第2話 閉ざされた心
「とんでもない男が来たものだわ」
自室のベッドに身体を投げ出し、アレグレットは呟いた。
メーデル家に五十年近く仕えてくれている侍従長のジョンに、あの男を早く追い出すように言ってきたが、断られてしまった。
どうも彼はメーデル家の遠い親戚であるシェイン伯爵家からの紹介だったらしい。
てっきりあのジョンの悪趣味な侍従募集の張り紙を見てやって来た馬鹿かと思っていたのに。
そういう馬鹿は、ことごとくアレグレットは追い出すことにしている。
父オルディスが王城の仕事が忙しく、屋敷にほとんど帰って来ないので、この屋敷を守るのはアレグレットの役目なのだ。
得体の知れない奴を置いておく訳にはいかない。というか、他人をこの屋敷に入れたくない。
そのせいでメーデル家は使用人不足に陥り、毎日ジョンの小言に悩まされているが……。
(仕方ないじゃない。人間なんて、心の中を覗けば醜い生き物だもの……)
アレグレットは、普通の人間とは違う。
他人の心の声が聞こえるのだ。
普通、誰もが気味悪がるこの能力のことを、優しい母ユリアは神様の贈り物なのだと言った。
『アレグレットが誰かの悲しみや苦しみに気付いてあげられる優しい子だから、神様があなたのために心の声を聞かせてくれているのよ。母様は誇らしいわ』
アレグレットは、母に言われたこの言葉が嬉しくて、誰かの役に立てる人になりたいと思った。
しかし、そんな言葉をかけてくれた母はもういない。
アレグレットが十二歳の時に病気で亡くなった。それだけでもショックが大きかったのに、母の葬儀に参列した人達の心の中に闇を見てしまった。
貴族の出ではないのに公爵家にいるのは分不相応だった、男子を産めば少しは役に立ったのに、そんな声があちこちから聞こえてきて、アレグレットの心は崩壊した。
それから、アレグレットは自分の部屋に引きこもり、両親が一番信頼していたジョン以外の人間を屋敷から追い出した。
もう誰の顔も見たくなかったし、誰の心の声も聞きたくなかった。
何も見えない、何も聞こえない闇の中が落ち着いた。
そのまま、自分が闇に溶け込んでしまえばいいとも思っていた。
そんな風に心を閉ざせば、他人心の声が勝手に聞こえてくることはなくなった。他人の身体に触れれば、直接心の声が流れ込んできてしまうが。
だから、極力人を避け、自分の感情を表に出さないようにしてきた。
そういえば、母が亡くなってから一度も笑っていない。
――笑い方も、忘れてしまった。
「あのデビットとかいう男、なんであんなに嬉しそうだったの……?」
あんなに純粋で眩しい笑顔を見たのは、久しぶりかもしれない。
しかし、あの心に声には正直引いた。
アレグレットは信者を募ったことはないのだが、いつの間にあんな熱狂的な信者がいたのだろうか。恐ろしい。
他人と関わりたくないのに、ジョンはいつまでも使用人を募集する。
心配してくれているのは分かるが、アレグレットにはジョンがいてくれればそれでいい。
「ジョンが追い出せないなら、私がやるしかないわね」
アレグレットは、デビットを追い出すための嫌がらせを考えることにした。
*
「あのお嬢様に耐えられる者がやっと現れた! ありがとう……あぁ、これでわしもゆっくり過ごすことができるわい」
感極まって涙を流す侍従長ジョンに、デビットは微笑んでみせる。
六十年メーデル家に仕えているジョンは、今でも老体に鞭打ってテキパキと仕事をこなす。そこに老いは全く感じられない。白髪混じりの髪と、顔に刻まれた皺だけが唯一、彼の歳を思い出させる。
「そんな……大袈裟ですよ。それに、感謝をするのは僕の方です」
涙を流すジョンの言葉に、デビットは首を横に振った。
昔、生きるために無茶ばかりしてきたデビットにとって、アレグレットの嫌がらせは可愛いものだ。
実際に、アレグレットは何度見ても見惚れてしまうほどに可愛い。
毎日が夢のようで、これが現実なのだと確かめられた時には、胸の中で幸福の花が咲き誇る。
その幸せは、デビットを雇ってくれたジョンのおかげでもある。
「謙遜しなくてもいいんじゃよ。シェイン家から侍従の紹介がきたときには驚いたが、君が来てくれて本当に助かっておる」
デビットは、メーデル家の遠い親戚にあたるシェイン伯爵家からの紹介だった。
どうにかしてアレグレットに近づく方法はないかとあれこれ考えていた時に、デビットが耳にしたのがシェイン伯爵の噂だった。
伯爵家当主でありながら、下町に家を持ち、庶民と同じように生活をしている変わり者。その噂を聞いた時、自分をアレグレットに繋げてくれるのはこの人しかいないと確信した。
そして、すぐにシェイン伯爵の家を訪ね、自分を貴族にふさわしい男にしてくれと頼み込んだ。
なかなか近づくことができなかったが、アレグレットの姿が忘れられずにいたデビットの熱意が伯爵に伝わり、シェイン伯爵家に養子として迎え入れられることになった。
デビットは下働きでもなんでもよかったのに、伯爵がやるならとことんやろう、と面白がってデビットを養子にしてくれたのだ。
陽気で時々とんでもないことを言い出す伯爵のもとで、デビットは十年間過ごしていた。
もし、あの時アレグレットに命を救われていなければ、こんな生活はなかっただろう。
アレグレットに出会ってから、デビットの人生には希望の光があふれている。
今まで自分がしてきたことをすべてなかったことにはできないが、きっかけさえあれば人は変わることができるのだとアレグレットのおかげで気づくことができた。
「それに、君が来てからお嬢様の表情にも変化がみられるようになった」
心の内に引きこもってしまったアレグレットが、最近になって少しずつではあるが感情を表に出すようになってきた。
そうしなければ、しつこいデビットを追い払うことができないからなのだが、きっとこれは良い傾向だとジョンは思う。
「デビット君、これからもお嬢様のことを頼むよ」
「もちろんです!」
お嬢様の話をすると、やはり本人に会いたくなる。デビットは、ジョンの話を上の空で聞きながらアレグレットの姿を思い浮かべていた。
彼女のために自分は何ができるだろう。
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