第3話 簒奪者《さんだつしゃ》

 主役のシャムスが部屋に引っ込んだあとも、祝宴は続いていた。

 ガーニムは踊り子が舞う姿を、頬杖をつきながら眺める。


 ガーニムの妻もキャラバンの踊り子だった。

 シャムスを産んだその日に死んでしまったが。

 太陽のように明るい笑顔と宝石のような見目を気に入って妻にしてやったというのに。あれをもう抱けない、それだけが悔やまれる。


 シャムスが妻そっくりに育ったから、代わりに組み敷いてやるのも一興か。

 隣国には初夜権というものがある。

 その地の権力者が、初夜の前に新婦の処女を奪うというものだ。悪魔が処女の血を好むから神聖なる権力者がそれを取り払ってやる。

 娘に直接魔除けのそれをしてやるなんて、自分はなんといい父親だ。自分の名案を心の中で賞賛する。


 ガーニムはゴブレットの果実汁を飲んで、唇を舐める。

 

「陛下。聞きましたか、あの噂を」

「噂?」


 パンのように丸々した腹の大臣が、他の人間に届かぬように声を潜める。


「平民の間で、あの小癪なアシュラフめの忘れ形見がスラムに潜み、決起すると噂になっているのです。どうせそこら辺の頭の悪い者が、息子を騙って息巻いているだけでしょうが」

「あ、アシュラフの息子、だと!?」


 ガーニムの声は、広間中に響いた。

 楽の音が止まり、踊り子も立ち止まってしまい、静まり返る。

 なんとも言えない気まずい静寂を、ガーニムが破った。


「フン。興がさめた。もう今夜はお開きだ。みんなとっとと帰れ!」


 足音荒く、ガーニムは私室に帰る。


「クソが!」


 通路にあった置物を蹴り飛ばす。

 本来なら割れた置物をすぐにでも片付けないとならないが、召使いたちはガーニムの怒りが飛び火するのを恐れ、近づくことができない。



 乱暴に扉を閉め、ガーニムは部屋の中で一人叫ぶ。

 アシュラフが死んでからの十八年、何度聞いたことか。


『アシュラフ様が王の治世は良かった』

『アシュラフ様さえ生きていたならいい国になったのに』


 今生きて国を統治しているのはガーニムだというのに。

 なぜ、死んでいるアシュラフの世を願う。


「くそ、くそ、くそ、くそ、くそおおおぉ!!!! アシュラフめ、なんと忌々しい。死んでまで俺の邪魔立てをするか。まるで妖魔ジンニーのようだ! これではなんのためにアシュラフを殺したかわからないではないか!」


 ガーニムは部屋にあった花瓶を殴り倒す。

 ひとつ十万ハルドをくだらない白磁の器は、無残にも粉々になる。活けられていた百合と水が床に飛び散った。


 肩で息をするガーニムの脳裏によぎるのは、アシュラフと比べられ続けた日々のことだ。


 ガーニムとアシュラフは双子だ。

 なのに、生まれたときから何もかも違っていた。

 

 ガーニムは容姿こそ凡庸でも、武術の腕は国一と謳われるほどに優れていて、そこそこ勉強もできる。

 対するアシュラフは、精霊の化身と褒めそやされる美貌。しかし二十歳まで生きられればいいほうだと医者に言われるほど病弱で、書庫にこもって本を読むしか能がなかった。


 どう考えても選ばれるべきはガーニム一択、そう思っていたのに。

 王になるのはガーニムだろうと言う者と、アシュラフが健康であるならアシュラフが王に相応しいと言う者、臣下の評価は二分されていた。


 二人が十七になったとき、父が課題を出した。

 この国の未来に必要な政策を考えろと。


 ガーニムはその場で、王宮の補修工事を進言した。

 今の古びた見た目の城など、外聞が悪い。住んでいても居心地が悪いし王族として恥ずかしい。

 国の柱が住むのだから、他国の王族を招いても恥ずかしくない美しい場所であるべきだ。


 アシュラフは、スラムの民を救いたいと願った。

 父のずっと前の代から続く悪習、スラムの民を人と認めずドブネズミと呼ぶのを終わらせたい。

 彼らは戸籍を与えられず仕事もろくにない。まともな暮らしができない。

 だから、スラムの民にも国籍を、仕事と清潔な服、温かな食事を食べることができる環境を作りたい。


 そして父が選んだのはアシュラフ。

 許せるはずがなかった。


 だからアシュラフの子が生まれた夜に、偶然・・賊が侵入して、偶然・・警備の兵がみな居眠りをして、父王もアシュラフも、その妻も賊に襲われて死んだのだ。

 生まれたばかりの王子は行方しれず。


 王子を連れて逃げようとしたあの口うるさい教育係、腕を深く斬ってやったから、遠くに行く前に失血死しただろう。

 生まれたての赤子が一人で生きるなんてできるわけがない。

 アシュラフの息子が誰にも看取られず衰弱、餓死するなんて、想像するだけで胸が震えたものだ。


 あの日血まみれになった父とアシュラフの姿、血を流しながら逃げる教育係。

 ガーニムを甘く見た者たちが不幸のどん底に落ちる姿は、今思い出しても笑いが止まらない。


「ああ、そうか。その噂とやらを利用してやればいいのか。アシュラフが肩入れしていたドブネズミの巣に、火を放ってやろう。王への反逆は死罪なのだからな。ネズミの一匹が死んで俺の平穏が約束されるなら安いものよ。ハハハハハハッ!」


 ガーニムは荒々しく扉を開け、通路に這いつくばって陶器のかけらを掃除していた召使いに命令する。


「今すぐにアムルをここに呼べ。裏切り者シャヒドの息子、シャヒド・アル=アムルを」




 十分もしないうちに、召使いたちはアムルを引きずってきた。

 アムルはこの城で最下級の兵士として働いているのだ。

 警備の任務にあたっていたところ、両側から押さえつけられて連行された。

 理由の説明もなしにガーニムの前に放り出された。

 人払いをしてから、アムルの首もとに半月刀の切っ先をあて、ガーニムは言う。


「スラムに火を放て。あそこでアシュラフの息子が隠遁しているという噂がある。牙を向いてくる前に消しておきたいのだ」

「……な!? そのようなことをしたら、何人の犠牲者が出るか。いくら陛下のご命令でも、罪のない人を巻き込んで殺めるなんて、聞けるはずが」


 たかが噂。真偽を確かめもせずにスラムを焼き払おうと考える主君に、アムルは嫌悪を覚えて抵抗した。命令を聞きたくないと言い切る前に、切っ先が数ミリ皮膚に刺さる。

 ひとしずく、血が喉を伝っていく。


「お前の母がどうなってもいいのか? 裏切り者シャヒドの息子と妻を、心優しい俺が城で働かせてやっていたのだぞ。感謝する気持ちは無いのか」

 

 王家が襲撃され、王たちは死亡、王子は消息不明となった。ガーニムだけが生き残ったその事件、唯一の生存者であるガーニムが証言したのだ。

 犯人はシャヒド・アル=ラシードである。

 アシュラフ王の背には父の護身用の剣が刺さっていて、それが決定打となった。


 町の人々から人でなしの息子だと石を投げられたこともあった。犯罪者の子に仕事なんてもらえるはずもない。


 けれど、アムルは父を心より尊敬しているし、今でもそれは変わらない。父は罪人ではないと、アムルも母も心から信じている。本当は誰か・・に罪をなすりつけられ陥れられたのだと考えている。

 例えば、アシュラフが死んで得をする唯一の人……。


 事件の真偽がどうであれ、王族と平民、国民の大多数から証言が信用されるのは王族の方だ。

 アムルは自分の無力さが腹立たしかった。


「なんだ、その反抗的な目は」

「いえ」


 もう一度断れば母も自分も殺される。ガーニムは自分は自分を優しいと言うが、本当に優しい人間はこんなことをしない。


 ガーニムの醜く歪んだ笑顔を見上げて、アムルは思う。父の無実を証明するまで、死ぬわけにはいかない。

 悩んだ末、ガーニムの望む言葉を吐くしかなかった。


「承知しました。明日、スラムに火を放ちます」

「それでいい。もししくじってドブネズミどもに捕まっても、俺の名を吐くな。お前自身が勝手にやったと言え。まぁ、俺の名を言ったところで、誰も犯罪者の息子の言葉なんて信じないだろうがな。ハハハハハ!」

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