32. 人攫いのあとしまつ(2)

 リタはとんでもない爆弾を落とした。


「みたい、というか、そうなんだってば。勇者様は、自分を育ててくれた魔女アデルを熱烈に愛していたのよ。だからこそ、教会が彼女を勝手に処刑したとき激怒して、遺体が見つかってないからって、今なお彼女を探してるんじゃない。あんた、本当に何も知らないんだね」


「いやいやいやいや――ごほ……っ」


 何も知らないのはそっちでしょ、と続けたかったが、声を荒らげたあまり咳き込んでしまった。


(なにそのトンデモ解釈! レイノルドは、自分の黄金時代を搾取した魔女わたしを憎んでるのよ! それで、遺体が見つからないからと、執念深く復讐を完遂させたがってるんだってば!)


 もちろん、トンデモ解釈をキメているのはアデルのほうである。

 だがそうとは思わぬアデルは、うっとりと「勇者と魔女の恋物語」を語る女たちに、心配の眼差しを注いだ。


「はあ、悲劇的だけど、本当に深い愛よねえ」

「ほんと。私もそれくらい熱烈に、色男に愛されてみたいものだわ」

「勇者様は、魔女の死から黒い服しか着なくなったそうよ。悲嘆に暮れる美男……素敵だわ。魔女も予知能力があって、すごく慈悲深い、聖女のような女だったらしいじゃない」

「美男美女。いかにも物語よねえ。いいわあ。まあ、彼が荒ぶったせいで国の天候が荒れ気味なのは困りものだけど」

(こんな色恋に偏った発想で大丈夫なの、この人たち!? 現実はもっとどろどろしてるのに)


 残念ながら、どろどろしているのはアデルの発想のほうで、色恋に偏っているほうが実態だ。


「それでね、あたしたちはこの通り黒髪だろ?」


 衝撃のあまり咳き込み続けているアデルに向かって、リタは声を潜めて続けた。


「魔女アデルと同じ、東の血が入ってるから、ちょっとした話し方とか、文化とかも共通してる。だから教会は、あたしたちにアデルに成り代わらせて、勇者様の恋人の座に据えようってわけ」

「はあっ!? ――ごほっ、ごほっ! ごっぶほ!」


 ひときわ激しく叫んだ結果、ひときわ激しく噎せてしまった。


「な……っ、そん……っ、ありえ、な……っ」

「不可能だと思う? でも大丈夫。顔は治癒魔法で変えるらしいよ。大まかな出来事は教会の記録で教えてもらえるし、細かいことは記憶喪失のふりでごまかすんだって。あとは媚薬でもなんでも使って、既成事実を作っちゃえばいい」


 そうすれば、と、リタはにんまりと笑った。


「娼婦や場末の女優だったあたしたちが一転、勇者夫人さ。愛する女を取り戻せて勇者様も幸せ、償いができて教会も幸せ。三方よしってわけ」


(違うよ教会は単にレイノルドの仇を差し出して憂さ晴らしをさせたいだけよ実質生け贄よーー!)


 一息にそう叫べたらどれだけよかっただろう。


 ああ、顔を粉々に砕かれた石像たちを思い出す。

 レイノルドはアデルによく似た石像を作らせ、そのたびに破壊するほど、執念深い憎悪を抱えているのだ。

 そこに、わざわざ「アデル」が登場したら、いったいどんな惨事が引き起こされるのか。


(というか、それがまさに先日の、出会い頭に攻撃された状況だったわけで)


 なんということだ。

 レイノルドの「八つ当たり」に、今まさに巻き込まれようとしている人々と遭遇してしまった。


 己の弟子が巻き起こしているトラブルに頭痛がするとともに、「なんとか始末をつけねば」との使命感が湧き起こる。


 激しい喉の痛みに涙を滲ませながら、アデルは必死の説得を開始した。


「わ、……悪いことは、言わない。あなたたちは、教会に、騙されている……。今からでも、引き返したほうが、いいわ……」

「はあ?」


 だが心からの善意は、リナたちには悪意に取られてしまったらしい。

 女たちは一斉に顔を歪めた。


「なにそれ」

「あたしたちを候補から外させて、自分だけ見初められようって魂胆かい?」

「人がせっかく教えてやったのに」


 険しい顔の女たちに詰め寄られ、アデルはたじたじとなった。


「そういう、わけではなくて……。本当に、あなたたちの、ためを思って……」

「はっ、呆れた。浅ましい女もいたもんだ」

「ここにいる5人は、誰が魔女役に選ばれても恨みっこなしって、互いに誓い合ってこの荷車に乗ったんだよ。それをあんたは、善人面しながら他人を蹴落とそうだなんて」


 そのまま引っ叩かれそうな勢いに、アデルは尻ごと後ずさった。


「いえ……、このままでは、あなたたちは、生け贄に、されてしまうわ。だって――」


 レイノルドは魔女アデルを愛してなんかいない、憎み殺そうとしているのだから。

 そう告げようとしたが、それよりも早く「お黙り!」と足元の藁を蹴られた。


「ねえ、ちょっと! 荷車を止めて! 前の馬車から代表者を呼んでよ!」


 のみならず、荷車から身を乗り出し、御者に向かって声を張り上げる。

 荷車の前には豪華なしつらえの馬車があり、そこには行商人たちが乗っているのだった。


「どうしたんだよ、騒がしい」


 ややあってから、馬車を出た男性が荷車に乗り込んで来る。

 昨日アデルを乗せてくれた、人の善さそうな行商人だ。


 どうやら彼がこの場の代表者らしい。


(つまり彼が、リタたちを騙して生け贄に仕立てようとしてるわけね)


 義憤に駆られたアデルは身を乗り出そうとしたが、そこに威勢のいいリタが割って入る。


「聞いてよ! この女、同じ荷車に乗っているから、てっきり魔女候補なのかと思ったら、とんだ邪魔者だよ!」

「教会があたしたちを騙している、生け贄にしようとしている、だとか言い張って、魔女役を諦めさせようとしてくるんだよ」

「この無礼な女を今すぐここで降ろしておやり!」


 リタたちは、不穏分子であるアデルを、早々に排除してしまうことにしたようだ。


「教会があんたらを騙して、生け贄に?」


 代表の行商人は、驚いたように目を見開いた。


「それは、それは」

「教会はあたしたちに機会を与えてくれたのに、ひどい話だろ? こんな女、置き去りに――」


 だが次の瞬間、彼はふと笑みを浮かべた。


「馬鹿な女なりに知恵があるんだな」


 思いがけない言葉に、女たちがぴたりと口を噤む。


「え……?」


 男が突然雰囲気を変えたのは、そのときのことだった。


 ――どかっ!


「きゃああ!」


 荷車の脇に積んであった木箱をいきなり蹴り倒され、リタたちが悲鳴を上げる。

 行商人は、先ほどまでの気さくな表情からは一転、侮蔑も露わに女たちを見下ろした。


「わかってるなら結構じゃねえか。生け贄らしく、大人しくしとけよ。騒ぐな」

「な……っ、なっ、何言ってんだい!? あたしたちは、教会に選ばれた魔女候補――」

「あったま悪ぃなァ」


 震える声で反論したリタたちを、行商人はだんっと足を踏みならすことで制した。


「『魔女』の代わりは何人もいらねえだろうが。一番演技がうまくて色気のある女は『アデル』になれるが、落ちたヤツはほかに回されるんだよ」

「ほ、ほか……っ?」

「最強の魔物――ドラゴンの生け贄だ」


 男はにやりと笑い、ざわめく女たちをすり抜け、アデルを見た。


「そっちの嬢ちゃんは見抜いてたようだがよ」

(誤解です!)


 アデルは叶うなら叫びたかった。


 今自分はレイノルド・サイコパスの話をしていたはずだ。

 なのになぜいきなり、ドラゴンだなんて話が出てくるのか。生け贄とはなんだ。


 だが、すぐ近くの箱を蹴られた恐怖のあまり、腰が抜けてしまって声が出ない。

 幸か不幸か、感情も出ない体質のアデルを男はどう受け止めたか、鼻白んだように唇を歪めた。


「ふん、澄ました顔しやがって。この程度じゃ怯えませんってか?」


 代わりのように、それまで一番威勢よく喚いていたリタの髪を掴み、ぐいと引き寄せる。


「知ってるか? ノルドハイムの奥深くにある北五番教会ってところにはな、怖ぁいドラゴンが棲んでるんだよ。時々魔力を持った生け贄を食わせないと暴れちまう。でもまさか、王都の貴族様なんかを捧げるわけにはいかねえだろ? だから、異国の血混じりのあんたらがうってつけなんだ」

「――……っ、クソが!」

「なんとでも。そうだ、生け贄には一番魔力が高い女が望ましいって、教会のお偉方が言ってたぞ。ならあんたが適任かもな。この中でボス猿を気取ってたリタ姐さんよ?」


 至近距離で凄まれて、リタがさっと顔から血の気を引かせる。

 行商人は満足そうな笑みを浮かべて手を離すと、わざとらしく服で拭った。


「よぉし、想定外に1人増えたことだし、早速1人、ここで落としておくか」

「!?」

「ドラゴンの餌にするやつを1人決めろ。ほか5人は港まで連れてってやる」


 荷車に立ったまま、くいと背後を指差してみせる。

「あそこに見える辻で、この馬車は二手に分かれる。『アデル』役の選抜会場である東の港と、ドラゴンのいる北五番教会にな。それまでに、誰がどっちに行くか、あんたらで話し合って決めてくれ」


 男は、籠の中に閉じ込めた虫でも見るように笑った。


「生け贄は、10日後の『餌やり』で食われる。港に向かった5人は、少なくともあと半月は生きられる。嫌なら全員、ここで野垂れ死にな」


 言うだけ言って、男はさっさと荷車を降りてしまった。


「そ、そんな」


 残されたリタたちは震え上がる。


 それはそうだ。

 彼女たちは皆、希望に胸を膨らませてこの荷車に乗り込んだのに、希望の先には死が待っていると突き付けられたのだから。


 まさか「アデル」になれなかった途端、魔物に食われる運命だったなんて、誰が予想したことだろうか。


「い、いやよ、あたし……」

「あたしだって! そ、そうよ、あたしの魔力なんて微々たるものだもの、生け贄にもなれないわ」

「それを言うならあたしだって、魔力なんて使えない! 玉の輿に乗りたくて演技してたんだ!」


 青ざめた女たちが口々に叫び出す。目は恐怖に血走り、口からは唾が飛んでいた。

 そのときである。


「あの……」


 先ほどまで激しく噎せていた女が、不意にすっと手を挙げたので、一同は思わず動きを止めた。


「なら、私が……」


 一語一語を囁くような、掠れた声。

 あまり表情の動かぬ、物憂げな雰囲気を漂わせた彼女は、煙るような黒い瞳で周囲を見回した。


「私が、北五番教会に向かう、ということで、ここはひとつ……」


 静かな、けれど揺るぎない物言いに、リタたちは息を呑む。

 まさかこの局面で、自ら手を挙げる人間がいるなんて。


「あ、あんた。自分が何を言ってるか、わかってるのかい!?」

「もちろん……」


 女はあくまで物静かな気配を崩さず頷いた。


「むしろ、それが、目的だったというか……。幸運でした」


 静かな表情の裏で、アデルは内心、歓喜のポーズを決めていた。


(港どころか、元々の目的地だった北五番教会まで連れていってくれるなんて、超ラッキーじゃない!?)


 そう、行商人の発言は、彼女には渡りに船としか響かなかったのだ。

 教会には恐ろしいドラゴンが棲んでいるなどと言われたが、それならすでに予知で見た。


(そのドラゴン、残念だけど倒されてたから)


 腕輪の示す時期は近かった。


 現在は12月17日で、予知夢でドラゴンが倒れていたのは腕輪一本の時期――すなわち、12月10日から19日までのどこか。


 ということは、ドラゴンとやらは、10日後にアデルを食らうどころか、2日以内に成敗されるだろう。


 予知夢の中で自分は「嘘でしょう、エミリー」と言っていたから、おそらく、追いかけてきたエミリーが倒してくれるのだ。

 ということは、教会に住み着くドラゴンを恐れる必要はない。


 むしろアデルが恐ろしいのは、うっかりレイノルドと引き合わされ、四肢断絶拷問死の予知が実現されてしまうほうだった。


「目的……?」

「とにかく、私のことは、全然、気にしないでください」


 戸惑いに目を瞬かせるリタたちのことを、力業でごまかす。


 実を言うと、事情を知らない彼女たちに「アデル」役を押し付けてしまうほうが心苦しかった。

 このまま彼女たちのうち誰かをレイノルドに引き合わせてしまったら、いったいどんなに酷い目に遭うだろう。

 アデルがされたみたいに、出会い頭に攻撃されてしまったら。


 それはさすがに申し訳なさすぎるというか、罪滅ぼしの一つもしておくべきではないか。


(そうだ!)


 アデルはふと閃き、やおらコートを脱ぎはじめた。

 道中でエミリーに買ってもらった、ふかふかの上等なものだ。


 ――このコートには、レイノルド避けのちょっとしたおまじないをしておきましたから。

   どうか、肌身離さず着ていてくださいね。


 仕事ができるエミリーは、高価なコートを躊躇いもなく購入し、しかも「レイノルド避けのおまじない」とやらまで施してからアデルに贈ってくれた。


 詳細は聞いていないが、精神感応能力を持つ彼女のことだから、きっとレイノルドから姿を隠してくれたり、気配を消してくれたり、そうした機能を持つものなのだろう。


(ということは、これを持っていれば、レイノルドからいきなり襲い掛かられても平気なはず!)


 最初に「自分たちはアデルのふりをさせられていた偽物です」と釈明の時間さえ確保できれば、さすがにレイノルドも無関係の人間を襲わないはずだ。


 アデルは内心で「よし」と頷き、コートをふわりとリタたちにかぶせてやった。

 5人全員は入らないが、身を寄せ合えば3人くらいは毛布としても使えそうな大きさだ。


「これを、あげる……。多少は、あなたたちの、身を守ってくれると思うから。怖いと思ったら、これにくるまってね……」

「えっ!?」


 ぎょっとしたのはリタたちのほうである。

 彼女たちからすれば、目の前の見知らぬ女が、生け贄役を代わってくれるばかりか、明らかに上等と見えるコートまで譲ってくれるというのだから。


「な、なんで、そこまで」

「いいえ……。これが、私にできる精一杯で、心苦しいわ……」


 リタたちがまごついていると、相手は物憂げに睫毛を伏せる。

 それから、心から申し訳なさそうに思っているのが伝わるような、丁寧な口調で話しかけた。


「とにかくこれで、時間を稼いで……。そしてもし、レイノルドと、会ったなら、真っ先に、自分は『アデル』なんかではないと、否定して、正体を明かして……。いい? そうすれば、きっと、安全だから……」


 一語一語をゆっくり紡ぐ話し方は、まるで何かの予言のようだ。


 あまり表情が動かず、囁くように話す静謐な女。

 先ほどしきりと咳き込んでいたことからも、病弱なのかもしれない。

 彼女からは、儚げで、どこか神秘的な雰囲気が漂っていた。


 もしかしたら卑俗な世界との関わりを断った聖女とは、こうした雰囲気なのだろうか。

 まるで、何もかもを見通し、下賎な存在にもそっと慈悲深く手を差し伸べるかのような――。


予知能力、、、、と、慈悲深さ、、、、?)


 そのとき、ある単語が引っかかり、リタはふと顔を上げた。

 まじまじと目の前の女を見つめる。


 艶やかな黒髪に、世界を憂えるような黒い瞳。

 物静かで神秘的で、そっと耳に染みこむような、掠れた囁き声で話す人。


 未来を見通し、自身の危険も顧みずに、弱者に手を差し伸べる――。


(まさか)


 リタは呆然として口を開いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る