十三、推しと外食







「今日は、外で食事して行こう。俺の経営するレストランを、君が知らないというのも問題だからな」


「はい。お願いします」


 <ブロルの工房>を後にしてすぐオリヴェルにそう言われ、デシレアはこくりと頷いた。


 そして、それから暫く。


 今、何故かデシレアは、きちんとしたドレスに着替えを済ませて馬車でオリヴェルと対面に座っており、もう一台の馬車には侍女と侍従も控えている。


 当初ふたりきりの外出で、街まで乗って来た馬車も既に帰した筈なのに、だ。




 今の状況、これ如何に。




「何か質問はあるか?」


 デシレアがぐるぐると考えていると、オリヴェルがそう声をかけた。


「質問というか、不安というか」


 オリヴェルが経営するレストランで食事をする、とは聞いたし、了承もした。


 そしてレストランへ行く前に、他に行きたい所が無いかも聞いてくれ、嬉しくもあった。


 しかしデシレアは、まさかオリヴェルが街の言伝使ことづてつかいに依頼して、私邸から馬車を呼び寄せるなど思いもしなかったし、その馬車で着替えることになるなどとはもっと思っていなかった。


 けれどそこまですれば、デシレアにだって分かる。


 着替えと馬車が必要である、その理由などひとつしかない。


「不安?」


「はい。このようにきちんとしたドレスに着替え、紋章付きの馬車を必要とする、ということは」


「ああ。周りの目があるからな。わざわざ中傷の種を供給することもないだろう」


「ご配慮、ありがとうございます」


 答えつつ、デシレアは憂鬱な気持ちになった。


 


 それってつまり、核式の高いお店。


 主な客層は貴族、ってことよね。




 デシレアは、社交が得意ではない。


 もっとはっきり言えば苦手である。


 おまけに、そのような格式高いレストランでの食事経験など皆無。


 


 でも、オリヴェル様に恥をかかせることなど断じて出来ない・・・・・!




 苦手などと言っている場合ではない、と強く拳を握り、その決意のもと、オリヴェルのエスコートで優雅さを装って馬車から下りたデシレアは、目の前の建物を見た途端、そのままぽかんと口を開けた。




 何この巨大かつ荘厳な建築物!


 ここがオリヴェル様のレストラン!?


 凄すぎるんですけど!




「デシレア。口」


 するとすぐさま耳元でオリヴェルに囁かれ、デシレアは慌てて淑女の仮面を貼り付ける。


「ほう、見事だ」


 感心したような、揶揄うような口調で言うオリヴェルの手の甲を軽く抓ってから、何事も無かったかの如くオリヴェルに寄り添い、絡まりそうになる足を何とか動かして、デシレアはその想像の何倍も立派な建物のなかへと足を踏み入れた。




 




「ほら、もう力抜いていいぞ。ああ。とりあえず息しろ」


 格調高いレストラン内、一見して高貴と分かる客たちの視線を受けながら、緊張を感じさせないよう自然な笑みを浮かべつつ個室まで歩く、という苦行をやり遂げたデシレアの肩をオリヴェルが軽く叩く。


「個室、ありがたや」


 思わず拝むデシレアを面白そうに見つめ、オリヴェルがデシレアのために椅子を引いた。


 それで初めて、デシレアはオリヴェルが案内係も早々に退室させたのだと知る。


「すみません、ありがとうございます」


 そうして腰を下ろせば、オリヴェルも向かいの席へと腰を落ち着ける。


「少しずつ慣れろ。まあ、婚約披露はずっとああいった視線のなか、だがな」


 どこか楽しそうに言われ、デシレアはきたるその日を憂鬱に思い浮かべた。


「お貴族様がたくさん」


「君だって貴族だろう。だがまあ、貴族だけでなく王子殿下もみえるな」


 デシレアの反応を楽しそうに見つめ、オリヴェルが眼鏡の縁をくいと持ち上げる。


「ですよね。というか、英雄の皆様大集結」


 呟き、デシレアは麗しの英雄達を思う。




 王子殿下は、きっと聖女様と一緒にみえるわよね。


 聖女様、お綺麗なんだろうなあ。




 そこまで思って、デシレアはその事実に気が付いた。




 そうだ。


 私は、そのための契約婚約者ではないの。




 王子と聖女に己の想いを悟らせないため、オリヴェルは自分と婚約したのだと改めて胸に刻み、デシレアは凛々しく前を向いた。


「お役目、きちんと果たせるよう努めます」


「そんなに固くなる必要は無い。それに、俺が居る」


 デシレアの言葉に一瞬目を瞠ったオリヴェルは、そう言って穏やかな目でデシレアを見つめ返す。


「よろしくお願いします」


「ああ。よろしくお願いされてやる。だから、そう不安がるな」


 まるで戦地に赴くかのような心構えで言ってから、よろしくお願いしてばかりだと思い至ったデシレアに、オリヴェルは力強くそう言った。




 ああ。


 推しが、推しが本当に尊い。


 そう。


 オリヴェル様は、最高の推し。




 もう憧れだけではない、推しという存在を越えた実在の、しかもかなり近しい人物。


 オリヴェルのことをそう意識しながら、デシレアは自分の気持ちに蓋をするよう、オリヴェルは推しだと心のなかで呟き続ける。


「さて、何を頼む?酒は飲めるか?」


「あ、はい好きです」


「そうか。何がいい?それとも、料理を決めてからの方がいいか?」


 酒の種類から料理を選ぶか、料理から何を飲むか決めるかと問われ、デシレアはじっとメニュウを見た。




 お値段が凄い。


 うちの食費の何日分?


 このワイン、グラス一杯で優にひとり分のお昼代くらいある。




「コースで頼むことも出来るが、食べたい物を選んでもいい・・・と、どうした?」


「お値段が、私には天文学です」


「ぷっ。天文学、って。それほどではないだろう」 


 どうしていいか分からないまま、困り顔でメニュウから顔をあげたデシレアを見たオリヴェルが、思わずといったように吹き出す。


「私には、未知の領域なんです」


「分かった。なら、俺が決めていいか?」


「お願いします!」




 ああ、またお願いする私。




 思いつつも、オリヴェルに選んでもらえるのなら安心、とデシレアはその立派な革表紙のメニュウを見ながら、オリヴェルに色々と説明してもらった。


 肉や魚、野菜は素材に拘り、直接産地と契約していること、高価な香辛料をふんだんに利用していることも、人気のひとつだということ。




 わあ。


 知らない香辛料もたくさん。




 使われている香辛料を知らないのだから、料理が分かる筈も無いデシレアは、これも公爵家に嫁ぐ勉強だとメニュウを教科書にオリヴェルから講義を受けた。








「勉強のようになってしまったな。さ、料理は存分に楽しむといい」


 結局、料理が運ばれて来るまで、レストランで使われている材料から、メシュヴィツ公爵家の保有する領地の特産物の話にまでなったことに苦笑しつつ、オリヴェルがそう言ってカトラリーを手に取った。


「はい。いただきます」


 講義、ありがとうございます、とデシレアが言えば、オリヴェルが満足そうにグラスを口へ運ぶ。


「君は、勉強熱心だから教え甲斐がある」


「そんな。優秀な生徒だなんて。照れますね」


「そうは言っていない。熱心な生徒だと言ったのだ」


「分かっていますよ。ちょっと冗談で言っただけなのに」


「そんな顔も面白いな。本当に見ていて飽きない」


 口をへの字に曲げたデシレアを見て、オリヴェルが心底楽しそうに笑う。


「どうせ私は珍獣枠です」


「拗ねるな。そういう顔も面白いだけだ」


「むう。否定もしないとか・・・あ、このワインおいしい。それに、このお料理に凄く合う」


「気に入ったようで、何よりだ」


 


 おいしいワインにおいしい食事。


 そして、目の前にはやわらかな表情の推し。


 最高よね。




 これ以上の幸せはないのではないか、とデシレアはにこにこと料理を口に運んでいて、ふと今日の本題を思い出した。


「はい、本当にどれも素敵でおいしいです。ですが、あのうオリヴェル様。本当にこちらのお料理を岡持おかもちで配達するおつもりなのですか?」




 この、見た目もきれいで完璧なお料理を?




「もちろんだ」


 見るからに高級と分かるこれらの料理を、岡持で運ぶなど有り得ないと思うデシレアの心知らず。


 当然と言い切るオリヴェルに、デシレアは思わず、執事の如く正装しているレストランの従業員が、岡持を持って走る姿を想像した。




 ないないないない!


 だめでしょ、そんなの!




「お、オリヴェル様。レストランの方が岡持を持って歩くのは、その。体裁が悪いのではないでしょうか」


 おずおずとデシレアが言えば、オリヴェルが淡く笑みを浮かべる。


「もちろん、移動は小回りのきく小型の馬車を使うようにする。その方が、高級感が損なわれないだろうからな」




 なるほど、考えていらっしゃる。




「ですが、貴族の方々は、こちらでお食事をするということに意味があるのではないですか?」


 高級レストランで着飾って食事を摂る贅沢、そしてそれが許される地位と財力がある証明。


 デシレアの言葉に、オリヴェルが瞳をきらりと光らせた。


「だからこそ、そこが狙い目なのだ。配達のターゲットは、裕福な平民。君の言う通り、このレストランの客層は貴族だ。裕福な平民であれば食事を摂ることは可能だろうが、貴族のなか、窮屈な思いをすることは必然。だが、自宅でならどうだろう。煩い作法など口煩く言われることなく料理を楽しめるではないか」


 オリヴェルの言葉に、デシレアはぽんと手を打った。


「なるほど。流石です、オリヴェル様。ああ、そうなると保温機能があるといいですねえ。瞬間移動できればもっといいですけれど」


 無い物ねだりですね、と笑いながらフォークを口に運ぶデシレアに、オリヴェルが首を傾げる。


「瞬間移動は、そう誰もが出来るわけではないし、保安上の問題もあるからレストランの配達で使うのはどうかと思うが。保温機能とは何だ?」


「言葉のままですよ。岡持のなかでなら、食べ物の温度を保てるようにするんです」


「どうやって?」




 どうやって?


 はて、保温機能とはどうやって。


 うーん。


 断熱材とか電気の力?




 少し考えたデシレアだが、前世での保温機能の仕組みなど知らない。


 そして、この世界で断熱材というものがあるかも知らない。




 まあ、この世界なら魔法でしょ。




 ということで、咀嚼していた肉を飲みこみ、ゆっくりと答える。


「それは、魔石に魔法陣を仕込めばいいのではありませんか?」


「魔石に?」


「はい。攻撃や防御の魔石はあると聞いたことがありますから、それの応用という形で」


 この世界には、魔力が尽きた時用に攻撃魔法や防御魔法を仕込んだ魔石というものがある。


 ただそれは過去生で物語を読んだ際の知識で、この現実では普通に一般人が知っているようなものではない、と気づいたデシレアは『そんな知識を一体どこで』と言われる危険にびくびくしつつ、表面はにっこりと笑ってみせた。


「そうか、魔石か」


「そういえば、オリヴェル様は瞬間移動もお出来になるのですか?」


 物語の設定でオリヴェルは瞬間移動が出来るとなっていたが、実際の話のなかで使う場面は無かったし話題にも出なかった、と思い返しつつデシレアが問えば、オリヴェルの手が止まった。


「出来る、が。俺ひとりでしか瞬間移動は出来ないうえ、長距離の移動は無理だし、知らない場所へは行けないからな。余り、役に立たない」


 そう言うオリヴェルの顔色は冴えないが、デシレアは浮き浮きしてしまう。


「でも、出来るなんて凄いです。それに、何の役に立つか分からないではないですか。出来ないよりずっといいです。選択肢が広がるってものです」


 瞬間移動を出来るひとなど、デシレアはこれまで実際に会ったことがないどころか聞いたこともない。


 やはりオリヴェルは別格なのだ、とひとりにまにましそうになって、慌てて表情を改めた。


「俺とふたりの時に無理して表情を作ることはない。しかし君は本当に変わっているな。君がそれほど嬉しそうにすることでもないだろうに。だが、君と話ししていると気が楽になる。こんな程度の瞬間移動など、出来ても何の役にも立たないと唾棄する思いだったが。そうか。出来ないよりずっといいか」


「はい。オリヴェル様は凄いんですから、もっと自信をもってください」


 むん、と思わず拳を作ったデシレアは、余りに淑女らしくなかったと姿勢を正し、またもオリヴェルに無理するなと笑われた。



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