第三章 1-2 朝鍛錬

          *



 いつもならば六キロのランニングを、久しぶりということで今日は短めに四キロにして、軽く流す感じで走る。


 二週間近く休んでいたし、ここのところ食事の量が増えていたから、さすがに少し身体が鈍っているのを感じつつ、ちょっと思いついて肩から掛けた細長い鞄のストラップの揺れを気にしながら、俺は女子三人たちとともに太い河の土手の上を走っていた。


 俺の家からほど近い場所にある、見えるようになってきた太陽に照らされた河川敷の運動広場に入って、ひと通りの筋トレをこなす。

 短めのコースを選択しただけあって、今日は帰るには時間に余裕があった。


「……エル。ちょっといいか?」

 言って俺は近くのベンチに置いてあった鞄開け、中身を取り出して一本を、彼女らしい桜色のジャージを着たエルに投げ渡す。


「何をするんだ?」

「まぁ、見た通りだよ」


 受け止めた短い竹刀と俺の顔を見比べて、エルは不思議そうな顔をしていた。

 顔を見合わせた千夜とソフィアがベンチへと逃げていくのを確認して、俺はそこから少し離れた場所でエルと正対する。


「わかった。相手になろう。……しかし、その構えはなんだ?」

 俺とエルが持っているのは、小太刀程度の長さの練習用の竹刀。


 重さはそこそこだけど、かなり柔軟性が高く、本気で打ち込んでもよほどの力でない限り怪我をしないほどに柔らかいものだ。

 盾を持つことが多い戦乙女としては標準的な構えのひとつである、右足を引き、左腕を前面に構え、右手の竹刀を引き気味に構えるエル。


 対して俺は、右手に持った竹刀を頭の上で担ぐように水平にし、刀ならば剣の背に当たる部分に左手を添えるという構えを取っていた。そして竹刀は、エルに対して垂直にし、剣先が見えないようにする。


「……構えについてはあんまり気にしないで、本気で打ち込んできてみてくれ」

「ふむ」


 軽く振って竹刀の柔らかさを確かめ安全を確認したのか、訝しむように目を細めながらも構え直すエル。


 ――完全に一発勝負だな。


 俺の狙いはただひとつだけ。

 一度見られたら俺ごときじゃ二度は通用しない。俺に勝機があるのは一度だけだと思う。


 どのようにでも動けるように腰を少し低くし、細く長く息を吐いて、止める。邪魔な前髪すらも気にならないほどに、ほんの微かなエルの挙動も捕らえられるように集中する。


「はっ!」


 エルの気合いの声より先に、右足の踵が微かに上がったのを見た俺は、右手を動かし始めていた。


 思っていた通り素直で、速度を重視した打ち込みをしてくるエル。

 右手に持った竹刀を左肩の方に振り被り、深く踏み込んで俺の右肩から入るように袈裟懸けの軌道で斬りつけてくる。


「な?!」


 読みが当たったために軌道を修正する必要もなく、俺の竹刀は振り下ろされてくるエルの竹刀を、空中で打ち落としていた。

 驚きで表情と動きが固まった一瞬、俺は強引に力で胸元に引き戻した竹刀を、エルの喉元に突きつけていた。


「ま、参った……」

「ふぅーーっ」

 緊張が途切れて、俺は思わずしゃがみ込んでしまう。


「いまの太刀筋は何だったのだ? 学校でやっていた剣道というものとも違ったろう」

「あぁ、うん。違う。親父から習ったんだ」

「蔵雄殿から?」


 エルに差し出してもらった手をつかんで立ち上がった俺は、もう少し詳しく説明することにする。


「我流なのかどこかで習ったものなのか知らないんだけど、親父は達人と言っていいレベルの剣士だよ。俺と千夜が習ったのは護身術程度のものだけどね。いま使ったのは親父から習った型のひとつ。三ヶ月ぶりだから、まともに動けてよかったよ……。こっちから打ち込んでも絶対勝てないし、驚かせでもしないと対応されるからね」


 ある程度手加減をしていた感じもあったが、エルの動きは正直目で追えていたとは言い難い。竹刀の軌道とタイミングを読めたからこそ、打ち落とすことに成功しただけだ。

 戦乙女である彼女の動きは、手加減したものであっても親父がお袋と真剣勝負をしているときに匹敵していたから、普通の人間でしかない俺なんかじゃ、事前に彼女の戦い方を知り、読み勝ちでないと対応なんてできない。


「戦う前から負けを宣言するとは情けない。もう一本、お願いする」

「いや、絶対無理だし……」

「先に願いを受け入れたのはわたしだ。次は和輝、貴方がわたしの願いを聞いてくれてもよいのではないか? さぁ、構えろ」

「ぐっ」


 正論を言われて答えに詰まった俺は、どうやらムキになってるらしいエルから少し距離を取った。ニヤニヤと笑って声援を送ってくる千夜とソフィアにため息を吐きつつ、もう一度同じ型で構える。

 そうしてそれから三回エルと戦い、三回とも負けを味わう結果となった。


「痛つつつっ」

「……済まん。少し強く打ち込み過ぎた」


 感情をそのまま力に変えたエルの打ち込みは、柔らかい竹刀だと言うのに内出血するほどの強さで、ベンチに座った俺に彼女は治癒の術をかけてくれる。

 思っていた以上に時間が経ち、いつものランニングのときよりまだ早い時間とは言え、この後のことを考えるとそろそろ帰らないといけない時間になっていた。

 治療が終わり、ベンチから立ち上がった俺は全員の顔を見渡して言った。


「戻ってシャワーを浴びたら、俺の家に集まってほしい。朝食は俺が準備するから。……少し、話したいことがある」

「ん。わかった」

「――*%&」


 即答する千夜とソフィアだが、エルは目を細めて険しい顔をしていた。俺が視線を向けると、彼女もまた返事をくれる。


「わかった。その通りにしよう」


 全員の返事をもらった俺は、竹刀の入った鞄を担いで、家までさほどない距離を三人とともに走り始めた。

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