【連載】ピットファイター・クライシス ~賭け試合で生計を立てている若き最強の格闘家の俺、裏社会の連中に命を狙われていた元クラスメイトの美少女を助けたら、俺も一緒に命を狙われることになった件~

岡崎 剛柔(おかざき・ごうじゅう)

第1話   すべてを手に入れるゲーム

「この世のすべてを手に入れたくないか?」


 目の前にいる男からそんな言葉を投げかけられると、加納明菜かのう・あきなは眉間に皺を寄せながら怪訝そうに首を傾げた。


 男は自分のことを輝島とだけ名乗った。


 年齢は60代の前半ぐらいだろうか。


 頭頂部の髪の毛は薄く、禿頭の部分が多く目立つ。


 潰れたような鼻に鱈子のように分厚い唇。


 季節は秋口だというのに肌は日焼けをしたように黒い。


 身長は170センチ、体重は90キロを超えているだろう。


 予め事務所からは広告代理店の社長と聞いていたが、改めて男の身体的特徴を見るとなぜか心底納得してしまう。


 毎日、豪勢なご飯を食べているんだろうな。


 部屋の中央に設置してある高級なベッドの上で明菜は輝島の言葉に耳を傾けていた。


 ここは天魔町のメインストリートである華桜通りから外れ、閑静な住宅街へ向かう途中にある四階建てマンションの一室であった。


 広さは20畳。


 フローリングされた床の隅には身嗜みを整えるための化粧台が置かれ、その前には小型の冷蔵庫と座り心地が良さそうなソファが置かれている。


 その他には特に目立った調度品やAV機器はない。


 時刻は午後10時を過ぎているため、カーテンが開け放しの窓ガラスを通して夜空に浮かぶ綺麗な三日月が見えた。


「もう一度言うよ。この世のすべてを手に入れたくないか?」


「そんなことよりわたしを抱かないんですか?」


 ソファに深々と身を沈めていた輝島に、明菜は首を傾げたまま尋ねた。 


 明菜は今宵、事務所の社長から輝島に対して自分の宣伝を兼ねた営業をするように命じられた。


 もちろん、サラリーマンのように契約を取るような営業ではない。


 俗にいう自分の身体を一晩だけ相手に委ねる枕営業である。


 そのことに対して明菜は若干の不満と嫌悪を感じつつも素直に了承した。


 自分が足を踏み入れた世界は決して綺麗事だけが通じる煌びやかな世界ではなく、それこそ様々な事情が渦巻く煉獄の如き世界だと知っていたからだ。


 だからこそ社長から命じられた枕営業にも反論せずに承諾した。


 たった一晩だけ相手に身体を委ねるだけで、最初の一歩が約束される。


 それだけで明菜には十分だった。


 綺麗事が通用しない世界だからこそ、何よりも最初の一歩が重要になってくる。


 この最初の一歩を綺麗に踏み出せるか否かで、その後の人生が左右されるといっても過言ではない。


 ところが目の前にいる輝島は一向に事に及ぶ気配がなかった。


 その証拠に部屋に通されてから早一時間が経過している。


 最初こそ部屋に通されるなりシャワーも浴びせてもらえず、獣のように抱かれるのかと思っていた。


 だがそうはならず、部屋の中央に置かれていたベッドに座らされると延々と変な質問攻めにあったのみ。


 出身地から家族構成、高校を退学して今の事務所に入った経緯などを細かく訊かれ、今自分が思い描いている将来への漠然としたイメージなども訊かれた。


 そうこうしている間に一時間が経過し、一通り加納明菜という少女の身の上を聞き終えると、分厚い唇を半月形に歪ませて輝島は明菜に尋ねたのだ。


 この世のすべてを手に入れたくないか、と。


 輝島は深々と座っていたソファから身を乗り出し、ごつごつとした両指を空中で絡めながら首を横に振った。


「正直言って話しを聞くまでは君を抱く気でいた。しかし君の身の上話を聞いて気が変わってしまったよ。君は私のゲームに参加する権利を十分に持っている」


 ますます明菜は理解できなかった。


 この期に及んで何のゲームをするというのだろう。


 輝島は不気味な笑顔を作りながら言葉を紡ぐ。


「なあにゲームと言っても簡単な謎解きだ。日本語で読み書きが出来るのならば十分に解ける。どうかね、参加してみないか?」


「はあ……」


 正直、明菜はさっさと事を済ませてこの場から一刻も早く去りたかった。


 輝島と話をしていて薄々感じたことなのだが、どうも輝島がただの広告代理店の社長なのかが疑問に思えてきた。


 一見すると輝島の物腰や話し方は穏やかなのだが、言葉の節々に鋭利な刃物を想起させるほどの鋭さが垣間見えるのだ。


 そう考えるとこの部屋は猛獣を押し込めておくための檻であり、自分は猛獣の腹を満たすだけに放り投げられた餌ということになるのか。


 顔を下に向けてぶつぶつと呟いていた明菜に、輝島は優しく声をかける。


「何を深刻に考えているのか知らんがそんなに深く考えなくてもいい。ただ、ゲームに参加してくれたら確実に口を利いてあげよう。それは約束する」


 輝島の言葉を聞いて明菜は顔を上げた。


「そのゲームとやらに参加するだけでですか?」


「そうだ。自分で言うのも何だが私はそれらの関係者に知り合いが多くてね。私が頼めば新人の君でも役を与えてもらえるだろう」


 目の色を輝かせた明菜を真摯に見つめながら、輝島はもう一度言葉を投げかける。


「どうだい? 私のゲームに参加するかい?」


 一拍の間を空けた後、明菜はこくりと首を縦に振った。


「嬉しいよ。君ならばそう言ってくれると思っていた」


 輝島はのそりとソファから立ち上がると、スーツの胸ポケットから一枚の紙切れを取り出した。


 何の変哲もない葉書サイズの普通紙。


 その普通紙を輝島は明菜に手渡す。


 明菜は渡された普通紙に目を通す。


 ―――――――――――――――――――――


 精霊舟流る     一月の川


 息白く生きて    蛙の目超えて


 法師蝉しみじみ   下萌ゆと思ひそめん


 鶯の匂うがごとき  地の涯に倖せしありと


 闘鶏の眼つむれて  悲しさの極みに


 黒亀が百二人目の足元に蹲り、顔を覗かせるのを待ち侘びている

 ――――――――――――――――――――――


「これがゲーム……ですか?」


 普通紙に印刷されていた文から輝島に視線を移す明菜。


 輝島は満面の笑みのまま「そうだ」と頷いた。


「どうかね? 何かわかったかな?」


 内容に目を通して一分も経たないうちに解かるも何もない。


 現に明菜には文章を見ても一向に答えなど出てこなかった。


 規則的に並べられた、ただの意味不明な文字の羅列にしか見えない。


「先ほど輝島さんは簡単な謎解きだと仰いましたが、この紙に書かれていることを解くとどうなるんですか?」


 素朴な疑問だった。


 自分の身体を求めず、初対面の人間に謎解きをさせる輝島の神経が明菜には未だに理解できない。


「どうなるかは言ったはずだ」


 輝島は声のトーンを落として諭すように言う。


「この世のすべてを手に入れられる。それこそ、普通の人間が真面目に生きても一生拝むことの出来ない途轍もない力が……」


「途轍もない力?」


 明菜は輝島の言葉を反芻する。


 輝島が言うには、手渡された普通紙に書かれた謎を解けば絶大な力が手に入るという。


 だが輝島は強大な権力を持っているとはいえ一企業の社長に過ぎない。


 いくら何でもこの世のすべてを手にする力を輝島が持っているとは考え難かった。


 だとすると、自ずと答えが見えてくる。


 おそらく輝島は自分をからかって内心ほくそ笑んでいるのだろう。


 明菜はふとそんな結論に至ると、急激に身体の奥から熱が冷めていく感覚に見舞われた。


 最早、呆れるを通り越して恐怖すら感じる。


 企業の社長とは一皮向けば二回りも年が離れている少女に真顔で突拍子もないことを言い放つ人間に過ぎないのだろうか。


 などと思った矢先のことだった。


 突如、自分を正面から見据えていた輝島の顔が動いた。


 スローモーションのように緩慢な動きで顔を動かした輝島は、換気のために開けていた窓ガラスを見る。


 つられて明菜も顔を窓ガラスに向けた。


 すると明菜はつぶらな瞳を点にして硬直した。


 輝島と明菜がいた部屋は四階建てマンションの四階にあった。


 ベランダには鑑賞用のためか、ベンジャミンなどの観葉植物が三鉢ほど置かれている。


 そして普通ならば、そんなベランダに猫はおろか人間の姿が見えるなどありえなかった。


 当然である。


 自分たちがいる部屋を通らなければ、猫だろうと人間あろうとベランダに降り立つ手段などなかったからだ。


 ならば、なぜベランダに全身黒ずくめの人間が堂々と立っているのだろう。


 しかも右手には一目で分かる武器が握られていた。


 トリガーを引けば子供でも簡単に人が殺せる拳銃だ。


 その拳銃の先には、細長い筒のようなものが取り付けられている。


「な、何だ貴様は!」


 数秒の間隔を空けてようやく意識が通常に戻ったのだろう。


 輝島は体格に似合わず肉食獣の咆哮のような怒声を張り上げた。


 無論、怒声を浴びせた相手はベランダに佇む異様な人間にである。


 だが、全身黒ずくめの人間は輝島の怒声を無視して平然と部屋に入ってきた。


 そこでようやく明菜は闖入者の全貌を視認することが出来た。


 右手に黒光りする拳銃を握りながら部屋に入ってきた黒ずくめの人間は、顔が確認できないような目元だけに穴が開いた布製の黒マスクを被り、上半身にはポケットが多く目立つベストを着用していた。


 下半身にはカーゴパンツのような両太股の部位にポケットが縫い付けられたズボンを穿き、靴は登山でもするような頑丈そうなジャングルブーツである。


 見れば見るほど異様な格好だった。


 まさか隣の部屋には凶悪なテロリストが潜伏し、その情報を嗅ぎ付けた特殊部隊の一人が拳銃で武装しながら突入してきたかのだろうか。


 明菜はたった数秒の時間で脳裏に様々な思案を巡らせた。


 だが、どれもこれも真実味を得ない的外れな考えばかり。


 それもそのはず。


 隣の部屋には凶悪なテロリストなど存在するはずがない・


 万が一にもテロリストが潜伏している部屋に警察か自衛隊かの特殊部隊の人間が突入したとして、その部屋にいた民間人に身元も確認せずに堂々と拳銃を突き付けるはずはない。


 だったらこの黒ずくめの人間は何者なのか。


 ベッドの上で闖入者の正体を何とか特定しようと明菜が考えを巡らせる中、黒ずくめの人間と真正面から対峙した輝島は全身から怒気を振り撒いた。


「答えろ、貴様は何者だ! 俺の命を狙ってきたヒットマンか?」


 声に緊張感を含ませながら輝島は言葉を次々と吐く。


「早まるな! 貴様が誰に雇われたのかは知らんが、俺は貴様の雇い主が払った額の3倍の金を払ってやる! いいか、3倍だぞ! それで俺の命を狙うのは止めろ!」


 輝島は三本の指を突き立てた手を黒ずくめの人間に勢いよく突き付ける。


 しかし黒ずくめの人間は拳銃を握った手を下げることはなかった。


「懐柔は不可能だ。大人しくしていれば苦しむことなく主の御許に旅立てる。だが抵抗すれば地獄の責め苦を味わうだろう」


 マスクの下からくぐもった声を出した黒ずくめの人間は、どうしようと輝島を撃ち殺すつもりのようだった。


 それは輝島に放たれた言葉からも感じられたが、黒ずくめの人間からは人間を殺すことに対して緊張も興奮も見受けられなかった。


 まるで貰った台本の内容を細部まで覚え込み、与えられた役に没頭する一流役者の如きプロフェッショナルの空気感が醸し出されている。


 そんな空気を輝島も感じ取ったのだろう。


 ごくりと大きな音を立てて唾を飲み込むと、輝島は声のトーンを落として諭すように言う。


「もう一度よく考えろ。貴様、俺が誰だか本当にわかっているのか? 俺を殺したら貴様も同じ運命を辿ることになるぞ。いや、貴様だけではない。貴様の家族や友人、果ては恋人に至るまで執拗に報復される。いいか、よく考え――」


 そこまで言ったときだった。


 室内にブシュンという音が鳴り、続いて輝島は頭部から赤い霧を噴出させながら膝から崩れ落ちたのである。


 まるで糸がプツリと切れたマリオネットのように。


 床に倒れて身動き一つ取らない輝島を見た途端、明菜は身体を小刻みに震わせながら喉が張り裂けんばかりに叫んだ。


 直後、明菜の視界は眠りから覚めたばかりにボヤけていき、視界全部が真っ白から暗黒の淵を想起させるほど漆黒に包まれていく。


 その中で明菜は、最後に目にした光景を脳裏にまざまざと焼き付けていた。


 輝島から自分に顔を向き直した黒ずくめの人間が、拳銃を向けたままこちらに近づいてくる光景を――。

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