第24話 令嬢は商業ギルトに赴き②

 ガレフは私の気圧に動じた様子を見せず、穏やかな微笑みを浮かべて、頭を下げた。


「気を悪くされましたらお詫び申し上げます、公爵令嬢。私はかつて、亡き公爵夫人とこの店舗の売買契約を交わした商人でございます。幸いにも職員としての経験があり、この案件について詳しい事情を把握しております。勝手ながら、内情を知る私が手続きを行う方が、貴女の事情を知る人も少ないと思いまして。」

「ふん……貴方が、お母様と契約を交わした商人なのね」


 味方に聞こえるが、その裏には何を隠している?


 私は冷静を装いながら、再び椅子に腰を下ろした。仮面の下で心を平静に保とうとしながらも、胸の奥にある疑念は完全に消し去ることができなかった。


「実は、当初公爵夫人と当契約を交わせる時に、既に商業ギルドの了承を得て、公爵夫人がもしお亡くなりになった際、私が最後の本人確認の手続きを務めることになっていたのです」


 お母さんが事前に全て手配してくれた?

 しかし……お母さんが亡くなった今、彼の一方的な言い分を鵜呑うのみにするわけにはいかない。まだ幼い私と、未成年のメイド二人だけでは、尚更騙され安いと思われるかもしれないのだから。


 言葉を重ねれば重ねるほど、間違いが増えていく。

 いつ虚偽きょぎで塗り固めた外殻がいかくの下にある弱い自分を露呈してもおかしくない以上、とにかく先に手続きを終わらせることが先決せんけつだろう。


「じゃあ、早く手続きを済ませてちょうだい。わたくし、暇ではないのですから」

「はい、かしこまりました」


 ガレフは、微塵の乱れも見せず、商人らしい落ち着いた笑顔で答えて、私たちの向かいの席に腰を下ろした。

 流れるような動作でハンドバッグを開け、そこから証明書サイズの四角い台座、書類、ペンなどを取り出すと、それらをテーブルの上に丁寧に並べていく。


「まず、フリージア様がお持ちの店舗の所有権証明書を、こちらの台座に置いていただけますでしょうか?これは証明書が偽造されていないかを確認するための検証の魔導具です」


 そう言いながら、台座の表面を手で軽く示しながら、私に証明書をそこに置くよう促した。


「ふん、そうなんだ」


 私はゆったりとした口調で、そう返したものの、実際には緊張で手が汗ばんでいた。

 マントの下でそっと手をハンカチで拭き、服のポケットから半分に折り畳んだ証明書を取り出し、それを台座の上に置く。


 ガレフは少し書類の内容に目を通した後、台座の脇にあるボタンを押した。すると、証明書が青く光り、有効性が確認されたことを示した。

 彼は続けて台座の左上から装飾品のようにも見える透明なガラス球を取り出した。それを所有者のサインに当てると、ガラス球の中に淡い青い光が浮かび上がり、流れるように広がっていった。


「こちらは重要な書類を確認する際に、当事者の魔力を記録するための魔導具です。公爵夫人が登録された際に上級魔術師の方に、お腹にいらしたフリージア様の魔力の波長をこのガラス球に記録されました」


 彼は私に考える余裕を残るように、少し間を空けてから、説明を続ける。


「人の魔力の波長は、成長しても基本的には変化しません。故意に偽造しようとしても、このガラス球には偽造防止の魔術が施されていますので、ご安心ください。貴女様の魔力を流していただき、波長が一致すれば、貴女がフリージア様本人である証明となります」


 親子なので、魔力の波長が似ていることもあって、遺産継承契約の際に使用される親子認定用の魔導具を利用するかと思っていたが。

 どうやら所有者のサインは私の名前で、お母さんが代筆で書いたものだが、魔力の波長は私自身のもののようだ。


「これね……分かったわ」


 私はガレフの説明を耳にしつつ、少し緊張が解けた。

 この台座やガラス球は、以前ヴァルハン村で職員たちが使用しているのを見たことがあった。小細工の類はなく、正当な手続きができる事に安心したのだ。


 私は手を伸ばし、ガラス球にそっと触り、自分の魔力を流し込んだ。直ぐにガラス球はスムーズに新たに流れる魔力を受け入れ、融合していった。


「これでよろしいかしら?」

「はい、ありがとうございます、フリージア様。店舗の所有権証明書は正式に貴女の名義として登録されています」


 続いて、彼は銅製の鍵を差し出してきた。


「こちらが店舗の鍵です。いつフリージア様がお訪れになるかわからないため、他人の侵入を防ぐために守りの結界を設置しております」

「ふん、そう、感謝するわ」


 私は尊大な態度のまま、ガレフから渡された鍵を受け取り、返した証明書とともに大切にポケットにしまった。

 胸の内には、ほっとした安堵感と、わずかな興奮がじわりと広がっていく。


 もう用事が済んでいるし、私が席を立とうとすると、ガレフは一枚の商人登録の書類をそっと私の方に差し出した。


「フリージア様、いずれ店を出すおつもりなら、今のうちに商人登録をされてはいかがですか?」


 その提案に、一瞬、仮面の下で隠された私の口がぽかんと開き、あやうく間抜けな「えっ」が出そうになった。


 指輪の空間に入れない以上、私は執拗にお母さんが残してくれたこの店舗を噛みついているだけで……特に商人の道を目指そうとも考えなかった。

 とはいえ、せっかく店の所有権を手に入れたのだから、このまま放っておくのはもったいない気がして。


 けれども、貴族令嬢が商人登録だなんて……

 それに店を開くとしても、どんな店を開くかも全然分からないし、何も知らない世界へ行くのが怖いわ。


「……そうね、考えてみる価値はあるわね」


 そう答えたものの、心の中はまだ揺れている。

 ガレフはそんな私の迷いを見透かしたように、穏やかな口調で話を続ける。


「フリージア様、商人登録は単にお店を開くためだけのものではありません。実は身分証明としての役割も果たしています。登録自体はそれほど難しいものではなく、一定の金額或いは物品を担保として提供できれば、商人としての身分を得ることができます」


 身分証明――その単語に、少し惹かれた。

 屋敷の外に出る時、もし『公爵令嬢』以外の身分証があれば……


「また、偽名を使う方も珍しくありません。商人の身分証を持っていると、城下町での活動が格段に便利になれます。場合によっては素性を問われることも、少なくなります」


 さすが商人、口が上手なこと。

 既に屋敷の外の世界を知った私が、またいつか屋敷を抜け出すことになるかもしれない。


 それに、冒険者ギルドに依頼して魔術の先生を雇い、定期的に講義を受けるとなれば、屋敷を離れることも多くなるでしょう。

 だが、ガレフが何の意図もなくこの提案を持ちかけるとは思えない。

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