22. 寂れた町のあとしまつ(1)

 アデルは町歩きというものが大好きだった。


 町の中心にはたいてい教会があって、大きな広場がある。

 噴水や鐘楼があって、そこに人が集って、さらにその人々を満たすための店が集う。


 果物を売る店、軽食を売る店、花を売る店、宝飾品や服を売る店。

 屋台と路面店が入り交じり、道にはたくさんの看板が突き出ている。


 人々は大量の麻袋を抱えていることがほとんどで、時々はみ出したバゲット同士がぶつかったり、林檎が石畳を転がり落ちたりするのだ。


 パン屋から漂う香ばしい匂いを吸い込みながら、人々が生み出す喧噪に聞き入る。

 追いかけっこをする子どもたちや、街角に立つ大道芸人を見かけると、それだけでわくわくと胸が躍る心地がしたものだ。


 町は教会を中心にできている以上、堂々と魔女のローブをまとって歩くことはできなかったが、外国に接したこの東の町・エーベルトは異国の魔力持ちに寛容で、こっそり薬草売りや占いに励む程度なら、黒髪黒瞳のアデルでも咎められはしなかった。


 特にレイノルドを連れ歩くようになってからは、若い娘の客が絶えず、周囲の売り子たちにもずいぶん親切にしてもらったものである。


(今日はレイノルドがいないから、サービスは期待できないけど、甘い物でも買おうかな)


 逃亡中、兼、未来を変えるための挑戦中だが、焼き菓子を買うくらいの余裕はあるだろう。

 アデルは先ほどまでの落ち込んだ気分からは一転、そんなことを考えて相好を崩した。


 エーベルトは町の周囲を背の高い石壁で囲われており、4カ所ある門はいつも混んでいて難儀したものだったが、見た限り、眼前の南門には、今日は行列もできていない。

 これは幸運だ。


(7年の間に、門番がスムーズに仕事をする人に変わったのかし、ら――)


 だが、いよいよ町の門に近付いたアデルは、眼前に広がる光景に絶句してしまった。


 毎日磨かれて艶々としていた石壁は、雑草だらけで今にも崩壊しそうなほどひびが入り、偉そうにふんぞり返っていた門番は、怯えた顔つきで、槍を杖のようにしながら立っていたのだから。


「ど、どうしたの……」


 呆然と呟くが、隣を歩くエミリーはどこ吹く風だ。

 早く行きましょう、と促され、釈然とせぬまま町の内部に入ると――門番はろくにアデルたちを検めすらしなかった――、そこで再び愕然とする羽目になった。


「なに、これ」


 活気溢れていたはずの大通りには人っ子一人おらず、誇らしげに突き出ていたはずの看板のほとんどがなくなっていたのである。


「ああ。皆、店じまいしたんです。さあ、師匠。北門のほうの馬車止めはまだ営業しているはずですから、早く町を抜けてしまいましょう」


 エミリーは事もなげに答えると、南門から北門に向かって歩き出した。


(も、もしかして、今日って安息日だったかしら?)


 教会を中心に広がるこの町では、聖主教の定める暦が絶対だ。

 7日に一度定められた安息日には、基本的に仕事をしてはいけないことになっている。


 それでも安息日には、羽を伸ばした職人たちが町歩きをしたり、女性たちが井戸端でおしゃべりに興じたり、抜け目ない物売りたちがそうした客相手にこっそり軽食を売っていたりしたものだが。


 だが、中心部に差し掛かり、町で一番立派だったはずの教会が、手入れもされず雑草まみれになっているのを見て、アデルはあんぐりと口を開けてしまった。


「い、いったい、どうしたの……? まるで、廃墟じゃない……」


 ここは東十番教会。

 東の町エーベルトや、アデルたちの住む東の森一帯を教区に持つ、そこそこ大きな教会だったはずである。


 なのに今や、石壁や石畳の間からは雑草がはみ出し、ところどころ崩れている場所すらある。


「教会は寂れているし、人はいないし……、店もみんな、閉まってる。もしや七年の間に、エーベルトは、魔王の侵略でも受けた……?」

「レイノルドですよ」


 エミリーは相変わらず歩調も緩めぬまま答えた。


「7年前、あることが原因でぶち切れてしまった彼が魔力を馬鹿みたいに使って、この町を孤立させてしまったんです」

「は……!?」

「ほら。見てください、あの北門の近く」


 エミリーは淡々と、道の先に見えてきた北門を指差した。


 いや、北門だったもの、と呼ぶほうが正しいかもしれない。

 高くそびえ立っていたはずの石壁はぼろぼろに崩され、その先には断崖と、頼りない吊り橋しか見えなかったのだから。


「もともと北門からは、北の大都市・ノルドハイムに続く国道があったでしょう? でも彼、魔力でエーベルト周辺の大地を抉って、全部崖にしてしまったんです。石壁に覆われていて気付かなかったでしょうけど、この町はもう、南門しか外部と道が繋がってないんですよ。ほぼ、孤島状態です」

「は……? はい? え……?」


 次々披露される衝撃的な情報に、アデルはなんと相槌を打つべきかわからなくなってしまった。

 本人の身体感覚としては、つい数日前まで栄えていた町なのだから、なおさら。


「北との経路は、あの頼りない吊り橋だけ。当然物流も途絶えます。唯一外部との道が残っている南門を使おうとすると、どうしても東の森――私たちの小屋の前を通らざるをえない。けれど商人はそれを避けたがるわけです」

「な、なんで……?」

「私が鬼のように高い使用料をむしり取るから」


 エミリーはふっと、薄く笑みを浮かべた。


「いやなんで……!?」


 アデルが声を裏返すと、エミリーはすぐには答えず、目を細めて町を見回した。


「この町、ときどき私たちも遊びに来ていたじゃないですか。ほかの町に比べれば異国人差別も少なく、いい町だと言って、師匠が気に入っていたものだから」

「そ、そうよ……。黒髪の私が、薬草を売っていても、エーベルトでは、告発も、されなくて……」


 金髪碧眼のエミリーや、茶髪のマルティンは知らないだろうが、あからさまに異国的な風貌を持つアデルは、王都付近の町では苦労したのだ。

 国境に近い東端の町だからこそ、エーベルトの人々は黒髪のアデルに寛容で、べつに親しみはしなかったが、ささやかな商売を許してくれた。


「特に、レイノルドを、連れていると……周りの、売り子の女の子たちも、すごく親切で――」

「その売り子集団のボス猿――もとい、商工会副頭取の娘の、赤毛の子を覚えていますか?」

「赤毛の? ああ、エラ!」


 記憶を照合し、アデルはすぐに思い出した。

 アデルたちが街角で薬草販売や辻占いをしていると、しょっちゅう声を掛けてきて客になってくれた女の子がいたのだ。


 よそ者のアデルたちに大変親切で、町の住人にしか与えられないはずの出店許可証をくれたり、ほかの女性陣に声を掛けて客を引っ張ってきてくれたりした。

 意外に恥ずかしがり屋で、女性には買いにくい物品の購入をアデルに頼んできたり――避妊具ばかり買わされたので変な男にアデルがつきまとわれて難儀した――、しかも方向音痴のようで、彼女の地図に従うとたいてい道に迷ったものだったが、アデルからすれば大変恩のあるお嬢さんだ。


「いたわねえ……。親切で、ちょっと、おっちょこちょいのエラ……」


 エミリーは一瞬、酸っぱいものでも含んだような顔をしたが、「その子たちが」と、平坦な声で続けた。


「7年前、教会がレイノルドの調査を始めたとき、調査員にこう伝えたんだそうです。『レイノルドはあんな魔女の弟子に収まる器じゃない』、『きっと彼女に騙されているんだと思う』、『あの魔女はもともとはったりを得意としていたから、きっと洗脳しているんだろう』」

「え……」


 アデルは顔を歪めた。

 ヴィムの一件があってから、教会の調査がつくまで、妙に早かったとは思ったのだ。

 まさか町の女性たちが積極的に証言して回っていたとは。


(結構仲よくしてたと思ってたんだけどな……ショック)


 とはいえ、レイノルドを騙して教会から連れ去ったことも、はったりをきかせて「偉大な師匠」と彼に信じ込ませていたのも事実なので、アデルとしては何も言えない。


「その子たち、レイノルド本人にもそれを言ったんです。『本当は金髪なんでしょう?』、『可哀想に、勇者になっていたら、教会で贅沢な暮らしができたのに』って」

「うわあ……」


 アデルは額に手を当てて呻いた。


(なるほど、それもあってレイノルドは、自分が魔女に騙されていたと気付いてしまったのね)

「余計なことをしてくれたものです」


 一方で、低い声で語るエミリーはといえば、蘇る怒りを抑えるのに必死だった。


 精神感応能力を持つエミリーは、レイノルドが自発的にアデルに付いてきたのを知っていた。

 彼が教会を憎悪していたこともだ。


 勇者となれば贅沢三昧ができると知っていたうえで、それを擲ったのだから、今さら「贅沢暮らしができたのに」と言われたところで、「だからどうした」としか思わなかっただろう。

 それより彼は、女たちを憎んだはずだ。


 当然である。

 彼女たちの証言が、「勇者を攫い洗脳した魔女・アデル」の罪状を作り上げてしまったのだから。


(売り子たちは、レイノルドが師匠しか見ていないことに嫉妬して、調査員に訴え出た。ほかにも、師匠がお人好しであるのをいいことに、さんざん嫌がらせをして――許せない)


 エミリーはもちろん、エラたちの悪意も見抜いていた。

 だからこそ、彼女たち、そして彼女たちが住まう町がこんな憂き目に遭っても、一切の痛痒を覚えないのである。


 レイノルドの執着ぶりのお陰で霞みがちだが、エミリーもたいがい、師匠愛をこじらせた人間であった。


「中でもエラが、しつこく彼に言ったのです。『あなたの人生はめちゃくちゃにされてしまったのね』とか、『あなたクラスの人間なら、どれほど贅沢な暮らしが待っていたことか』とか。それでレイノルドが激怒して、この有様です」

「そこで……激怒、したのかあ……。なるほど……なるほどお……」


 アデルは頭を抱えた。

 彼女はエミリーの説明をこのように捉えたからである。


(「あなた騙されてますよ」って事実が衝撃的すぎて、教えてくれた人を攻撃しちゃったってことでしょ? それ、完全に逆恨みじゃん、レイノルドぉおお……!)


 実は予知能力を持つアデルも、よく似たような目に遭ってきたのだ。


 不吉な予言、たとえば「友人に騙されて破産しますよ」とか「奥さんの不貞が理由で離婚しますよ」だとかを伝えると、なぜか客は、加害者の友人や妻を憎む前に、まず、そんな内容を伝えたアデルに憎悪を向けてくるのである。


(水を掛けられたこともあったし、殴られたこともあったなあ。あの手の指摘って、一番慎重にしなきゃいけないのよー!)


 アデルはエラたちに心から同情し、また申し訳なく思った。

 ただ事実を指摘しただけなのに、まさか逆恨みで町ごと壊滅させられてしまうだなんて。


「それはあんまりでしょ、レイノルド……」


 マルティンが、末弟子がやらかしたことの後始末を要求してきたのも、よくわかる。

 アデルは唸ったが、エミリーは涼しい顔で「そうですか?」と肩を竦めるだけだった。


「私はべつに、商流を途絶えさせるくらい、問題ないと思いますけど。だって彼女たちが訴え出たせいで、師匠は捕らえられたんですよ。こんな町、滅びればいい」

「エミリー!?」


 二番弟子の冷たすぎる発言を聞き、アデルはぎょっとする。


 甘えん坊で泣き虫の二番弟子が、なぜこんな言葉を吐くようになってしまったのか。

 もしやこれもレイノルドの影響なのだろうか。


「いや、だめでしょ……! 私を思ってくれるのは、ありがたいけど、でもだめでしょ! むしろ、巻き込まれた、町の皆さんには、お詫びして、今からでもできることを、していかなきゃ……! ひとまず、使用料の搾取は、やめなさい……!」


 がくがくと肩を揺さぶると、二番弟子はきょとんとし、それから、切なげに目を細めた。


「師匠は……」


 淡く苦笑を浮かべ、肩に触れたアデルの手に、そっと手を重ねる。


「本当に、師匠ですね」

「どういう意味……!?」

「ひとまず、さっさとノルドハイムの北方教会に行ってしまいましょう。この町を再建してもいいですが、今は予知回避が先決です」


 でも、と渋るアデルに向かって、エミリーは器用にウインクを決めてみせた。


「大丈夫。少なくとも使用料をむしり取るのは、もう止めますから」


 ずいぶんと大人びた仕草だった。


「そう……?」


 アデルはほっと胸を撫で下ろす。


 この町の北門を直してやって、どうにか商流を戻してやりたいが、自分にそんな魔力はない。

 たしかに、まずは物騒な未来を回避し、それから償いに着手したほうがいいだろう。


「こちらへ。馬車は町の中に入れないので、御者だけが北門付近に駐在していて、馬車自体は吊り橋の向こう側にあるんです」


 エミリーも意識を切り替えてしまったらしく、てきぱきと案内する。

 北門で御者に話を付けると、さっさと吊り橋を渡りはじめた彼に続くようアデルに言った。


「さあ、師匠」

「ひぇ……、こ、これを、渡るの? 7年で、もう少しマシな橋は、建てられなかった……?」


 アデルが尻込みするのは、荒縄に板を渡しただけの吊り橋が、あまりにも貧相だったからだ。

 一人ずつ渡るならなんとかなるだろうが、腐蝕している板もあり、しかも抉られてできた崖はあまりにも深く、高所恐怖症気味のアデルには、あまり渡りたい代物ではなかった。


「レイノルドがその後再建を許した橋が、これだけだったんですよ。最低限の食料は持ち込めて、町からの脱走も可能で、でも馬や馬車は通れない強度。絶妙ですよね」

「す、すごく、性格が、悪いと思う……!」

「同感です」


 自分だって橋の補強も交渉もしてやらなかったことを棚に上げ、エミリーは神妙に頷いた。


「さあ。あまりのんびりしている時間はありません。しんがりは私が務めますから」

「う、うう……! 弟子にしんがらせちゃって、ごめんね……!」


 奇妙な言い回しでそれに応え、アデルはなんとか吊り橋を渡りだした。


(ひいい……っ、怖い! 町の人たちは、ずっとこんな思いをしてきたってこと? これは本当に、どうにか始末をつけなきゃ)


 だがいったい、どうすればいいのだろう。


 とにかくレイノルドの怒りを解けばいいのだろうとはわかるが、彼との関係がここから劇的に改善するとも思えない。

 それでも、ひとまず予知を回避したうえで、誠心誠意詫びるしかないだろう。


 御者に遅れること10分もかけて橋を渡り終え、最後にやって来るエミリーを待つ。

 ほっそりとした二番弟子は、なんの恐怖も抱かぬ様子ですたすたと橋を渡ってくるのだが、それでも彼女の足音に合わせて荒縄がぎしぎし軋むのが不安でならず、アデルはつい、橋際に巻き付けられている縄を凝視してしまった。


 どうもこの縄、強度がいまいちな気がする。


(き、切れたりしないよね……?)


 蛇は三人目の人間が通りかかった瞬間に噛みつくという。

 それと同じノリで、御者、アデル、エミリーときた瞬間に橋が落ちたらどうしよう。


(考えたくもない! エミリーは私が守る! ついでにこの町への償いもする!)


 アデルにとって、エミリーはどれだけ大人びようと、愛らしく泣き虫で甘えん坊の少女だった。


 手にしていた旅行鞄からスカーフを取り出し、縄を補強するようにぐるぐる巻きにする。

 そういえばこれは、以前弟子の誰かと町歩きをしたときに、売り子からおまけでプレゼントされたものだった。


 そうとも、この町にはそうした素敵な思い出もあるのだから、せめて吊り橋の補強くらいしなくてはならない。


「師匠、何をしているんですか?」

「橋の、補強よ……。弟子がやらかした、後始末をするのも、師匠の役目。町のためになることを、少しでも、と……」


 屈み込んでスカーフを巻き付けていたら、近付いてきたエミリーに声を掛けられる。

 答えようと身を起こした瞬間、布が旅行鞄の金具に引っかかってしまった。


「あ……!」


 スカーフがびんっと引っ張られ、せっかく巻き付けたのがはらはらと解けていきそうになる。

 なんとか金具から外そうとするのに、不器用なアデルの指先で、布はさらに絡まって結び目を狭めてしまい、もはや手ではどうしようもなくなってしまった。


「んもう……!」


 仕方がないので鞄の隙間から携帯用のナイフを取り出し、布の一部を切り取ろうとする。

 わたわたしていると、突然ペースを上げたエミリーが橋を渡り終え、がっと肩を掴んできた。


「何をしているんですか! そんなことをしている場合ではありません!」


 へ? と顔を上げると、二番弟子は険しい形相で橋の向こうを振り返っている。


「まずい、来ます!」

「来るって、何が……?」

「決まっているじゃないですか」


 エミリーは幼子を叱るような口調で答えた。


「レイノルドですよ! 馬鹿みたいに強い魔力……、もうこの町の南門近くにいます!」

「えっ! もう……!?」


 アデルがぎょっとして立ち上がった、その瞬間である。


 ――ざくっ!


 不穏な音がした。

 アデルが握っていたナイフを滑らせ、うっかり橋の縄を切ってしまったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る