第47話 ただのイーリスは立ち向かう

 イーリスはオアシスの拠点で仲間たちの帰りを待っていた。

 本当はスラムの戦線についていきたかった。

 けれど、「イーリスは戦場でお荷物。引っ込んでて」とディーにきつく言われ、ここに残っている。


 もうファジュルたちがって七日。

 なんの音沙汰もない。戦端が開かれて戦っている最中なのか、全員捕まってしまったのか……嫌な想像が頭の中をぐるぐると巡っている。

 空が曇っているのも、不安に拍車をかける要因かもしれない。いつもならこの時間は奇麗な夕焼けを見ることができるのに。


「ーースさん、イーリスさん、大丈夫? 火を扱っているときに考え事をするのは危ないわ」

「え、ぁあ、そうね」


 今はオアシスの水を汲んできて、沸かしている最中だ。これを冷まして飲水にする。

 弱くなってきたところに枯れ木を足して、手製の扇で風を送る。そうすると火はまた大きくなる。


 イーリスはちらりとルゥルアの横顔を見る。

 出会ってからしばらく一緒にいるけれど、ルゥルアは穏やかで、取り乱したり声を荒らげるところを見たことがない。


「……ルゥルアはいつも落ち着いているのね」

「そう見える?」

「ええ。私と大違い。私、ディーに何か言われるとついカッとなっちゃうもの」

「仲がいいよね、あなたたち。さすが従姉弟いとこ。幼少の頃から一緒にいるみたいに息ピッタリなんだもの」

「仲良し!? どこが!」


 ルゥルアがクスクスと笑う。ディーを見ていると、イーリスのことが嫌いで意地悪を言っているようにしか思えないのに、仲良しなんておかしい。


「それとね、貴女の性格、お父さん似だと思う。先生もね、誰かをたしなめるとき余計な一言を添えるたちなのよ。本人は気づいていないみたいだけど。見ているとディーも似た性格のようだから、血は争えないなって思うの」

「お父さん……って、ヨハン先生のこと? 他人に聞かれたときのためにそういう話にしているだけで、実際は私の父ではないでしょう」

「……え? もしかしてイーリスさん、何も聞いてない?」

「何も聞いてないって、どういうこと?」


 ルゥルアと話が噛み合っていない。

 イーリスの血縁の父親はガーニム、のはずである。

 ディーがイーリスとイトコ関係にあるのは、ルベルタ人である母方のイトコだと思っていた。


 混乱するイーリスに、それまで黙っていたナジャーが話してくれる。


「ヨハンさんはまこと、イーリス様のお父様でしょう。私は、アンナ様が貴女を産んだときに聞いたのです。婚約者との子を身ごもっているときに、無理やりガーニムの妻にされたことを」


 

 ナジャーの言葉は、疑う余地がなかった。

 イーリスが生まれる前から王家に仕えていたのだから。


「月齢が浅いときだったので、初夜で妊娠したと嘘をついた。……真実がバレたら貴女が殺されてしまう、だからガーニムの子として育ててほしい。そう仰ったあと、自ら毒薬をあおって亡くなられたのです」


 つまり、イーリスは真実イーリスなのだ。偽名でなく。

 ヨハンの娘の名前。イーリスのための名前。

 ヨハンは全てを知った上でイーリスに名前をくれた。

 自分が本当の父親だなんて、一言も言わずに。


 気づけばイーリスは泣いていた。 


「な、ぜ。どうして、今まで話してくれなかったの。城を出たあとに話す機会はいくらでもあったでしょう!? 父さんは、父さんは……」

「……申し訳ありません。私は、アンナ様の婚約者であられた方がどなたかまでは、存じませんでした」


 ナジャーを責めたって意味がない。ガーニムの子だということにしておかなければ、生まれた日に殺されていただろうから。

 それに、城から逃げる混乱の最中で「自分が本当の父親です」なんて言われたって信用できなかった。


 ヨハンの人となりを知った今なら、イーリスに向けてくれる優しさとあたたかさが、我が子を思う愛ゆえだとわかる。


「……八つ当たりしてごめんなさい、ナジャー。ナジャーのせいではないのに」


 ヨハンは、イーリスの父は今戦場にいる。

 まだ、演技という形でしか、父と呼んでいない。

 次にヨハンに会ったら、心から、父さんと呼びたい。



 外部の様子を見に行っていたラシードとユーニスが、駆け足で戻ってきた。

  

「ねえみんな、なんか変な荷車が近づいてるよ」

「武器商の荷車だ。物々しい護衛を何人も連れている。遠目に見て王国兵と傭兵の混合部隊だ。……時期から考えると、王都へ輸送する補給武具。彼らがこのまま通過してくれるとは限らん。すぐに火を消して、拠点の中に隠れるんだ」


 ラシードに言われ、ルゥルアが焚き火に水をかける。ラシードが鍋を拠点の中に持ち込んだ。

 イーリスとナジャー、ユーニスも、焚き火跡を棒で蹴散らし、焼け跡に蔦をかぶせる。


 戦力を全てスラムに配備したため、ここに戦力になる人はいない。息を潜めて隠れているしかない。五人で一所に集まり、相手の出方をうかがう。

 もしものときのために、イーリスは鍛錬用の木剣を掴んでいる。ファジュルたちの打ち合いを見ていただけで、イーリス自身はなんの練習もしていない。

 けれど何も持たないよりマシだ。



 外の岩場には茶色のしみができ、ぽつぽつと数が増えていく。

 渇いた大地に、天の恵みが降り注ぐ。

 商隊は通過、しなかった。複数人の足音が拠点に近づいてくる。ここで休むと決めたようだ。

 雨の中テントを張るより楽だから、当然の選択か。


「やけに整っているな。盗賊団掃討以後は長年使われていないはずなのに」

「まあまあ。旅人がこんなふうに雨の中休むのに。勝手に使ってんじゃないですか? 先客がいてもおかしくは……」


 

 イーリスたちがいる洞穴に、男たちが歩いてくる音が聞こえる。

 ぎゅっと目を瞑って神に祈る。どうか助かりますように、見逃してもらえますように。


「姫様?」


 呼ばれて顔を上げると、男の一人に見覚えがあった。元々はガーニムの近衛兵をしていて、家の都合でスハイル領に移籍した者。

 名をハキムという。


「侍女まで、なぜここに。もしやここにいるのは皆、反乱軍に誘拐された者……ここが、反乱軍の隠れ家?」


 最悪な相手に見つかってしまった。

 シャムス王女の側仕えだったナジャーがいて、一般女性のルゥルアや、幼い子どもユーニスがいる。ここにいるのが反乱軍に誘拐された者たちだと勘違いするのも無理はない。

 そしてハキムは王都にいなかったため、ナジャーが解雇されたことを知らない様子だ。


 イーリスは何を言っていいのか迷いながらも、なんとか声を絞り出す。


「貴方は……」

「私は武器輸送任務に同行しているのですよ、姫様。見たところ、今は反乱軍がいないようですね。反乱軍がここに来たなら、我々が必ずや討ち取りましょう」


 そもそも“姫が誘拐された”という事自体が誤報だ。

 イーリスたちが反乱軍にくみする張本人だと知られたら非常にまずい。


 ユーニスも幼いながらに、今は何か喋ると危険だと本能で察しているようで、口を手で塞いでいる。


 自分の言葉一つで、みんなの命が左右される。

 イーリスはいいようのない圧迫感に声をつまらせた。

 王国兵とは兵装が違う者……傭兵らしい男が、ハキムに問いかける。


「おいハキム。その娘が姫だって? 王族様にしては見るからに安い旅装だし、旅一座かなんかの人間じゃないのか」


 城に仕えたことのない人はを知らない。


「姫がいて、姫の側仕えもいる。この方が姫でないわけがない」


 そういえばハキムは融通がきかない人だった。

 イーリスが姫である説を覆さない。

 ハキムの問いかけは、質問というより詰問きつもん。威圧感が強い。


 ルゥルアやナジャーが心配そうにイーリスのことを見る。雨の音が遠のくほど、心臓の音がうるさい。

 どう言ったらこの場を切り抜けられるのかわからない。そして、この拠点がバレてしまった以上、イーリスたちはもうここには居られない。

 迷った末に、イーリスは覚悟を決めた。


「……よく聞きなさいハキム。私はもうシャムスではありません。王女の立場は捨てました。今は反乱軍のイーリス。アシュラフ様の御子とともに、革命を試みる者」

「反乱軍? 姫様が?」


 説得して分ってくれないかもしれない。もしかしたら協力してくれるかもしれない。イーリスは一縷いちるの望みにかけた。


「脅されているわけではありません。私は自らの意志で反乱軍に参加しています。ガーニム王政に少しでも疑問を持っているのなら、ここは見逃してください、ハキム。私は、今捕まるわけにはいかないの」


 傭兵たちもイーリスの言葉を聞いて、互いの顔を見合わせる。そしてハキムの言葉を待った。


「姫様。貴女は城の外を知らないから、反乱軍にとって都合のいいよう嘘を吹き込まれているだけです。誘拐された貴女を保護するのも我々の任務。王都まで同行していただきます。そこの者たちが反乱軍の一味だと言うのなら、捕縛しなければならない」

「そんな……」

「お前たち、姫を保護しろ。そして、反乱軍を捕縛せよ。他の仲間の居所を吐かせる」


 みんなを守ろうとした言葉が、逆効果になってしまった。

 次々に兵がなだれ込んで来る。

 イーリスは生きたまま城に連れ戻されるけれど、ナジャーたちはそうはいかない。きっとファジュルの居場所を吐くよう、酷い目に遭わされる。

 そんなの受け入れられるわけがない。


「来ないで。この人たちは私の大切な仲間。傷一つでもつけたら許さないわ!」


 木剣を構えても、ハキムには通じない。素手で木剣を掴まれ、動かせなくなる。


「姫様。我々は貴女を助けようとしているのです。このようなものを持ち出してはなりません」

「助けになんて、なってないわ! 私は誘拐なんてされていない。自分の意志で姫の立場を捨てたの! ここで捕まったら、もう父さんに会えないじゃない!!」

「貴女の父上はガーニム様でしょう」


 どう言っても、洗脳されていると取られてしまい、話を聞いてくれない。

 このままじゃナジャーたちが捕まってしまう。

 

 こんなことになるなら、自分も剣の鍛錬を受けておけばよかった。

 守られる立場に甘んじていたことを、心から後悔する。


 誰か、仲間たちの誰かがここに来てくれたなら。そんなに都合よく来てくれるわけないとわかっていても。

 甘えたことばかり言って、またディーに馬鹿にされてしまいそうだ。

 

 そうだ。こんな弱音ばかりじゃ、次会うときディーに笑われてしまう。


「離しなさい、もうすぐ反乱軍の仲間たちがここに来る! 貴方たちは一網打尽にされてしまうんだから!」


 イーリスはハキムのすねを思い切り蹴り飛ばす。装甲のない脚にブーツが直撃して、ハキムは一歩下がった。木剣を掴んでいた手が緩む。

 仲間が来るなんてハッタリだ。

 ハキムは一瞬動揺した。今ハキムたちは全員合わせて十人。

 イーリスたちの増援が来たら不利になる。


「ど、どうせ出任せだ。そんなのがいるならとっくに、ぐぁ!」


 言いかけた兵が、前のめりに倒れた。


「じゃーん。ディー君、呼ばれて参上〜! おじさんたち、イーリスに手を出したらただじゃおかないからね!」


 ここにいるはずのないディーが、場違いなテンションで剣を構える。

 そんな姿が、イーリスにはとても心強く思えた。

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