってくれるか?寄りたい店があるのだが」


 何故かは分からないが、行きには通らなかった道を通ったお蔭で、オリヴェルがデシレアへの贈り物を注文してある店が近い。


「オリヴェルが珍しいな。もちろん、いいぞ」


 王子カールの許可を貰い、オリヴェルは仕事仕様の口調のままに他のふたりにも頭を下げた。


「ありがとうございます。聖女もディックも、巻き込んで申し訳ない」


「構わないぜ」


「大丈夫よ、オリヴェル。何処へ行くの?」


 急いで行って来る、とひとり馬車を身軽に下りたオリヴェルだが、当然のように三人も後に続いた。


「店主、頼んでいた物を」


「はい、お待ちくださいませ」


 オリヴェルの姿を見て、にこやかに奥へ取りに行った店主は、戻った時には勢ぞろいしていた英雄達に一瞬目を瞠ったものの、そこは流石の接客業で、流れるような美しい所作でオリヴェルに完成した品を見せる。


「わあ!すっごく可愛い!」


 それを見て、歓声をあげたのは聖女エメリ。


「そうか?聖女がそう言ってくれると、自信が持てる」


 服飾や装飾品に拘りを持つ彼女が言うなら、デシレアも喜んでくれるだろう、とオリヴェルの口元も安堵で緩んだ。


「オリヴェル様。刻印も、ご確認くださいませ」


 そんな聖女をちらりと見た店主に促され、オリヴェルは頼んでいた刻印を確認する。


「ああ、問題無い。だがこれは・・・いや、頼んだのは自分だが、何だか気恥ずかしいな」


「デシレア様はお喜びになられますよ。お名前も、綴りに間違いはございませんか?」


「ああ、大丈夫だ」


「では、お包みいたしますね」


「頼む」


 そう言って、店主が贈り物を丁寧に箱へ仕舞うのを、聖女エメリは信じられないように見つめた。


「あれ、デシレアさんへなの?」


「もちろん」


「もちろん、って。だって、婚約披露の時だって、素敵な装飾品を着けていたのに、また?」


「エメリ。婚約者に何か贈りたい、自分の瞳の色、髪の色を身に着けて欲しい、というのは、当然の願いだよ。それに、エメリだって僕からの贈り物を欲しがるじゃないか。同じことだよ」


 穏やかなカールの言葉に、オリヴェルは眼鏡の細い縁を幾度も意味なく触れる。


「いや、デシレアが欲しがったわけではない。俺が、贈りたかっただけで」


 オリヴェルの言葉に聖女エメリは目を見開き、ディックはその瞳を輝かせてオリヴェルを肘でつついた。


「おお、おお、照れやがって。人生、何があるか分からんもんだな。オリヴェルのこんな顔を見られる日が来ようとは」


「揶揄うな、ディック」


「今揶揄わずして、ってやつだろうが」


 ぽんぽんと言い合う間にも、店主は手際よく手を動かし続け、やがて贈り物を包み終えた。


「メシュヴィツ公子息様、こちらでいかがでしょうか」


「っ・・・・・包の色も、特別に揃えてくれたのか?」


「はい。メシュヴィツ公子息様のお色で、揃えさせていただきました」


 やり切ったと言わぬばかりの店主の手にあるのは、青銀の色で包まれた箱に、群青のりぼんのかかったもの。


「すげえな。オリヴェルの髪色の青銀に、オリヴェルの瞳の群青。それで中身も、オリヴェルの瞳の色のあれだろ?独占欲の塊」


 にやにやと言うディックを肘でどかし、オリヴェルは店主へ向き直った。


「礼を言う。しかしここまですると、デシレアに引かれはしないか?」


「デシレア様なら、この包もりぼんも、すべて保管なさるくらい喜ばれます。もちろん、お嫌なら」


「嫌ではない。デシレアに引かれないなら、これがいい。世話になったな」


 心配なのは、デシレアの反応だけだと笑って、オリヴェルは大切にその包を懐に仕舞う。


「さってと、俺はここで失礼しますよ、殿下、聖女様。オリヴェル、俺がお前の屋敷に行って、嬢ちゃんにお前の帰りが遅くなる報告、しといてやるよ。どうせ、報告書で遅くなんだろ?」


「その報告書は、お前が書いてもいいんだぞ、ディック」


「めんどくさいやり直しをする羽目になってもいいんなら、やるが?」


 その瞳に笑いを込めて言うディックは、壊滅的に書類仕事が出来ない。


 彼に無理にもやらせれば、初めから自分がやればよかったと思い知ることを、経験から知っているオリヴェルは、緩く首を横に振った。


「いい。だが、デシレアに余計なことは言うなよ?それと、なるべく早く帰る、と」


「はいはい。ちゃんと伝えるから安心しろ。じゃ、またな三人とも」


 そう言って軽い足取りで去って行くディックを見送って、三人は再び馬車に乗る。


「ねえ、オリヴェル。さっき思いついたのだけれど。わたくし、お夕飯を食べて行きたいの。教会で聞いたのよ。最近評判のお店があるのですって」


 乗ってすぐ、聖女エメリが言った言葉で、オリヴェルは何故いつもは通らないこの道を選んだのかを知った。


 恐らくは、この先に聖女エメリが行きたい店があるのだろう。


「では、私はこのまま王城へ向かいます」


「え?どうして、そんな言葉遣い。もう三人しかいないのだから、いいじゃない」


「確かに乱れがちですが。私は戻って報告書をあげます」


「オリヴェル。エメリは三人がいいらしいのだが。やはり早く帰りたいか?」


 王子カールに問われ、オリヴェルは真っ直ぐに見返した。


「私達が三人とも戻らなければ、王城の者は皆、その帰還を待たねばなりません。私が戻れば、おふたりのお迎えの者を除いて、それぞれの予定通りに動けます。それに、そうですね。今日は、なるべく早く帰りたいです」


 くすりと笑ってオリヴェルが言えば、聖女エメリが不機嫌に眉を寄せる。


「ディックが伝えてくれるって言ったのに?それでも文句を言うような人なの?デシレアさんって」


「今日の晩餐は、俺が勝手に企画したものなので、デシレアは何も知りません」


「なら」


「私が、晩餐を彼女と共にしたいのです。今日は、特別な日なので。これも、早く渡したいですし」


 包のある付近を意味ありげに軽く叩けば、王子カールが楽しそうに笑った。


「ディックの言う通りだな。このようなオリヴェルを見られるとは。分かった。報告書、よろしく頼む」


「はい」


「そんな。楽しみにしていたのに」


 聖女エメリの呟きを消すように馬車が停車し、外から扉が叩かれる。


「ではな、オリヴェル」


「はい。失礼いたします」


「今度は、一緒してね、オリヴェル」


 聖女の願いには一礼をするに留め、オリヴェルは一度馬車を下りてふたりを見送ると、再び馬車に乗って王城へと戻った。



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