第8話 恐怖を抱いてもいい、不安も、怒りも
巨大空母艦オリジンビリーブの格納庫に収容されたザフィーアは無数のプラグに繋がれて眠りにつく。
整備員や研究員が入れ替わり立ち代わるのを横目にアルフィルクはリフトから降りて壁に背をつけてしゃがみ込んだ。
気持ちが悪い、吐き気がする。深く呼吸をしながら落ち着かせようとするけれど、胸の焼けた感覚は治まらない。
そっと誰かが座り込んだのを感じて顔を上げれば、ポラリスが背中を擦ってくれる。何を考えているか分からない表情をしているけれど、サファイヤのように煌めく瞳は僅かに揺れていた。
彼女は何も言わない。こうやって恐怖と理不尽さで吐き気に苦しんでいようとも、責めることもせずに黙って傍にいる。
「……お前は」
「?」
「おい、そこのミソロジアのパイロット」
アルフィルクが口を開くのと同じく、声をかけられる。視線を向ければ、一人の軍人がマグカップを二つ持ってやってきた。
エクエス機のパイロットが着用するパイロットスーツを着こなす渋面の老けた男はアルフィルクの顔を見て「辛そうだな」と苦く笑いながらマグカップを差し出した。
「コーヒーだ。今じゃ在庫限りの貴重な飲み物だぞ」
飲めと差し出されたマグカップをアルフィルクは受け取る。ポラリスもマグカップを手にして口をつけていた。
今、飲んでもすぐに吐くだけだとアルフィルクは思ったけれど、一口だけ飲む。ほろ苦く、ほんのりと甘いミルクの味がした。
「
「……そうかよ」
「なんだ。怖いか、少年」
「怖くないわけがないだろ」
「そうだな」
アルフィルクの返答に男は大きく笑ってから、「おれも怖い」と返す。男はスーザリオと名乗ると、自分はエクエス部隊の第一部隊長なのだと教えてくれた。
「第一部隊は前線に出てミソロジアの支援を、アポストルスと戦うことになる。いつ死ぬかも分からない」
ミソロジアほど頑丈でも強くもないエクエスではやれることは限られている。リーダー機ではない通常のアポストルスならば複数機で挑めば倒すことができるが、それでも一つの油断が死へと繋がる。スーザリオは「怖いけれど、戦わねばならない」と言った。
「死にたくないが、おれたちが戦わなければどっちみち生きてはいけない。だから、おれは戦う」
「……そう納得できる人間は少ない」
「そうだろうな。そもそもおれらも最初は半信半疑だったさ」
異星より脅威が降り立つ、彼らはただ破壊を尽くすのみ。対話はできず、慈悲もなく、生きとし生けるもの全てを根絶やしにする。その脅威に立ち向かえなどと言われて、すぐに信じられるわけもない。
極秘の訓練を行いながらそんな脅威など来ないのではないかと楽観的だった。けれど、彼らはこの星に降り立った。無残にも破壊されていく街、消えていく命を目にして恐怖と怒りを抱く。
「少年のように恐怖で吐き、動けなくなるパイロットはいた。本当に現れたのかと、自分たちだけで彼らに立ち向かえるかという不安を抱いて」
無慈悲に破壊されていく街を見て、消えていく命の灯火を感じて、恐怖を、怒りを、理不尽さを抱く。そうして、足が震え動けなくなる者、吐き気に襲われる者、正義感に駆られて立ち向かう者、さまざまな反応をパイロットたちは表した。
動けない者は足手纏いにしかならず、切り捨てるしかなかった。動ける者たちがエクエス機に乗り、フィーニスの脅威を痛感する。
アポストルス一機の力は強かった。複数のエクエス機たちで挑んでやっと倒せるといった相手に絶望するパイロットたちは多い。
「一機でも立ち向かえるミソロジアも、姫だけしかパイロットは居なかったから余計に不安を抱いた奴らは多い」
ポラリスだけではミソロジアを全開で稼働せることができない。彼女はザフィーアの調律者であり、バイタルや機体調整・補助がメインだ。
アルフィルクがいない間はザフィーアの意思で、ポラリスの補助を受けながら戦っていたのだとスーザリオは教えてくれた。
「パイロットが選ばれて安堵した奴らはいる。まだ若い少年であっても、選ばれていない不完全なミソロジアよりかは安心できるものさ」
「俺は強くない」
「人間は弱いぞ、少年」
強く見えるだけで人間は脆く弱い。強者の前では何もできずに壊されてしまうのだ。スーザリオは「今のようにな」と悔しげに言った。
アポストルスは人間にとって強者側の存在だ。一瞬で多くの命を散らせることができる相手なのだから。彼らと対峙すればするほどに人間の弱さを嫌というほどに実感する。スーザリオの言葉にアルフィルクは何も返せない。
その通りだと思った。あの化け物たちの前では人間など小さな虫と何ら変わらないのだ。一つ、手を上げるだけで潰されてしまう。だから、恐ろしい。
「でも、この星で生きたいのなら戦うしかない」
「死ぬか、生きるかしかない、か……」
「極端に言えばそうなる。ただ、恐怖を抱いてもいい、不安を、怒りを持ってもいい」
それらの感情を抱かずに戦うなど、人間には不可能だ。感情を殺すことができたとしても、それは身体に負荷をかけているだけにすぎない。吐き出したいならば、吐けばいい、叫びたいなら声を上げればいい。
「今の少年を責める人間は此処にはいない。皆、同じだからな」
今はゆっくりと休め。スーザリオはアルフィルクの肩を叩くと歩いて行ってしまった。励ましているつもりなのだろうか、アルフィルクは何とも言い難いといったふうに顔を顰める。
何の励ましになるというのか。人間は弱い、お前と同じような奴は多い、誰も責めはしないなどと言われても。悪い軍人ではないのだろうというのは感じられたけれどと、アルフィルクはコーヒーを飲んだ。
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