第4話:最初の日
獣族はこの辺りでは珍しい。
王都に行けばそれなりにいるんだろうが、俺はその時初めて実物を見た。
いや、そんな事はどうでもいいな。
ともかく彼女を引っ張り上げなければ。
しかし当時の俺はまだ最強にはほど遠いただの村人だったので、人を一人、片手で持ち上げるほどの力は持っていなかった。本人が協力してくれないと厳しい。
『ぐっ……、頼む、上がってきてくれ……。このままじゃ二人とも落ちてしまう……』
『手を離して下されば落ちるのは私だけで済みます!』
『バカ! そんな事出来る訳ないだろーが! ここから人が転落死するのを見るなんて、一生のトラウマもんだよ!』
手を離す気は無いと察して彼女は『どうして……』と呟いた。
『どうしてもこうしても無いよ! とにかく上がってきてくれ! 君も……何か辛い事があったんだろ? だったらせめてそれを話してみないか? 飛び降りるのはその後だっていいはずだ。……癪だろ、やられるだけやられて黙って死んでいくなんてさ』
彼女の表情が動いた。
少しは響いたみたいだ。
彼女は逡巡したのち、俺に掴まれていない方の手を崖の上に向かって伸ばした。
『そう、いいぞ……!』
岩に手をかけ、宙ぶらりんだった足も岩に乗せる。
上がってくれる気になったみたいだ。助かった……。
本人の協力を得て無事に引っ張り上げると、彼女は決まりの悪そうな顔で『……ありがとうございます』と言った。
『間に合って良かったよ。……で、何があった?』
大体想像はつくけどな。
きっと王都襲撃で家族か恋人を亡くしたとかだろう。
この状況で身投げしようとする理由なんてそのくらいしか――。
『……はい。実は私、王家の末の姫なのですけれど』
『なんだって?』
王族!?
想像を軽くこえてきた。
王族かぁ……。
王家に獣族の血を引く者がいるなんて聞いた事無いが。
しかし田舎者の俺は黙って続きを聞いた。
『と言っても妾の子です。正式な身分はありません。……ですが、王妃様もきょうだい達も快く私を受け入れてくれて、表に出る事は無いものの家族の一員として大変可愛がって下さいました。……そんな家族が……一夜にして皆、いなくなってしまったのです。父も母も王妃様も、きょうだい達も、みんな……。私だけが生き残ってしまった。耐えられなくて……それで身投げを』
そっか……。
家族が全員亡くなってしまったのか。
予想はしていたけど、改めて聞くとやっぱ辛いな。
正直、かける言葉がない。
でも。
『君までいなくなったら王家断絶じゃないか。王様やきょうだい達が大事にしていたものを――君が守るっていうのじゃダメなのか?』
『……守る? 私が?』
『そう。君が家族の意思を継ぐんだ。今まで表に出てこなかったのなら、あんまり実感はないかもしれないけど……もう君しかいないんだろ。王家の名前を守る――これは、君にしか出来ない事なんだよ』
『私にしか出来ない事……』
彼女はうつむき、目を閉じて、胸にそっと手を当てた。
考え直してくれたかな。
その時、遠くから声が響いた。
『おーい! 誰かいないか……あっ! ルビー様! いた!! こんなところに!』
白い鎧のオッサンだ。
彼はホッとした表情を浮かべてこちらに駆け寄ってくる。
『アイゼン』
『急にお姿が見えなくなって心配しました! 御身に何かあったら大変――ムッ』
オッサンの顔色が一瞬にして青くなった。
俺達の背後を見ているようだ。
後ろに何かあんのか?
そう思って振り返ると――黒く、巨大な影が浮かび日の光を遮っていた。
オッサンが叫ぶ。
『ルビー様!! 下がって!! エルダードラゴンです!!』
エルダードラゴン!?
これが!?
絵本でしか見た事が無かったけど、確か古代から生きる最強の竜って言われていたような……。
なんでこんなところに?
もしかして、王都を襲った残党か? こんな奴まで混ざってたのか!?
エルダードラゴンは巨大な翼をバサバサと動かしながら言った。
『オマエガ魔女カ……?』
『魔女?』
俺の質問返しをエルダードラゴンは無視し、体の比率から見れば小さな、でも普通に大きな前足をルビー姫に向かって伸ばした。
ルビー姫は恐怖で腰を抜かしてしまい、へたり込んで声も出ないようだ。
オッサンも真っ青な顔で冷や汗をダラダラ流し、剣を構えているものの飛び出せずにいる。
いま動けるのは俺だけかよ! いや無理だって!
『コラァ! 姫に触るな! あっちいけ! しっしっ』
前足を殴り付けるが硬すぎてこっちの拳が痛い。
なんだこの鱗! そんなに分厚くないのに、鉄の扉より硬いんじゃないか!? 密度がすげえよ。
エルダードラゴンは俺を完全に無視してルビー姫を掴んだ。
『あ……あ……』
ルビー姫は悲鳴も上げられずにさらわれていく。
俺とアイゼンは存在してないくらいに無視され、なす術なくエルダードラゴンが飛び去って行くのを見るしかなかった。
『……ルビー様……。不甲斐なくて……申し訳ございません……』
アイゼンが膝から崩れ落ち、呟く。
本当だよ。武装してるくせに丸腰の俺より動けないのはどうなんだ。
『助けに行こう』
そう言うと、アイゼンはバッと顔を上げた。
『当然だ! このままでは近衛騎士の名折れ、何としてでも魔王の根城に乗り込まねばならぬ!』
近衛騎士だったんだ。
そりゃ名折れもいいとこだな。
っていうか魔王の根城ってなんだ? いきなり出て来たワードなんだが。
そういえば、封印されていた魔王の復活が近いって噂を聞いた事があるけど……魔物が王宮を襲ったのは魔王の差し金だった?
だとしたら、姫の誘拐はあのエルダードラゴン単独の犯行じゃないって事か……。
なんか色々とヤバそうだな。
『えーと……アイゼン、さん? 本当に行ける? 全然動けなかったみたいだけど』
『ぐっ……修練不足ゆえ、あのクラスの魔物の威圧には耐えられなかった……。はっ、そういえば君はどうして動けたのだ? 凄まじい威圧を放っていただろう?』
『威圧?』
そりゃあデカさから感じる圧迫感はあったけど……動けなくなるほどの威圧感までは感じなかったな。
正直にそう言うとアイゼンは絶句していた。
『……そうか。あの威圧が効かなかったのか……。もしかすると君はとんでもない逸材なのかもしれない』
(フゥー!! それがしもそう思いますぞ!)
大人しかったカズオが急に喋り出した。
(なんだよ。お前、今まで何してたんだよ)
(ちょっとネコミミに見とれてしまって……声も出せずにおりました。失礼)
(あの一連の流れの後で最初に言う事がそれかよ。しっかりしてくれよ)
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――と、これが魔物王宮襲撃事件の概要だ。
ルビー姫が目の前でさらわれたからアイゼンと共に助けに行く事になった、それが旅に出るきっかけだった。
アイゼンに素質を見込まれた俺は旅の中でみっちりと戦い方を教わり、気付いたらアイゼンを超え、歴代最強とまで言われるようになった。今の俺があるのはアイゼンのおかげだ。
いま生きているなら会ってお礼を言いたいが……もう会う事はないだろうな。王家の近衛騎士だしさ。
まぁいいや。話をまとめると、今回の俺がやる事は極めて単純で、双子の誕生日の夜に村の外に行き、魔物の大群を一掃する。それだけ。
王都は無事だし王様も王妃様も、そしてルビーも。この国の住民は今までと何も変わらない生活を送る事になる。
俺とルビーが知り合う事は無いだろうが……それでいいんだ。
(エリアル殿には双子がおりますからな)
(そうそう……って、そうじゃなくて! 平和なのが一番って事だよ)
すると部屋の外からかーちゃんの声が響いてきた。
「エリアルー! レイラちゃんとアイラちゃんのケーキができたから持って行ってー!」
「ケーキ?」
「誕生日をお祝いするケーキだよ! 毎年作ってあげてるだろ!?」
……あぁ、そうか。
今日、双子の誕生日か。
今日が、その日なんだ。
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