第27話 何が真実で、何を信じるか

 ファジュルたち交渉隊がハインリッヒ領に向かった頃。王都の現状調査をするメンバーも王都についていた。

 サーディクに加え、ラシードも念のためにターバンで顔を隠している。ウスマーンがそうだったように、年配の兵や民がラシードを覚えている可能性があるからだ。


「姉ちゃん、足もと気をつけてね。段差があるから」

「ありがとう、ユーニス」


 ラシードのやや後ろを、ルゥルアとユーニスが歩く。ユーニスは「ファジュル兄ちゃんのかわり!」と元気にルゥルアの手を引っ張っている。


 サーディクは三人から離れつつも、視界で確認できる位置を保ちながら市場を歩く。

 ヨアヒムからもらった敬虔なマラ信者が着る衣とターバン姿。

 同じ格好の信者が何人か市場を歩いているから、うまく町に溶け込んでいる。


 みんなでスラムを離れたあの頃と比べると、人はまばらだ。どことなく表情も暗い。買い物をする客たちが交わす話から漏れ聞こえてくるのは、“反乱軍”“誘拐でなかった”“王子”という、公開処刑にまつわる単語だ。


 平民たちの会話の内容を覚える。会話の声が届くほどの距離に近づいても、逃げられたり兵を呼ばれたりはしない。


 年中同じ服で薄汚れていた時と、身ぎれいにした今では対応が雲泥の差。

 蒸し布巾で体を拭い、垢が落ちて臭わなくなったのも大きい。

 今なら平民のお嬢様がたに声をかけても落とせる自信があるが、顔出しできないのが口惜しい。



 前回調査に来たとき、恋人たちはサーディクのことなんて忘れて次の恋をしていたので傷心中なのだ。

 ファジュルに泣きついたら、「二十股をかけていた人間が言うか」と冷ややかな目で見られたのも記憶に新しい。



 サーディクの母は恋多き女と言うやつで、夫がいても遊び相手・・・・が何人もいた。

 自分の父親が誰かなのか定かではない。


 母が恋人と駆け落ちして行方をくらまし、父は残されたサーディクをスラムに置き捨てた。

 サーディクが六才のときだ。

 一人だけを大切にする恋の仕方なんて、親は教えてはくれなかった。




「おい、サーディク。こっち」


 誰かに名を呼ばれた。ラシードたちではない。

 あたりを見回すと、スラムと町の境界あたりでリダが手招きしていた。フードを深くかぶっているが、声でわかる。

 あのあと無事に逃げられたようだ。


 ラシードたちの様子に気を配りながら、リダの方に行く。


「おう。リダのおっさん無事だったんだな」

「おかげさまでな。ありがとうよ、サーディク。ファジュルたちにも、会ったら礼を伝えてくれんか。あの日逃げるのに精一杯で、何も言えずにいたからの」

「ああ。伝えとく。おっさんが元気だって知ったら安心するだろうし。……最近このあたりの様子どうよ」


 声を潜めて、壁によりかかる。道行く人々は、よほど近づかないとサーディクたちの声を拾えない。

 視線の先に、市場の巡回をする兵がいる。

 人々はあからさまに兵を避けて歩いている。


 民の多くが処刑場での終始を見たのだから、ガーニムと……ガーニムに仕える兵に不信感を募らせるのは当然だった。


「見てのとおり、あちらさんはみんなピリピリしてやがるよ。兵が『王子の名を騙る不届き者を出せ』と何度もスラムに来た」

「げっ。マジかよ」

「出せと言われたって、ここにはいねぇんだからな。庇いだてすると容赦しないんだとよ」

「うっわ……思った以上に過激な反応してくれてんなぁ、国王は」


 シャムス王女をおびき出すために、罪もない人間を誘拐犯として処刑しようとした男だ。

 殺し損ねた甥が生きているとわかった以上、何がなんでも探し出して、息の根を止めたいんだろう。

 自分の王位を絶対的なものにするために。


「騙るもなにも、王子本人なのにな」

「わしらはファジュルという人間を知っているからそう思うのさ。何も知らん国民は、反乱軍の言葉より王の言葉を信じる。真実か嘘かは関係なく。誰が・・言ったかの方が重要なのさ」

「ハッ。やな世の中だぜ」


 ファジュルがいくらリダの無実とガーニムの罪を説いても、国王が『そいつは俺を陥れるために嘘を吐いている』と切り捨てればそれまで。

 

「ファジュルに会ったら言っておくれ。わしらはお主に味方する。決起するなら力を貸すと。スラムの人間の総意だ」

「わかった。ありがとな、必ず伝える」




 あまりここにいては兵に怪しまれる。サーディクはすぐに場を離れる。


 ラシードたちは買い物をするフリをしながら、情報収集を続けていた。

 ユーニスが野菜売りの老人に声をかける。傍目には姉と買い物に来た子ども。老人はベラベラ聞いてもいないことまで喋っている様子だ。

 あんな幼い子どもがガーニム軍の動向を探っているなんて、夢にも思ってもいない。



 そんな中、一人の男がルゥルアに近づいていく。顔見知り……だろうか。何か話し込んでいる?

 男は抱えていた大きな麻袋をルゥルアに押し付けた。


「あ、あの」

「先生の診療所、無人だったっす。あんたなら移転先知ってるっしょ。いつも診療所の仕事手伝ってたじゃないっすか」


 声が聞こえる距離になった。

 どうやら、ヨハンのところに果物を届けに来た人らしい。麻袋からマンゴーが顔を覗かせている。


「じゃあ頼んだっす。おいら休憩五分しかないんで」

「ちょっ、待って!」


 ルゥルアがとめるのも聞かず、男は素早く立ち去って行ってしまった。ユーニスがポカンとして、男のいなくなった方を見やる。


「今の人なに? 姉ちゃん知り合い?」

「アスハブさん……だったかしら。先生の診療所で、顔を合わせたことがあるわ。よく先生のところに果物の差し入れをくれる人なんですって。本当はこの果物、先生に渡したかったみたい」


 渡されたマンゴーは、拠点のメンバーが一人二つずつ食べても余る、それくらい数が多い。バランスが崩れて、袋からマンゴーがこぼれ落ちる。

 慌ててユーニスが拾い、袋の中に押し戻す。


「姉ちゃん、今日はもう帰ったほうがいいんじゃないかな。こんなに持ったままだとたいへんだよ」

「うーん、でも」


 言っているそばからまた一つ落ちる。

 ユーニスの提案通り、今日のところは帰ることになった。




 日が傾く頃、三人は拠点に帰り着いた。

 ナジャーにマンゴーの袋を任せて、アムル、ヨハンに首尾を伝える。


「そうですか。ガーニム軍がしらみつぶしにスラムを探し始めたか。拠点をこちらに移して正解でしたね。……ぼくの診療所に客人があったらしいというのは?」

「アスハブさんって人、覚えていますよね。マンゴーを先生に渡したいって、代わりに渡すよう頼まれたんです」

「あぁ、アスハブが。ということは、またガーニムが食べ物を粗末にしたのか」


 召使いは、主が手を付けず放棄したものであっても、食べることは許されない。捨てるなんて罰当たりなことできるわけもない。

 だからせめてもと、スラム付近の生ゴミ捨て場に捨てるフリをして診療所に持ち込んでいたのだ。


 静かに聞いていたアムルが、続きを促す。


「兵の様子は」

「おれが見ていた限りだと、平民のみんなからもかなり反感買ってるよ。無実の人を処刑しようとしてたんだから当たり前だけどな。嘘を吐いたのはガーニムで、止めに来た王子は本物の王子じゃないかって言ってる人が何人かいたな」  

「反対に、ガーニム様の言葉が正しいに決まっている。反乱軍に王子がいるなんて嘘だって言っている人も居たわ。みんな、自分の信じたい方が真実で、それ以外に耳を貸さなくなるのよね」


 サーディクが町で見たことを伝え、ルゥルアも市場で聞いたことを話す。


 今の町は、少なくとも二つの派で分かれてしまっていた。

 ガーニムを信じ、ガーニムに従う者。

 ガーニムに不信を募らせる者。


 そしてそれぞれが、自分の意見こそ正しいと思っている。

 人は自分が正義で相手を悪と思った時点で何よりも残酷になる。

 正義のため、反対派あくを武力で押さえつける、それが大規模になったものが戦乱なのだ。




 食糧庫では、ナジャーが袋の中身を一つ一つ検分していた。

 危険物が仕込まれていないかどうか調べる……長年王族に仕えていた者としての癖だ。

 王侯貴族は命を狙われる。狙う者の多くは、刺客を差し向けるなんて大掛かりなことはせず、食事に毒を盛ってくる。


「あら? なに、この紙は」


 マンゴーの山の中心部に、丁寧に折りたたまれた紙が入っていた。広げてみると、それはナジャーも見慣れたもの……イズティハル城内の見取り図だった。

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