第17話 育った町に、しばしのお別れを

 ファジュルとラシードが王都に戻る頃には、朝になっていた。

 ラクダが引いているのは空の荷車だ。ラシードは荷台に腰掛けて、後ろに乗せられている空いた木箱を見やる。

 必ず役に立つからと、ヨアヒムが何箱も積んだのだ。


 城下町に近い街道で、急ぎ町を出ようとするラクダの荷車とすれ違った。

 手綱を握っていた、気の良さそうな初老の男が、こちらに声をかけてくる。


「おはようさん。初めて見る顔だが、もしかしてあんたは同業かな。これから町で買いつけかい?」

「ああ。会ったことがなくて当然さ。じいさんが腕を悪くしているから、今日から仕入れを手伝っているんだ」

「そいつぁいい。家族を大事にする心意気、あんた出世するよ」


 違うと否定すると面倒なことになりそうだから、ファジュルはてきとうに話を合わせる。今この場だけ、ファジュルは商人の祖父を手伝う孫だ。


「町に入るなら気をつけな。なんでも、姫様が賊に誘拐されたそうでな。あまりにも物々しくて客たちも震え上がっちまって、商売上がったりさ。他の商人たちもほとんどこうして引き上げてんだ。賊がまだいるかもしれないからな」

「それは大変だ。忠告感謝する」


 ファジュルたちが首都を離れている間に、シャムスが誘拐された、ということになっているらしい。

 どんな形であれ、シャムスが城から脱出するのなら、遅かれ早かれ不在を知られてしまう。

 家出ではなく、誘拐と思われてしまっているのは痛いところか。

 商人は先を急ぐからと、去っていった。


 ファジュルは町の近くに荷車をとめ、ラシードにラクダの番を任せて、裏通りに入る。

 そこで待っていたルゥルアが両手を広げて飛びついてくる。


「ファジュル、おかえりなさい」

「ただいま、ルゥ」


 ファジュルもルゥルアを抱きとめて、額に口付ける。ユーニスも足にくっついてくる。


「兄ちゃんおかえり!」

「ただいま、ユーニス。こっちは大丈夫だったか?」 

「うん。だいじょーぶ!」

「シャムスさんは、無事にヨハン先生とディーが連れてきてくれたわ」


 ルゥルアは頷いて物陰を指す。

 ディーとナジャー、そしてマントをかぶった人が出てきた。

 拳を振り上げて怒るディー。


「もう! 遅いよ兄さん!」

「悪い。ヨアヒムから荷車を借りてきた。あとはディーの良いようにしてくれと言っていた」

「えー。親父ってば、まーたボクに丸投げする」


 文句を言いつつも、ディーはどこか楽しげだ。

 ナジャーは深々頭を下げ聞いてくる。


「ファジュル様、そちらは問題ありませんでしたか」

「ああ。あとは毛布や食料を運び込めば住むのに困らなそうだ。じいさんが荷車を見張ってくれているから、兵の目くらましに何か買い物でもして荷物を積んでくれ」

「かしこまりました」

「シャムス……なんでそんなものを被っている」

「へ? ええと、わたくし、いえ、私の名はイーリスです……イーリスよ?」


 目深にマントをかぶっていたのはシャムスだった。服はディーの予備の服を借りたようで、男物。ドレスでうろつかれるよりはマシか。


「イーリス? それと、その変な言葉遣いはなんなんだ」

「偽名だよ偽名。もとの名前のまんまでうろつかれたら目立って仕方ないからね。いかにも貴族様な喋り方をしていたから注意したら、この状態ってわけ」

「変と言わないでくださいま……言わないで。これでも直そうと気をつけ」


 もごもごと口をおさえているイーリス。平民のようになろうと頑張るのは自由だが、言葉がごちゃごちゃでむしろ怪しい。


「あぁ、なるほど。わかった。あちらの拠点はアムルとサーディクが整えている。イーリスとナジャーは追手に見つかる前に拠点に移ってくれ」

「追手?」

「町に入る前にすれ違った商人が言っていた。『姫が誘拐されて騒ぎになっている』ってな。来る途中、巡回の兵もいつもより多かった」

「誘拐ではないのだけれど。みんなが誘拐犯だと疑われ、追手を差し向けられるのはとても困るわ」


 イーリスは考えた末、ハンカチを取り出すと、足元の水たまりの泥を指にすくい取った。

 そしてハンカチを壁に押し当てながら指で文字を書きなぐる。


《わたくしは自分の意志で国を出る。放っておいてください──イスティハール・アル=シャムス》


「よしっ。ルゥルアさん、これをそこら辺にいる兵、誰でもいいので渡してもらえません? 金髪の娘から押し付けられたと言って」

「わたしが行くのは構わないけれど、これ一枚でわかってくれるかしら」

「何もしないであなた方が誘拐犯にされるよりマシでしょう。わたくしが自分の意志で出ていったのだと知れば、この物々しい警備も引くはず」

「仕方ない。その策にかけるしかないか」


 ファジュルとしても、警備が厳重なのは困るし、身に覚えのない罪を増やされたくはない。

 ここにいるメンバーでハンカチを届けて怪しまれないのはルゥルアかユーニス。


 ナジャーは兵に顔を知られているし、城に出入りする一座の人間であるディーのことも、覚えている者がいるだろう。

  ユーニスは幼いゆえ、言っていいことと言ったらまずいことの判断がつかない。聞かれたら余計なことも言ってしまいかねない。


「そうと決まれば、ボクは買い出しに行ってくるよ。荷車は予定通りの場所に停めてあるんでしょ。イーリスは、ばあちゃんと先に荷車に乗ってて。ボクは買い物を済ませたら合流するから」

「わかったわ」


 ディーは指を鳴らして笑い、颯爽と市場に向かう。イーリスとナジャーは反対の方、ラクダの荷車へ。

 ユーニスは、ちらとファジュルを見上げてくる。


「兄ちゃん、おれは?」

「まだ焼けた小屋の建て直しが終わってないだろう。手伝ってやってくれ」

「ん、まかせて!」


 指示をもらえて、ユーニスはスラムの中に走っていく。


「それじゃあルゥ、やるか」

「うん」


 ファジュルはルゥルアの左手を取って歩く。

 市場に行こうとして、ふとスラムの方に目をやると、兵と思われる二人組が見えた。筋肉の塊で肩幅も広い、いかにも戦闘職の大男と、背丈はそれなりでモノクルをかけた男。二人とも腰に長刀をさげている。


 二人は、路上に座り込んでいる者や寝ている者、ひとりひとりに声をかけている。聞き込みをしているのかもしれない。


「あの人たちも捜索隊の人なのかな」

「そのようだな。町ではなくここで聞き込みをするということは、スラムに潜伏している可能性があると考えているのか」


 その推測は当たっているため、ファジュルは指示を出しているであろうモノクルの男に一目置いた。彼がアムルが言っていた大将、ウスマーンか。


「ファジュル、あの人たちに渡す? それとも町を巡回している人たちにする?」

「兵に指示を出せる立場の人間に渡したほうが早そうだな。他の奴らじゃ、イタズラだと思ってハンカチを捨てかねない」

「うん。ファジュルがそう言うなら」


 ファジュルとルゥルアは、頷き合い、ウスマーンに歩み寄って声をかけた。

 

「あの、すみません。あなたはお城の兵士さんですよね?」

「そうだが」


 訝しげに目を細めるウスマーン。ルゥルアは恐る恐る、ハンカチを差し出す。


「昨夜、金髪の女の子に頼まれたの。『兵を見つけたらこれを渡して』って」

「金髪の? まさか……!?」


 ウスマーンではなく、ウスマーンと一緒にいた大男がものすごい勢いでハンカチをひったくった。

 驚いて飛び退こうとしたルゥルアを、ファジュルが支える。


「失礼した、お嬢さん。粗暴な男ですまない。バカラ、いくら焦っているとはいえ民に乱暴な真似をするな」

「でもよ大将」

「言い訳するより謝罪が先だろう」


 ウスマーンが謝り、大男を睨んでその手からハンカチを取った。

 両手でハンカチを広げ、そこに書かれた泥の文字を見て目を見開く。


「やはり、姫は出奔しゅっぽんしたということか?」

「んなまさか! そこの女が書いたってこたねぇのか?」

「は? なにを意味のわからないことを。あんた、俺たち貧民が文字を書けるとでも思っているのか。学校に行けないのに」


 いけしゃあしゃあ、文字を読めないふりをするファジュル。ルゥルアもファジュルと共にラシードから文字を習ったから、ハンカチに書かれた文字を読めるし、書くこともできる。

 けれどファジュルと同じく読めないふりをする。


「しゅっぽん? 姫? あの、何かあったんです?」

「あなた方が会った金髪の少女というのは、おそらくこの国の姫様です。姫様はどこに向かうか言っておられましたか? もしくはどこに向かったか見てはいませんか?」


 その声音と切羽詰まった表情から、ウスマーンが心から姫の心配をしているのがわかる。


「いえ、何も知りません。このハンカチをわたしに渡してきて、そのまますぐに立ち去ったので」

「そうですか。すみません、ご協力ありがとうございました」


 深々と頭を下げて、ウスマーンは大男とともにスラムを去っていった。


 二人の姿が見えなくなってから、ファジュルもルゥルアも長く息を吐く。


「うううぅ、緊張したぁあ………」

「大丈夫か、ルゥ」


 相手は武装した兵。いつ嘘がバレるかヒヤヒヤしていた。

 近くで見ていたスラムの住人たちがわいわいと寄ってくる。


「今の兵たちはなんだい。何を渡したんだ?」

「随分態度の悪い奴だったなぁ。よく平気だったなファジュルたちは」

「一度に聞くな。答えきれない」


 もみくちゃにされながら、ファジュルはかいつまんで説明する。

 彼らは姫を探しに来た兵で、女の子から渡されたハンカチを渡したら退いたこと。

ハンカチに『自分の意志で家出したから探すな』という旨が書かれていたこと。


「そーかいそーかい。あんな横暴な奴らに囲まれてたら姫だって家出の一つくらいしたくならぁな!」


 物分りがよくて助かる。大男があまりにも粗暴だったため、みんな姫様・・に同情的だ。

 背が高い細身の男が、ファジュルの肩に腕を回してくる。


「ファジュル、ルゥルア。お前らここ数日でヨハン先生と一緒になにかやってるだろう。もしかしてスラムを出ていくのか?」

「ああ。やらなきゃならないことがあるからな。みんなに迷惑はかけられない」

「迷惑なもんか。オレたちゃ仲間だろうよ。なんかあったらいつでも言えよ!」

「そう言ってくれると助かる」


 生まれてから十八年、ここで生きてきた。離れるのが寂しくないわけがない。


「みんな、アシュラフ王の統治が良かったと言っていただろう」

「おう。アシュラフ様はオレたち貧民にも人権を仕事をくれようとしていた最高の王様だ」


 スラムの住人たちは皆、今でも願っている。

 だからファジュルは、ここを出て、貧民も人間らしい暮らしが出来る国を作ろうと改めて思う。


「そんな国にする。そう遠くない先、必ず。先王の望んでいた、貧民も人権を得られる国に」


 だから、少しの間この場所にサヨナラをする。

 ファジュルはルゥルアの手を引いて再び歩き出す。ルゥルアも強く手を握り返してついてくる。


「ありがとう。長いあいだ世話になった。またいつか会おう」

「またね、みんな」


 二人はスラムを出て、ラクダの荷車で待っていた仲間とともに進む。目指すは反乱軍の拠点だ。

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