第6話

「身体に気をつけるのよ。忙しいし通信が不安定なこともあるだろうけど、できるときに近況をメッセージしてね」

「うん! ありがとう、お母さん」

 成田空港の搭乗ゲートで、結愛と葉月が抱擁している。

「……」

 光汰はその後ろで涙を堪え、奥歯を噛みしめていた。

 今日結愛は、海外への派遣医師として遠い外国へと旅立つ。

 結愛の「大事な話」はそれだった。恋や結婚よりも、結愛は多くの人の役に立つことを熱望した。光汰はそれならば日本でもできるだろうと言ったが、日本は充分な医療体制があり、優秀な医師がたくさんいる。だが足りていない国がある。自分はまだ医師としては半人前だが、少しでも苦しむ人々の力になりたい。そうしながら学び、立派な医師になりたいと、まっすぐな瞳で言った。

 ────ああ、思えばこの子は、幼い頃から意志の強い瞳をしていた。

 保育園への道を歩きたがったときも、字の練習を始めたときも、中学受験を決めたときも、将来の進路を決めたときも。

 光汰は結愛を愛して見守ってきたつもりだったが、結愛はいつでも自分で決めていた。

「もう~お父さんってば、変な顔しないでよ」

 葉月との抱擁を終えた結愛が、笑いながらも困り顔をする。

「いや、うん、大丈夫。元気でな、応援するしかできないけど、いつも結愛のこと、思ってるから」

「……知ってるよ。ありがとう、お父さん」

「結愛……!」 

 結愛が笑顔で「ありがとう」を言ってくれた。眩しいくらいにかわいくて感動していると、

「……ん? なんだ?」

 ポケットに手を突っ込まれた。同時に、搭乗案内のアナウンスが流れる。

「じゃあ! 行ってきます!」

 ポケットから手を出した結愛は、その手を高く上げ、光汰と葉月に大きく振りながら旅立って行った。

「ぐ、うぅ」

 情けない。アラフィフの男が涙を止められずに、喉を震わせている。

「恥ずかしいったら……左のポケットにハンカチを入れてあるから、拭きなさいよ」

 葉月に言われ、鼻を啜りながらポケットに手を突っ込んだ。

 かさり。

 ハンカチと一緒に、四つに畳まれた二枚綴りの紙の感触が指に触れた。急いで取り出す。

「……手紙!?」

 それは、折り紙でもなく、メモ用紙でもなく、季節に合った薄桃色の便箋で、開くと文章面には桜の模様があしらわれていた。

 ────出発前に結愛がポケットに手を突っ込んだのは、これを渡してくれるためだったのか。

 光汰は新しい涙をぱたぱたと零しながら、すっかり大人の文字になった文章を目で追った。

「お父さん。ここまで見守ってきてくれてありがとう。素直になれなくて反抗した時期もあったけど、お父さんが私を大切に思ってくれている気持ちにいつも励まされてきました。結愛はかわいい、結愛は賢い、結愛はなんでもできる。お父さんがそう信じてくれていたから、私もお父さんを信じて難しいことに挑戦できていたんだよ。実際の私はまだまだだけど、これからもお父さんの言葉を信じて、できることを増やしていきます。頑張ってくるから、これからも私を見守っていてね」

 最後に「大好きなお父さんへ、結愛より」と書いてある。

 二枚目は心遣いの白紙だろうか。やはり結愛は大人になった。

 涙がとめどなく溢れてきて、手紙と一緒に取り出していたハンカチで拭う。それから、念のため二枚目を確認した。

「……え"っ」 

 鼻水が激しく垂れてきたいたせいもあるが、驚きでひしゃげたような声が出た。

「ちょっと、鼻水! 汚いから鼻をかみなさいよ、右側のポケットにテイッシュがあるから!」

 葉月に言われて、ほぼ反射的に手を突っ込んだ。

 がさり。

 するとこちらにも、畳まれた紙の感触。

 急いで取り出す。

 頭の中では、結愛の二枚目の手紙の文字が巡っていた。

「あっ……」

 それは、離婚届だった。


 

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