第44話 殺す覚悟と、最優先で守らなければならないもの

 夜が明け、ファジュルは仲間たちとともにマフディの遺体を埋葬していた。

 スラムのはずれ、荒野が見渡せる場所に穴を掘り、そこに寝かせて土をかける。

 本来なら死者と同性の人間が、浄めた水で遺体を洗う必要がある。だが、スラムにそのようなものはない。


 埋葬を終えて、ファジュルは皆に頭を下げた。


「すまない。俺が甘いことを言ったから、お前たちを危険に晒してしまった。一歩間違えば、死ぬのはサーディクたちだった」


 襲撃を凌げたのも、ジハードが『犠牲をおさえる』という指示に則った指揮を取れる人間だったから。

 敵兵にも帰りを待つ家族がいるのだと……そう考えるのは良くないことだった。

 戦いにおいて何より守らないとならないのは、味方の命なのだ。


 自分の甘さで友の命を失いかけたことが、なによりファジュルに堪えた。

 顔を上げ、仲間を見渡して言う。

 

「もう手加減しろなんて言わない。自分の命を最優先してくれ」

「率先して敵兵を殺しにいけって言わないあたりが兄さんだねぇー」


 ディーが頭の後ろで手を組んで笑う。

 いつもならディーの言葉にツッコむサーディクは、今日に限って大人しい。

 サーディクの隣にいる女傭兵、エウフェミアは冷ややかな目でディーを見る。その目が『よくこんな時にくだらない冗談を言えるな』と言っている。

 迫力に気圧され、ディーが笑顔を引きつらせながら後ずさった。


「敵を殺していいと明言してもらうと助かるわ。こっちはそこの兵に殺されかけたんだから。あんたも王族なら、自分の指示一つが人命を左右すると、自覚して。そいつみたいな兵はいくらでもいるのだから、敵に情けは必要ない」


 昨夜……王国兵が撤退したあと。

 サーディクが一部始終を話してくれた。エウフェミアに罪はない。マフディにとどめを刺したのは自分だと、泣きながら訴えてきた。

 マフディがエウフェミアを捕らえ、指を一本ずつ折る腹積もりだったと聞かされたときには心臓が止まる思いだった。


 ディーにも忠告されていたのに。

 相手はこちらを殺す気で来るのだと。

 捕虜となったなら殺される。もしくは拷問。

 そんな目に合わされても、ファジュルが出していた指示のせいで相手を殺せない。

 自分は何という酷いことを頼んでいたのか、わかった。

 だからファジュルは決めた。


「すまなかったエウフェミア。この期に及んでまだ甘さを捨てきれないなんて、俺は馬鹿だ。戦場を知る君たちが『殺すのが最良』と判断したなら、殺してくれ」

「契約条件の書き換え、承知したわ」


 エウフェミアも、他の傭兵たちも、指示の上書きを歓迎した。

 ファジュルはそばに控えていたジハードにも謝る。


「ジハードも。やりづらいことを頼んですまなかった」

「いいえ。主の望む指揮を取るのが軍師の務め。ファジュル様が味方の命を最優先にするのなら、そのように動きます」


 ジハードは頭を横に振る。

 ジハードがまだ大将だった頃、ガーニムには、『兵が何人死のうと、反乱軍を徹底的に殺し尽くせ』という命令を受けていた。

 対するファジュルは、可能な限り殺したくないと言う。


 エウフェミアの言うように、敵の命まで守ろうとするのは甘すぎるし、戦場に立つ者としては危なっかしい。


 けれど、王として国を率いるなら大切だ。

 相手の国民を、その家族のことを思えるなら、戦争になる前に国主同士で話し合えるから。


「ファジュル様。お顔の色が優れませんね。昨夜はあまり寝ておられないでしょう。少し休んではいかがですか」

「いいや。こちらが夜襲で疲れたところを狙って、王国兵が来るかもしれない。みんなが動いているのに、頭の俺だけが眠ると、士気が」


 ジハードの気遣いを、ファジュルは固辞した。


「仲間たちの士気のためを思うのなら休んでください。貴方は要なのですから。私たちはそう簡単に負けはしませんよ。──アムル。ファジュル様が休んでいる間の護衛を」

「承知しました」


 ファジュルの返事を待たず、アムルがファジュルの背を押す。もともと上官と下官なだけあって、アムルはジハードの指示を聞き即座に動く。


 長年兵をしていたアムルに力で敵うはずもなく、ファジュルはヨハンの診療所に連れていかれた。


 ヨハンはファジュルを座らせるなり、ファジュルの左袖をまくり上げる。

 下に隠していた腕の裂傷があらわになる。


「怪我をしていますね。夜襲を受けた時にですか」

「大した怪我じゃない」

「素人判断しないでください。ディー、消毒を」

「はいはーい」


 後ろからついてきていたディーが、慣れた様子で綿と消毒を持ってくる。 

 ヨハンに遠慮なく消毒をかけられ、ファジュルは悲鳴をかみ殺した。



 手当が終わり、診療所内に仮設された寝床で横になる。

 背を合わせるようにディーが座り、部屋の入り口にはアムルが立つ。二人が監視になるあたり、休まずに動き回ると思われているのがありありとわかる。


「兄さん根つめすぎなんだよ〜。もっと肩の力を抜いてくれないと」

「ディーみたいに、力が全然入っていないのも考えものですけれどね」

「うっさいな、伯父さん!」


 ディーとヨハンのやり取りを聞いていると、ディーとイーリスのやり取りに似ていてなんだか可笑しかった。


 目を瞑ると昨日の火事と剣戟の光景が、頭の中をちらつく。

 いつもならすぐ隣にルゥルアがいて、手を繋いでいる。けれど今ファジュルの手は空っぽ。

 いいようのない空虚感が胸を占める。

 ファジュルはルゥルアを守っているようでいて、ルゥルアに心の平穏を保たれているのだ。


 ルゥルアは女の子だし、お腹の子の為を思えば戦場ここにいてはいけない。

 わかっていても、会いたい気持ちが募る。

 勝手なことを考える自分を、心の中で叱る。


 ディーがファジュルの顔を覗きこんで聞いてくる。


「兄さんて、一人だと眠れないたち?」

「そうでもない」

「その割には『寂しい』って顔してるけど」


 また、いわなくてもいいことを言う。

 言葉にしなくても、顔に出ているらしい。


「寝つけないなら、うちの一座に古くから伝わる子守唄を歌ってあげよう」

「いらない。子ども扱いするな」


 いらないと言っているのに、ディーは話を聞いちゃいない。ファジュルの肩に手を乗せて、ゆるやかに歌い出す。


 あたたかくて優しいメロディーに心が落ち着く。

 ファジュル本人は覚えていないが、かつてヨハンが赤子のファジュルを寝つかせるために歌ってくれていた歌だった。

 同じ一座の子であるため、ディーもその歌を聞いて育った。

 

 懐かしい歌に導かれて、ファジュルは静かに眠りについた。

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