第6話 修行 その1

「はぁ……はぁ……」


 焔の森――それは可燃樹と呼ばれる発火性の木がいたるところに生えている森である。そこかしこで大規模な森林火災が日常的に起こるため森の内部の気温はゆうに六十度を超え、また可燃樹が自然発火しやすいように大気中の水分を過分に吸収するため森の中の空気は非常に乾ききっている。


 そんな過酷な森の中で、一人あてもなく彷徨っている者がいた。


 フレイ・ブレンネン。


 なぜ彼が、全身に水の衣を纏い息を切らしながら森を歩いているのかというのは、およそ一時間前に遡る――



 ◆◆◆◆



「……ふぅーっ……」

「いいぞ、三時間経過、まだまだやれそうだな」


 フレイは初めてラッドの修行を受けるようになってから半月が経過していた。今日も今日とてブレンネン家の屋敷の近くにある焔の森のどこかで邂逅したフレイとラッドは魔力変換を体得できるようになるために修行を行っていた。


 行っているのは魔力炉を連続で起動状態を維持する修行。初回は一時間が限界であったが、現在は三間以上維持することができるようになっていた。初めは一時間維持するだけで額に汗が浮かぶほどだったが、今では一時間程度なら難なくこなせるようになっていた。すでに一時間たっているにもかかわらず全く苦しくなかったことを知ったときは驚いたものだ。


「よし、いったん止めだ」

「?」


 突然見計らったようにラッドが修行の中断を申し出た。これまで途中でやめるということがなかったのでフレイは少し驚いていた。


「そろそろ次のステップに移ろうか。このままダラダラ魔力炉を起動し続けていても、成長はするが伸びが悪くなっていく。だから、これからはお前に課題を貸す」

「課題……?」

「この森には、可燃樹という特殊な木と環境に適応した固有の野生動物がいくつかいるな?」

「あ、ああ。トビヒカゲとか、ヒネズミとか」

「俺が確認しただけで五種か。そいつらを全部捕まえてこい、もちろん魔力炉は起動し続けたままで。制限時間はお前の魔力炉が起動し続けられるまで、もし維持が途切れたらその日の修行は終わりだ」



 ◆◆◆◆



 現在、フレイは焔の森を一人で歩いていた。ラッドに課された五つの動物を捕まえるという試練。その達成のためにフレイは、これまで来たこともないほど森の奥深くまで足を踏み込んでいた。


 焔の森はブレンネン家の屋敷を取り囲んでいる。そして森の奥に行けば行くほど、熱気と空気の乾燥は強くなっていく。今、フレイが歩いている地点は普段ラッドと修行している場所よりも熱気と乾燥が比べ物にならないほど強かった。


「(あれから一時間くらい経ったか? 正直こんだけ辛くなるとは思わなかった……)」


 元々は魔力炉を起動し続けるための修行だ。当然動物集めの間も魔力炉の起動を求められる。今のフレイはただ魔力炉を起動し続けるだけならば三時間は優に越せるだけの力を身に着けていた。


 それなのに、元々三時間修行して、そこからさらに一時間の連続起動。本来ならばまったく余裕のはずだが、全身に疲労感が溜まっていた。


 その理由は魔力炉と共に、魔術|水衣《アクア・アウター》を同時に使用しているからだ。焔の森の過酷な環境に耐えるために薄い水を体の表面に張り付けて熱気と乾燥から守っていた。


 《水衣》の制御が予想以上にフレイの精神と体力を削っていた。水の量を多くすれば動きづらくなり、少なすぎるとすぐに水が気化して剥がされて素肌が熱気に晒されてしまう。その調整を周りの不安定な大気に合わせて随時調整しながら歩かなければならない。


 それが思っている以上に難しい。


「はぁ……はぁ……」


 現状、こんな状態では五つの動物を集めるなんて、夢のまた夢のような話である。そもそも、ラッドは五種とは言ったが、フレイが知っている限り焔の森に住む固有種は三種だけ。残りの二種は聞いたことがない。


 そんな状態で探すことなんてできるのだろうか――。


 とまだ知らぬ二種に思いを寄せていたところ、ふっと身体の力が抜ける。それと同時に体を包んでいた《水衣》が解除される。


「あ……」


 魔力炉が限界を迎えて強制的に稼働停止してしまう。そのままフレイは焔の森の地面に倒れこんでしまう。そして運悪く、目の前には燃え盛っている苔があり、そこに顔面から突っ込むことに――はならなかった。


 フレイの胸に取りつけられた血のブローチ。それがフレイの魔力炉停止を検知して内包された術式が自動で起動する。あっという間に血の塊が縄状に展開し、フレイの身体の節々を固定し操る。そのままあっという間にフレイを森の外まで運んで地面に落とした。


「ぐえっ……」

「と、このようにお前が魔力炉を停止すると強制的に森の外まで運び出す。今回は初回だから見逃すが、次回以降血の縄で強制退去した場合、次の日の修行はナシだ。その分お前の家での日時が遅れていくことになる」

「……わかったよ師匠」

「わかったなら今日はもう休め、明日から本格的に森で動物集めをやってもらうぞ」



 ◆◆◆◆



 次の日からラッドによる本格的な修行が始まった。とはいえ修行といっても森の中に入って指定された動物を捕まえてくるというもの。だが、その過程でラッドによって定められたいくつかのルールがあった。


 一つ、指定された動物は“必ず生きて“捕まえてくること。

 二つ、修行の始まりは必ず朝の九時からとすること。

 三つ、修行中は森の外に出てはならない。外に出れば中断とみなし、以後その日は修行を禁ずる。

 四つ、修行の手助けになるような物を持ち込んではならない、すべて森の中で調達すること。

 五つ、森の中にいる間は常に魔力炉を起動し続けた状態でいること。


 今朝森にくると以上のルールを一方的に告げられて、それ以外は何をしても、どんな手段を使ってもいいとのことだった。

 そして肝心の課題となる動物たちはというと……。


「課題の動物は一つクリアするごとに伝えるよ。いっぺんに言われてもどうせクリアできないから」


 とのことで全ては伝えてもらえなかった。


「『追いかけろ、木々を飛び交う火の魂』、か」


 一見すると何のことだか分からないかもしれないが、これを読んだフレイには一つ心当たりがあった。

 その心当たりを確かめるためにフレイは森の中へと足を進めていくのであった。



◆◆◆◆



 一本の大きな可燃樹の木がある。幹周りが三メートルもあるような太くて天高く聳える大木だ。その木の高所に生えている枝葉から、様子を伺う小さな生き物がいた。


 トビヒカゲ、頭から胴までは十五センチほど。尻尾を含めると二十センチ程度ある小型のトカゲの仲間である。彼は今機会を待っているのだ。可燃樹が種子を散布するために自然発火するタイミングを今か今かと伺っている。


 そしてついに、彼が枝に止まっている可燃樹の巨木に火がついた。一度火がついた可燃樹はまるで烈火の如く炎をあげて、火柱をこれでもかとたち登らせる。それと同時にトビヒカゲも枝から飛び降りた。


 あわや地面へとトカゲは落ちていく、ことはない。彼は空中で小さな前足と後ろ足を大きく広げた。彼の足と体の間には薄い被膜が付いていて、可燃樹が燃える際に発生する上昇気流を掴んで大きく空に舞い上がる。その勢いのまま森の木を蹴ったり、さらに燃えている可燃樹へと寄って再び上昇したりして、長い距離を移動するのだ。


 一説には最長で二キロ以上飛行し続けたなんて記録もあるぐらい、トビヒカゲはこの森の環境に適応した生物であると言える。



◆◆◆◆



「本で知ってたけど、実際に見るのとじゃ全然違うな」


 フレイは地上から、トビヒカゲが木から降りて被膜を広げて飛んでいくのを眺めていた。元々の小ささもあってあっという間に森の奥へと飛んでいき見失ってしまう。


「で、これをどうやって捕まえるんだ……」


 トビヒカゲは見つけることはそれほど難しくない。焔の森を歩いて見上げていればすぐに視界に飛び込んでくる。問題はそれをどうやって捕まえるか、だ。フレイはあっという間に森の彼方に消えていくトビヒカゲを見送りながら捕まえる方法を思案していた。



◆◆◆◆



 方法その1、飛んでいる最中のトビヒカゲを撃ち落とす。


 フレイは地上に座り込み、魔力を練っていた。水の魔力使いらしく、水を生成し形を変えていく。想像するのは矢、狙った方向へまっすぐ飛び目標を射抜く矢だ。

 しかし今回の目的は殺傷ではなく捕獲のため、矢尻の形を尖らせて穿つのではなく、当たった対象を水球に捉えるような水の塊に形を変える。


 生み出した水の矢を持って、何度も角度を変えてしっかり直線になっているかどうかを確認しながらなんとか完成させた。


「できた。《水矢・捕獲型》(アクアアロー・アンエリミネイト)ってところか」


 試しにその辺りの樹に向かって発射を指示すると、水の矢は一直線に目標へと向かい直撃。しかし対象を破壊したり突き刺さることはなく、代わりに先端に取り付けられた水の塊が広がってまるで吸盤のように木に張り付いて表面を閉じ込めていた。


「これなら……やれそうだな」


 それからフレイは水の矢をいくつか生成して自分の周りに浮かせながら森を歩いて獲物を探した。

 しかし結論から言うとこの作戦は失敗に終わった。理由は単純に矢のような局所的に攻撃する手段では、空中を素早く自在に機動するトビヒカゲを捉えることができなかったのだ。


 そもそも空を飛んでいるトビヒカゲを見つけたと思った瞬間には、すでに頭上を通り越して消えてしまうほどに速い。獲物を認識して、狙いをつけて、撃つ。という動作が間に合わない。


 なれば初めから発射態勢で維持して、軌道直線上を獲物が通りかかるのを待つという手段もなくはないが、あまりに時間効率が悪すぎる。そうした狩りの方法を取り入れている生物もいるが、それは獲物が通りかかるまでジッと動かずに自身のエネルギー消費を限りなく抑えているから成り立つ戦法だ。


 常に魔力炉を維持し続けなければならないという条件のフレイでは不可能である。


 方法その2、空中に罠を仕掛けてみる。


 次にフレイが考えついたのが、トビヒカゲが空中に移動するルートにあらかじめ罠を張り巡らせておくという方法。さしずめ蜘蛛の糸作戦というべきか。


「《水の糸》」


 水を生み出して、それらを限りなく細くつながるようにして糸状へと変えていく。今の強度では人の手で簡単に千切れてしまえる程度だが、あの小さなトカゲを捕まえる分には問題あるまい。


 そしてさらに、水の糸の等間隔に、水の矢でも用いた捕獲用の水の塊をいくつも配置していく。まるで蜘蛛の巣に雨粒がくっついたかのような見た目になる。


「《水の糸・雨上がりの朝》(レイニー・ブレイク)」


 試しに糸に触ってみると、水の玉がいくつも手に吸着してきて糸が絡まってくる。これならば、捕まえられるかもしれない。


「よし、いける──」



「……で、調子に乗って糸を張りすぎて魔力切れして魔力炉を停止させて今に至ると」

「うぐぅ……」


 呆れ果てたラッドの足元でぐったりと横たわるフレイが悔しそうに顔を顰めていた。

 トビヒカゲは獲れなかった。

 






 あとがき

 ~フレイに課せられた動物集めリスト~


 トビヒカゲ:追いかけろ、木々を飛び交う火の魂

 ヒネズミ :???

 ???  :???

 ???  :???

 ???  :???

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