第30話 最期まで
「囲まれたら背中は任せますね」
「私の背中もよ」
私たちは年老いた。
国王陛下にはウィリアムの孫が即位した。ミセル様とパルフィは政治からはもう退き、可能な範囲内で王族としてあちこちご訪問や視察を行っている。
通常は……護衛の寿命は長くない。歳をとって動きが鈍くなり任務中に命を落とすことも多い。引退を希望する者もほぼいない。ほとんどの護衛は任務の中で死ぬことを望んでいる。
私たちもそうだ。侍従長でもメイド長でもなくなり、普段は引退したミセル様たちのお側でできることをしている。そうして大規模な任務が生じた時は、囮役を願い出ている。
「時代は変わったのに、死んだほうがいい人間はいくらでもいるわね」
「潰しても潰しても、どこからか湧いてくるんですよね。……でも、そうせざるを得なかった方もいるのでしょうね。その道しか選べなかった人が」
「ええ。もう十分すぎるほど分かってるわ」
末端は特にそうだ。
分かっていて息の根を止める。
今回は女性の闇オークションが開かれると情報を掴んで潰しに来た。開催日やメンバーや見張りの配置など……調べたり潰す計画を立てる立場ではもうない。
建物の中では、仲間が生かすべき人間を捉え殺すべき人間を殺しているのだろう。私たちは逃げてきた人間を足止めし、見張りの目をこちらに向けて相手をするだけ。
「一人来たわね」
スープを口に入れるように、ごく自然にナイフを投げつける。逃げてきた男の足に一直線に突き刺さり、同時に見張りがこちらに気づく。
北側の見張りだけはもう息の根は止めてある。内部に仲間が侵入するために必要だったからだ。
「どうして私たちは死なないのかしら」
「さぁ。あなたのいた世界の登場人物だからじゃないですか」
紅い華が咲き、悲鳴をあげて人が倒れていく。消えて、と思う時にはもう急所へと突き刺さっている。見張りは末端ばかり。殺しても問題ない。
歳をとると脳がバカになっていくのだなと感じるようになった。ウッカリが増えて記憶が抜け落ちていく。私たちに残っているのは、殺しの技術だけだ。
「そろそろ終わりかしらね」
「そのようですね」
夜の闇の中に、動かなかったモノがたくさん……。
「最初にここに来た時はね、神様からのご褒美だと思ったの」
「え?」
「美味しいご飯を食べて綺麗なドレスを着て素敵なアクセサリーをつけてお嬢様らしく生きて――そのうち病死する。贅沢をして死ぬだけ。最高だなって」
「死にたかったんですもんね」
「ええ、でも死ねなかった」
「今なら――死ねる。どうします? 一緒に死にますか?」
また一人、逃げてきたのがいるようだ。私たちが何もせず手を広げたなら、彼は私たちを殺してくれるだろう。相討ちにすることくらい簡単だ。でも――。
喉元にナイフを投げつける。私たちの闇の深さがそのままナイフの威力となり、また、地面が紅く染まる。今は夜、その紅は暗い。
「そういえば、これは前世で知った知識なのだけど――」
「はい」
イグニスは結婚してからもずっと丁寧に話す。もう癖になっているらしい。
「深海に住む生き物は赤が多いらしいわ」
「へえ、そうなんですか」
「水の中を深く潜ると光が吸収されていくのだけど、最も早く赤の光がなくなるらしいわ。赤は深海では黒のように目立たなくなるらしいのよ」
私の赤の髪はやや目立つ。深海だったならいいのになんて若い時はよく思った。
「海の中でなくてよかったですよ。あなたの美しい髪がよく見える」
「……もうかなり白髪混じりよ」
「一緒に過ごした月日を感じます」
赤は目立つのに、私たちを殺せるほどの手練れはもういない。目立つことを気にしなくてもよくなった。いつ死んでもいい立場だ。
でも――。
「一緒に死にたいけど、今じゃないわ」
「私もです。まだあなたの側にいたい」
私たちの歩む道は紅い。
仲間が私たちに合図を送る。どうやら終わったようだ。後始末も山積みだ。朝までに綺麗に片付けなければならない。
そういえば、最後に逃げてきた輩を殺しちゃったわね。拷問をする必要もない末端であるよう祈るしかないわ。これだから歳はとりたくない。ウッカリが多くなる。でも――、
「また戻れるようね。ミセル様たちの元へ」
「はい、この分だと見送る側になる可能性もありますね」
それもいいかと思う。
「ねぇ、ナタリー。本当にこの道でよかったんですか?」
たまに彼はそう聞く。
私の表情が、前に聞いた時と変わらないか確かめる。
「言ったでしょう。私は自ら望んで堕ちたのよ」
「もし――、あなたがまたどこかの世界へ転生したとして」
はい?
「違う生を生きるとして、私がそこにいたのなら――」
いないでしょう。
「一緒に生きてください」
来世でのプロポーズ?
「ええ」
少しだけ夢を見る。
人の生を奪わない、ごくごく普通の女の子の日常。大好きな恋人と手をつないでぶらぶら歩くだけのデートをして――。
友達、いなかったからな。カラオケとかも行ったことがない。イグニスは歌、うまいのかな。それともヘタなのかな。
「私もヤキがまわったようね」
年甲斐もなく、乙女みたいなことを考えてしまった。
「なんですか、いきなり」
「一緒に生きるわ、当然よ」
「はい」
今が幸せで――だからこそ、光の射す世界に少し憧れてしまう。
まるで少女のように。
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