少年Sの学校デビュー
亜逸
プロローグ
誰もが寝静まる深夜。都内にある倉庫街の路上で、二人の男が死闘を繰り広げていた。
一人は一〇代半ばくらいの、真っ白な髪が目を引く中肉中背の少年だった。
もう一人は一〇代後半くらいの、身長が二メートルに迫る筋骨隆々の巨漢だった。
巨漢はその体格からは想像もつかない速度で間合いを詰めると、軽量級ボクサーを彷彿とさせる鋭い左ジャブを雨あられのように少年に降らせる。
業を煮やした巨漢が右ストレートを放った瞬間、好機と見た少年は身を沈めて大砲じみた一撃をかわし、ガラ空きになっている鳩尾目がけて拳を叩き込んだ。
巨漢の口から胃液とともに肺腑の空気が吐き出される中、とどめとばかりにハイキックを繰り出そうとするも、
「!?」
それよりも早くに、苦悶を無視した巨漢がフック気味のパンチを放ってくる。
まさかの反撃に回避が間に合わなかった少年は、かろうじて腕で防御する。が、尋常ならざる膂力によって殴り飛ばされてしまう。
少年は地を転げながら即座に立ち上がるも体がふらついてしまい、その場で片膝を突いてしまう。
巨漢も一撃返すだけで精一杯だったのか、膝に両手をつき、肺腑が求めるがままに荒い呼吸を繰り返していた。
実力は伯仲。ゆえに互いが互いを激しく削り合う死闘になってしまい、少年も、巨漢も、満身創痍になっていた。
だからこそ、今の状況は少年にとっては悪いと言わざるを得なかった。
なぜなら、
「〝
呼吸を整える時間を稼ぐためか、だしぬけに巨漢が訊ねてくる。
〝S〟と呼ばれた少年は、とある組織を脱走してきた身であり、巨漢はその追っ手として差し向けられた者だった。
当然追っ手は巨漢一人だけではなく、いつ他の追っ手がこの場に現れてもおかしくない状況にあった。
「くだらない……か。確かに、そうかもしれませんね」
〝S〟は淡々と巨漢の言葉を肯定しながら、ゆっくりと立ち上がり、
「オレはただ、普通に生きたいと思った……それだけですよ」
無感情な表情で、声音で、淡々と答え、
「それに、あんな組織は存在しないに越したことはありませんから」
ほんのわずかに目を据わらせながら、宣戦布告するように言葉をついだ。
自然、巨漢の目が見開かれる。
「まさかお前、組織を……〈
否定も肯定もせず、〝S〟は拳を構える。
「……それが答えか」
是非もない――そう判断した巨漢も、同じように拳を構える。
正直なところ、〝S〟としてはこれ以上、巨漢の相手なんてしていられないというのが本音だった。
今すぐにでも回れ右をして逃げ去りたいところだが、眼前の巨漢から放たれる〝圧〟が、逃げることはおろか背を向けることすら許さなかった。
「次で、決めさせてもらいます」
自分に言い聞かせるように、〝S〟は宣言する。
決めるのは俺だと言わんばかりに、巨漢が地を蹴って肉薄してくる。
打撃を警戒し、構えていた両手をわずかに上げた刹那、巨漢は〝S〟の眼前で身を沈め、レスリングのタックルさながらにこちらの足を取りに来る。
〝S〟は虚を衝かれるも、即座に両足を後ろに引いて、しっかりとタックルを切った。
体格差ゆえに密着状態を嫌った〝S〟は、すぐさま間合いを離そうとするも、
「ぬぅんッ!!」
立ち上がる勢いをそのままに、正真正銘の
地面を滑る背中に灼けるような痛みを覚えながら、〝S〟はすぐさま体勢を整え、立ち上がろうとする。
だが、その時にはもう追撃を仕掛けてきた巨漢の右脚が眼前まで迫っていたため、両腕を割り込ませて防御。
あまりの脚力にまたしても派手に吹き飛ばされてしまう。
延々と続く追撃地獄から脱するために、〝S〟はあえて自ら地を転げることで迫り来る巨漢から間合いを離して今度こそ立ち上がり――はたと気づく。自分のすぐ真後ろに、倉庫の外壁が
このまま壁際に押し込まれてしまうのは危険だと判断した〝S〟は、巨漢が迫り来る中、冷静に逃げ先となり得る左右の状況を確認する。
右側には外壁に面する形で
左側には障害物らしい障害物はないものの、だからこそ巨漢に逃げ先を読まれる危険性が孕んでいた。
裏をかいて右に逃げるか、読まれることを承知の上で左に逃げるか。
どちらを選んでも状況が好転しない予感がした〝S〟は、あろうことか逃げ道のない真後ろ――倉庫の外壁に体を向ける。
その意図が理解できなかった巨漢は、左右どちらに逃げられても対応できるよう気構えながら、無防備になっている〝S〟の後頭部目がけて拳を振るう。
次の瞬間――
〝S〟は外壁を蹴って飛び上がり、空を切った巨漢の拳が代わりに殴られた外壁をわずかに砕く。
巨漢は即座に頭上を見上げるも、その時にはもう相手を飛び越していた〝S〟は、無防備になっている巨漢の後頭部に全身全霊の蹴りを叩き込み、そのまま顔面を外壁に叩きつけた。
〝S〟がふらつきながらも着地する中、頭部の前と後ろを強打された巨漢が、
蹴られた後頭部が割れたのか、それとも外壁に叩きつけられた額が割れたのか、倒れ伏す巨漢の頭部からは血が滴り落ちていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
膝に両手を突き、荒い呼吸を整えながら巨漢を見下ろす。
難敵を退けることはできたが、それゆえにこちらも手加減する余裕がなかった。
つまりは、やりすぎてしまったのだ。このまま放っておいたら、巨漢が死んでしまう恐れがあるほどに。
〝S〟は諦めたようにため息をつくと、意識のない巨漢を背負ってこの場を離れていく。
「オレはただ……普通に生きたいだけなんですよ……」
だから、人殺しなんて
それに、もしかしたらこの巨漢も自分と同じ、組織の被害者かもしれない。
だから、このまま放っておくわけにはいかなかった。放っておくなんて真似はしたくなかった。
〝S〟は、これ以上追っ手が来ないことを祈りながらも、ふらつく体で巨漢を背負って倉庫街を後にした。
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