第四章 3-3 日常の破壊者

 家から近いという理由で選んだ十分の距離を走り、当然のように閉まっている校門を乗り越えてたどり着いた高校。


 校庭に出た俺たちは、離れた場所に人影があるのを見つけた。

 その人影が手に持っているだろう物からは、校舎に映像でも映し出すように、紅い光が発せられている。そしてその光の中には、黒く、巨大な何かがうずくまっているのが見えた。


 ――もうほとんどリアライズが終わってる!


 半透明ではなく、実体に近い状態になってきている体育館ほどもある怪物を見て、俺は人影の元へと走った。


「何をするつもりだ!」

「何って……、全部いらないから、壊すの」


 振り向きもせず、抑揚の薄い声で言ったのは、予想通り赤坂このみ。

 俺の隣まで駆けつけてきた千夜が叫ぶ。


「やめて! 赤坂さんっ」

「もう無理だよ。だって全部、全部いらないの。学校も、街も、世界も、パパもママも。だから全部消しちゃうだけ。あぁ、そうだ。あの私を襲おうとした男子も消しちゃわないとね。それと、私のことをいつも殴ったり蹴ったりしてきたあの子たちも」


 恐ろしいことを言いながらも、赤坂さんの声には感情がほとんど感じられない。リアライズプリンタによって、想いが実体化してしまい、考えてることを言葉に出しているだけのようにも聞こえた。


「辞めろ、エル」


 鎧を喚んで剣を抜こうとするエルを手で制する。

 いまからでもリアライズを止める方法は、赤坂さんを止める方法はないかと考えているときだった。


「ゴメンね、早乙女君。私は、貴方の描くお話が好きだったんだ。だから、ゴメンね」


 スマートギアを脱いだ赤坂さんが、俺の方を見てそう言った。その瞳は感情がないかのように焦点が合ってなく、けれど少し垂れた感じの目尻には、大粒の涙が浮かんでいた。

 そして、赤坂さんは糸が切れたように倒れ込んだ。


「こいつは……」

 気がついたときには、照射されていた紅い光が止んでいた。


 うずくまるように丸めていた身体をほどき、長い首をもたげる、夜の暗さよりもさらに黒い怪物。

 ファンタジーもののアニメに出てきそうな四本の脚と、広大な面積を持つ翼。けれど、こいつは違う。


「ヤマタノオロチ!」


 その姿を見た俺は叫んでいた。

 身体から生えているのは、人の胴体よりも太い八本の首。八対の紅く光る目が、俺たちのことを高見から見下ろしていた。


 放浪の戦乙女第二部のボス、名前がないために便宜上ヤマタノオロチと呼んでいる破壊の権化、八つ首のドラゴンが、俺たちの前に実体化していた。

 ただの首の多いドラゴンというだけでなく、俺はこれまで描いた中で最も恐ろしい存在として、ヤマタノオロチを気を遣って描いた。


 俺にとって、まさに最強の存在と言ってもいいだろう。

 迷わず剣を抜いたエルよりも先に、一本の首が俺たちから少し離れた場所に下りてくる。

 そこにいたのは赤坂さん。

 食べるのかと思ったが、違ったらしい。絨毯のように広い舌で絡め取り、開いたままの口の中に彼女の身体を納めた。


「ソフィア!」

「――$#%!」

「エル!」

「わかっている!」


 アルドレッドモードへと変身したソフィアは、標準装備のヒートエッジを引き抜き、長剣を両手に構えたエルがスカートの裾をはためかせながら地を這うように飛び、ヤマタノオロチへと迫る。


「千夜、こっちだ!」


 八本の首のうち一本が喉を膨らませたのを見て、俺は咄嗟に千夜の手をつかんで脇目も振らず校門の方へと走った。

 熱気が、ソフィアがゾディアーグを焼いたときよりも激しい熱さが、背中をあぶる。


 どうにか校門近くの木の陰まで逃げて振り向いたとき、ヤマタノオロチは上空を敏捷に飛ぶエルに向けて激しい火炎を吹き付けていた。


「何あれ? ヤマタノオロチってファイアブレスなんて吐けるの?」

「いや、そんな設定はしてない。というか、まだ七巻じゃ登場して少し暴れただけで、能力とか全然出してない。たぶん、赤坂さんの破壊の想像がリアライズされてるんだと思う」


 エルとソフィアは苦戦を強いられていた。

 首のうち四本がソフィアを狙い、三本が桜色の軌跡を残して飛び回るエルを捕らえようと蠢いている。赤坂さんを口の中に納めた首は、縮こまるように他の首の中に埋もれ、攻撃には参加していないようだった。


 エルもソフィアも目的は赤坂さんの奪取。しかし睨みつけてくる首の密度は高く、でかいため鈍そうなのに、首の動きは機敏な上に連携が取れていて、接近することすら難しい。


「千夜!」

 炎を吐き出したのとは違う首が開いた口の中に電撃が走ったのを見て、俺は千夜の頭を胸に抱き込み、自分も右腕を顔の前にかざす。


 耳が割れんばかりの轟音と、闇の中で発せられた激しい光。白く染まりかけた視界の中で、稲妻がソフィアのボディを打つのが見えていた。


「ソフィア!」

「莫迦、辞めろ!」


 地響きを立てながらがくりと膝を突くソフィアに駆け寄ろうとする千夜の手をつかむ。ヒートエッジを持っていない左手をこちらにかざして千夜の動きを制したソフィアは、立ち上がってエッジを両手に構えた。


「ソフィア、やるぞ!」

『――&%$!』

 距離を取って滞空するエルからの声に、いつもと違って拡声器から発せられるようなソフィアの声が応えた。


 同時に攻撃を仕掛けるエルとソフィア。

 上空と地上からの攻撃は、しかし八本の首の攪乱にはならない。

 再び炎と雷撃のブレスが吐き出されるが、それを避けてふたりはヤマタノオロチへと迫った。


 刃を赤熱させたソフィアのヒートエッジは、雷撃の首の喉元を捕らえるが、わずかに食い込むだけで、切り落とすには至らなかった。

 硬い石というより、金属を斬りつけたような甲高い音を響かせて炎の首とすれ違ったエルだったが、首の動きにダメージは見られない。


「斬れない、だと?」


 全高十二メートルのアルドレッド・ソフィアは、胴体だけで彼女の三倍倍近くありそうな容積を持つヤマタノオロチに比べれば小さく見えるが、力は巨大ロボットそのもののはずだ。


 そのヒートエッジは、通常の建物くらいだったら熱したナイフでバターを切るように斬り裂けるはずだし、もし彼女と同等の巨大ロボがいたとしたら、真っ二つにすることだって可能なはずだ。


 エルの剣だって、彼女の腕をもってすれば、地上にあるあらゆる物質を斬れると設定してあるものだ。ヤマタノオロチの鱗は、この世界に存在しないほどの硬さを、――赤坂さんの破壊への意志の硬さを表しているようだった。


「和輝! 奴の鱗は恐ろしく硬い。首を切り落とすのは難しい。どうする?!」

 俺たちから少し離れた斜め上に滞空して、視線を向けてくるエル。


「とにかくあいつから赤坂さんを引き離したい。その後は……、考えつかない」

「わかった。いまのままではわたしもソフィアも全力では戦えない。やってみる。ソフィア! わたしが牽制する! 少女のことは頼む!!」

『――*&%!』


 ソフィアの返事を聞いて剣を納めながら高く空へと上がったエルは、開いた右手を天へとかざす。

 現れたのは、エルの身長ほどの長さの槍。

 それをつかんだエルは身体に淡い光を纏い、槍へと光を集中させ、まばゆい光を発する光の槍としてヤマタノオロチへと投げつけた。


 ヴァルキリージャベリン。


 必殺技というほどのものではないが、巨人族や魔神、怪物相手でもダメージを与え得る戦乙女エルディアーナの攻撃術のひとつだ。

 ジャベリンはヤマタノオロチの胴体に突き刺さるが、貫くには至らない。


「もう一本!」

 さすがに痛みはあるのか、炎と雷撃を交互に吐き出しつつ、他の首を伸ばしてエルを捕らえようとするヤマタノオロチだが、空を舞う軽やかな羽根のように動き回る彼女を捕らえることができない。


 攻撃を避けながらエルがジャベリンを投げて気を引く隙に、ソフィアが体勢を低くして駆けた。

 そのとき、エルを狙っていた首の一本がソフィアを見、喉を膨らませた。


「水?!」


 炎とも雷撃とも違うその首が吐き出したのは、水。

 消防車のホースから発射されるのの何十倍もの太さの水がソフィアの身体を捕らえた。

 いくら大きいとは言え、どれほどの水があの身体に蓄えられていると言うのか。リアライズの時点で通常の物理法則なんて飛び越えているんだろうが、ものすごい勢いの水は最初のうち堪えていたソフィアの巨体を押し流し、体育館に叩きつけた。


「逃げろ! ソフィア!!」

「ソフィアーーーっ!!」


 エルの叫び声と千夜の悲鳴が被る。

 エルへの攻撃を中断した首の二本がソフィアの両腕をがっちりと咥え込み、もう一本が彼女の目の前に迫る。


「くっ。毒などわたしには効かん!」

 どうやら毒だったらしい煙にエルが視界を遮られている間に、ソフィアに向けられた首が雷撃を吐き出した。


 時間にして十秒にも満たないだろう。しかし余すことなく雷撃を受け続けたソフィアは、白い煙を上げ、咥え込まれていた両腕を解放されても倒れるだけで、動かなくなった。


「ソフィア……。ソフィア……。ソフィアぁーーーっ!!」

 錯乱して走り出そうとする千夜を後ろから抱き締めて止めながら、俺は奥歯を噛みしめつつエルへと目を向ける。


 ソフィアをやられて動揺しているのか、明らかにそれまでの敏捷さを失っているエルの身体を炎が嘗め、電撃がかすめる。

 最後には、これまで以上に大きく喉を膨らませた新たな首が、大風を吐き出し、彼女の身体を木の葉のように吹き飛ばしてしまった。


「くっ……」

 負けたのは、確実だった。

 これほどまでに強い怪物を実体化するほどに、赤坂さんの想いが強かったということなんだろうか。


 こちらに向かってきたら俺なんかじゃひとたまりもないことを感じつつ、千夜を抱き締める俺は動けなくなっていた。

 でもヤマタノオロチは俺たちに興味を示さず、校舎へと身体を向けた。


 二本の首が並び、風と炎を吐き出した。

 アッという間に燃え上がった校舎。

 明日も通うはずだった校舎は、ほんの数秒で余すところなく激しい炎の揺らめきの中に沈んでいった。


 しばらくその様子を眺めるように動かなかったヤマタノオロチは、最後に大水を吐き出し、炎でも脆くなっていただろう校舎を、水の圧力で倒壊させた。

 一本の首が、俺と千夜に向けられる。


 その口の中、舌の上に横たわっているのは、赤坂さん。

 それを見せたかったのかのようにも思えたヤマタノオロチは、すべての首を上空へと向け、翼を広げて羽ばたいた。


 ふわりと浮かんだかと思った次の瞬間には、オロチは空を飛び、何処かへと飛んでいってしまっていた。

 俺はその様子を、見ていることしかできなかった。

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