十七、


 頭が、ぼんやりとする。

 ここはどこ、だろうか。

 ひどく古めかしい、煤けた家の中。

 視線の先、黒ずんだ梁から吊るした自在鉤に、鍋が吊るされている。

 囲炉裏、だ。

 なぜかは分からないが、は囲炉裏で手を温めていた。ぱちぱちと薪の爆ぜる音が心地よく、味噌を使った汁だろうか、鍋からは美味しそうな匂いが漂っている。

 ひとまず体を動かそうとして、微動だにしないことに気付く。視線すらも、動かせない。いや、視線は勝手に移動するし、体も、だ。まるで誰かの体の中に、わたしの意識だけが入り込んだ感覚。囲炉裏の熱も感じるし、心地いい音や匂いも感じられるのだが、体は自由にできない。もどかしさから声を出そうとするが、声も、出ない。

 視界に入るわたしの腕を見たところ、どうやら着物を着ているようだ。鮮やかな花の模様が描かれた赤い、着物。

 見覚えがある着物、だ。

 顔に虫が湧いた女の着物、だ。

 あの女の着物は薄汚れて色褪せてはいたが──

 柄が、同じに見える。

 これはどういうことなのだろうか。白昼夢、でも見ているのだろうか。この訳の分からない状況に陥る前、直前の行動を思い出す。たしか逃げ込んだ倉庫内、顔に虫が湧いた女に迫られ、頭の中に知らない映像が流れ込んできて──

 そういうこと、なのだろうか。今見えているわたしの腕は、肉が削げていないし骨も見えていない。着物も薄汚れて色褪せてはおらず、鮮やかだ。わたしは今、顔に虫が湧いた女の記憶を体験している、ということか。状況からして、生前の記憶なのだろう。なぜこんなことになっているのかは分からないが、そうとしか考えられない。それかもしくは、現実のわたしは今まさに殺される瞬間で、訳の分からない幻覚のようなものを見ているか、だ。

 ──小夜さよを出せ! 中にいるのは分かっている!

 ──あの女のせいでうちの亭主は狂った!

 ──股ぐら使って人の亭主たらし込むなんて穢らわしい! 

 ──うちの亭主もだ! 近頃は息子まで小夜に会いたいと!

 ──何が穢れた忌み山か! 何が禍祓いの八塚家か! 穢れているのは小夜だ!

 家の外、叫ぶ女たちの声が聞こえる。わたしの体が反応し、視線を動かした先には木製の扉。玄関、だろうか。

 ──小夜は渡さん! たしかに小夜は色に溺れているのだろう! だがそれは! 忌み山の穢れがそうさせているのだ!

 今度は男の叫び声。ここまでの会話から察するに、わたしの意識が入っているこの体が小夜であり、八塚家の人間、ということだろうか。そのうえ小夜は、女たちの夫や息子と寝たのだろう。女たちの声はかなり殺気立っている。

 ──どけ! 忌助いみすけ

 扉が大きな音を立てて破られ、一人の男が倒れるように転がり込んでくる。一瞬、その男が志呉に見えた。おそらく外で女たちと言い争っていたのが、この男だろう。忌助と呼ばれていたが、たしかそれは八塚家代々の仏師名だ。やはりここは過去の八塚家ということになりそうだ。

 ふいにわたしの意識が入っている体、小夜が「ふふ」と楽しそうに笑う。

 ──いた! 小夜だ!

 ──何を笑っている!

 ──忌まわしい女め!

 外で叫んでいた女たちが、次々と家の中へとなだれ込んでくる。小夜を殺すつもりなのだろうか、鉈や鎌などの得物を手に手に携えている。止めようとする忌助も女たちにやられ、頭から血を流して倒れた。見たところ鉈の峰で殴られたようで、死んではいないようだが──

「ふふふ」

 まただ。また小夜が楽しそうに笑った。意識が小夜の中に入っているからこそ分かるが、小夜はこの状況をまったく理解していない。なんで女たちが怒っているのかも分からず、その光景が面白くて純粋に笑っている。想像でしかないが──

 小夜は、知能が。

 笑った小夜を見て、女たちが激昂する。

 ──すぐに殺すな! たっぷり苦しませろ!

 ──忌助は縛っておけ!

 そんな声が聞こえたかと思うと、目の前には鉈を振りかぶった女の姿。がんっ、と頭に強い衝撃が襲いかかり、信じられないほどの激痛がわたしを襲う。小夜の頭が、鉈の峰で殴られたのだ。狂ってしまいそうなほど、頭が痛い。痛みで吐き、そうだ。意識、が──


 痛い。

 痛い痛い痛い。

 手や足の先が、経験したことのない痛みに襲われている。なんとなく指の存在は感じるが、痛いという感覚しかない。頭も割れてしまいそうなほど痛み、体のあちこちも鈍く痛む。

 ここはどこ、なのだろうか。狭い小屋の中のようだが、おそらく夜なのだろう、暗くてよく分からない。鉈で頭を殴られ、気絶している間に運ばれたと思うのだが──

「うぅ……」

 小夜が苦しそうに呻いて身を捩ると、じゃらりと鎖の音がした。体に纏わりつく冷たい鉄の感じから、鉄製の鎖で固定されていることに気付く。よくは見えないのではっきりとは分からないが、おそらく両腕を鎖で巻かれ、天井から吊るすように拘束されている。体も鎖で雁字搦めだが、足が地面についていることだけが救いだ。

 小屋の上部、明かり取り用の高窓から柔らかい月光が差し込み、小夜の体を照らす。はだけた赤い着物と、おそらく殴られたのであろう、体の痣。乱雑に巻かれた鎖が、肉に食い込む。相変わらず手や足の先がひどく痛み、小夜の視線がそちらに向く。

「わた、わ、たしの、指」

 月明かりに照らされ、見えた手足の指が──

 足りない。

 耳を劈くような、小夜の叫び。

 なんて、酷いことをするのだろうか。

「なんで、なん、でぇ……」

 なぜこんな状況になったのか、小夜はまだ理解していないようだ。なんとなくだが、小夜の感情や考えが流れ込んでくる。

 求められたから、寝た。気持ちよかったから、寝た。それの何がいけないのか、分からない。そんなことで怒っている女たちが、面白かった。笑ったことが、気に食わなかったのだろうか。笑ってごめんなさいと言えば、許して貰えるのだろうか。今日は誰が、わたしを気持ちよくしてくれるのだろうか。痛い。痛い痛い痛い。気持ちよく、なりたい。一人は、寂しい。誰かに抱いて、欲しい。肉の温かさが、恋しい。気持ちよくして、痛みを忘れさせて、欲しい。誰か。誰か誰か誰か。

「小夜」

 穴だらけの小屋の戸が開き、男が一人、入ってきた。暗くて顔はよく分からないが、小夜が「よしあき」と呼ぶ。たまたま嘉明と同じ名前なのだろうが、胸がざわついてしまう。

「よしあき、よしあきだ。助けて、よしあき。指が、足りないの。笑ったから、笑ったから、指、取られちゃった」

 小夜の問いかけには答えず、よしあきが近付いてくる。

「ありがと、ありがと、よしあき」

 小夜は助けて貰えると思ってそう言ったのだろうが、よしあきは天井から吊るされた小夜の体を反転させ──

 そのまま、後ろから。


 ひとしきり欲を満たしたよしあきが、「助けることは出来ない」と言葉を残し、小屋を出ていく。

「なんで、なんで、よしあき」

 小夜の心に、じわりと絶望が這い寄る。助けて貰えなかった。いつも愛してると言ってわたしを抱くよしあきが、助けてくれなかった。でも明日になれば、気が変わるかもしれない。よしあきにはときどき殴られたけど、次の日には愛してると言ってくれた。集落のみんなも、そう。抱いて、殴って、また抱く。最後はちゃんと、愛してるって、言ってくれる。今日はたまたま、機嫌が悪かっただけ。明日、明日。

「どうだったよ、よしあき」

「抱くには十分だった。だけど女衆、明日にはもっと痛めつけるんじゃないか?」

「じゃあ夜のうちに楽しんでおかないとな」

 小屋の外から、よしあきと別の男の声がする。小夜が「しょうじ、しょうじが来た」と呟くと、おそらくしょうじが小屋の中へと入ってくる。

「助けて、助けて、しょうじ、痛いの、痛いの」

 小夜にも二人の会話は聞こえていたはずなのだが、まだ助けて貰えると思っているようだ。そんなわけもなく、しょうじも小夜の体で。

 結局この夜、小夜は五人の男の相手をした。

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