第19話 転送の座標、秩序の臨界


@空テロ オペレーションルーム


「事故処理対応班、最優先で動かせ! 各航空会社に同時照会! 実際の搭乗名簿は外部には一切……」


 松永の悲鳴にもにた指示がオペレーションフロアを飛ぶ。その顔には怒りも焦りもなかった。だが、目だけは鋭かった。


 命令は明白だった。

「当該機は事故として処理せよ」


 政治判断とも呼べない、もっと曖昧で不気味な“意志”による通達。しかもそれは、軍でも政府でもない何かから発されたものだった。


 機体の情報は、すでにジャミングにより一切遮断されている。レーダーも、通信も、衛星追尾も──真っ白だ。何が起きているのか、誰も把握できていない。


 ただ見えないだけだ。まだ飛行中だと信じたい。それを“なかったこと”にしろという命令が下っている。感情的には従えるわけのない命令だ。だが、当該機の情報が何も手に入らなくなった以上は、命令に従う以外にできることが何もない。


 松永はどこまでいっても組織の一員であり、警視庁東京国際空港テロ対処部隊の長でもある。指示系統を無視すれば、部下が混乱し隊が崩壊する。隊が崩壊すれば、東京の空の安全が脅かされる。


 久我の事は心配でたまらない。息子のように思っている部分もある。だが、今、松永のすべきことは部隊を正常化することだ。だから、松永は身を切られるような思いで命令を飛ばしていた。


 部下達もその苦渋の決断の重さを理解しているのか、苦言を呈する者はいなかった。あまりの特殊な状況への対応に混乱・疲弊した頭脳が、思考停止している部分もあるのかもしれない。


 一種の諦観の空気から、部隊が落ち着きを取り戻そうという時だった。


 作戦用端末でも、軍用ラインでもない。松永の個人携帯が震えた。非通知。番号は表示されない。


 ……出るか?


 現場は今、ハチの巣をつついた騒ぎだ。雑音のような外部連絡に応じる余裕など、本来あるはずもない。だが、松永は通話ボタンを押した。


 直感だった。この場にふさわしくない方法で届く情報ほど、時に本質を突くと彼は知っていた。


「──隊長。久我です」


 声を聞いた瞬間、松永の表情がわずかに動いた。


「……生きていたか」


 声は落ち着いていたが、松永の安堵は筆舌に尽くしがたいほどだった。椅子に深く腰を沈める。聞きたいことが色々あったが、久我の声が緊迫している。松永はぐっと堪えて、次の言葉を待った。


「時間がない。詳しく説明もできない。乗客の救出方法を端的に話す」


「―話せ」


 松永もプロだ。部下である久我の横柄とも思える態度に何の感情もない。久我の話す一言一句を聞き逃さないように集中する。


「今から言う座標に100名を収容できる航空機を飛ばしてくれ。そこに乗客を転送する」


 松永の呼吸が止まった。まるで電子メールのように“転送する”という久我の言葉には違和感はあったが質問はしない。久我の声は、強く、揺るぎがなかった。彼がそう断言するならそうなのだ。

 松永にできることは部下の信頼に応える事だ。


「座標を言え」


 その一言で、久我の声のトーンが変わる。


「北緯28.5度、西経66.2度。繰り返す、北緯28.5度、西経66.2度」


 松永は脇目も振らず、端末に向かって怒鳴った。


「空自に回線直結! C-130即時発進! 理由は“緊急物資搬送支援”で通せ!」


 周囲がざわつく。誰もが「事故処理モード」に入っていた中、突然の方針転換。


「隊長、それは──」


「責任は俺が取る! いいから飛ばせ!!」


 鋭く怒鳴り返すと、空気が一変した。


「ありがとう、隊長。乗客は必ず助ける」


 通話の向こうで、久我がそう言った。


「……お前も生きて帰ってこいよ」


 松永がそう呟く前に通話は切れていた。あいつらしい、と松永は笑う。


 ようやく笑う余裕ができたか、ポンコツよ。さぁ仕事に戻れ。

 

 松永はそう自分を叱咤して携帯を静かに置くと、再び作戦台に立つ。


 混乱の渦中で、たったひとつの声が──このオペレーションセンターに、“再び戦う意思”を呼び戻しつつあった。



@機内 エコノミークラス客室



「皆さま、どうかお静かに! 聞いてください!」


 機内放送のスピーカーが緊張した声を響かせた。Chaosの戦士アルヴィンが、客室全体に向けて説明を始める。

 自分もできることをしたいと申し出た彼に、久我が指示した役割だ。戦士らしいよく通る落ち着いた声が、少しでも乗客の不安を和らげれば良いと久我は考えていた。


「まもなく、この機体から自衛隊輸送機へ、乗客の皆さまを一名ずつ順に最新の輸送技術で転送いたします。これは安全な脱出手段です! 必ず全員を避難させますので──どうか落ち着いて……!」


 久我の願いはあえなく散った。アナウンスを遮るように怒号が飛び交い始める。


「ふざけるな! 誰がそんな“転送”とか信じるかよ!」

「光に包まれて“ふわっ”って……ふざけてんのか!? SFじゃねぇんだぞ!」

「その技術って安全なんですか!? 誰か試したんですか!? 副作用は!? 肉体が分解されたりしないんですか!?」

「妊娠中なんです! そんなもの、私の身体に何が起こるか──!」

「おい、このまま全員まとめてどっか異世界に飛ばすんじゃねえだろうな……!」


 混乱は一気に広がった。安全性への疑問、不安、怒り、そして恐怖。誰もが、いきなり告げられる最新の輸送技術を信じきることができなかった。しかし、魔法と正直に説明することはできない。より混乱を招くことは火を見るよりも明らかだからだ。


 久我は、叫びの渦の中に立っていた。


 魔力のことも、転送術のことも、彼自身が完全に信じているわけではなかった。だが、たった一つだけ確信できることがあった。


──“実行すれば、助かる命がある”


「……落ち着け!」


 悟空の声が、機内を打った。一瞬だけ沈黙が走る。


「確かに、未知の技術だ。疑いたくなるのも分かる。だが今ここで議論してる時間はない。俺だって信じてるわけじゃない。けど……やるしかないんだ」


「命を賭けて信じろってのかよ!? じゃあ、お前が先に転送されて証明しろよ!」

「そうだ! 説明できない技術に命を預けろなんて、無責任すぎる!」

「全員助けるって言ったくせに、最初から優先枠とかあるんだろ!? 操作されてるんだよ!」

「家族がいるんだよ……! 頼むから、俺を先に……!」

「私が行けば、現場と連絡が取れるんです! 国家のために!」


 叫び声が混線するように飛び交い、乗客たちは阿鼻叫喚の様相を呈し始める。自分の命を主張する声。安全性への不安。誰もが“理屈”よりも“生存”を求めていた。


 だがその混乱の最中、ただ一人──


 魔法使いの少女は、座席と座席の間に設置された術式構築ポイントの中央で、黙々と詠唱を続けていた。


 滝のような汗を額に浮かべ、唇を微かに震わせながら。人々の不安も、怒声も、全て受け止めながら。


 久我はその背中を見ていた。


 自分の世界と、見知らぬ人々を救おうとあんな少女が命を賭けている。それに応えるのが正義の味方ってもんだ。


 久我の目がまた鋭く光った。



@機内 エコノミークラス後部座席



 椅子の角度を少しだけ倒し、 ネクレムは静かに目を閉じていた。

ただし、眠ってなどいない。むしろ目を閉じている方がよく見えるのだ。機内全体の“空気”が。


──絶望と混乱、焦りと自己保身。


 普段はひた隠しにして高尚な存在のフリをしている人間の“本質”が、皮膚の下から染み出してくるようだった。


「優先しろ!」「俺は病気だ!」「妻だけでも!」


 その声が一段と高まるたびに、ネクレムの口元がわずかに吊り上がった。


 まったく、見事なものだな。


 本性を隠す仮面など、死の予感ひとつで容易く剥がれる。人類文明とやらの薄っぺらさが、こうしてよく見える。


 見栄も、理性も、思想もない。あるのはただ、自分の命だけ。それを正当化するための理由を、喉がちぎれるほど叫ぶだけ。


 彼らは、自分で何かを変えようとはしない。与えられたものにしがみつき、誰かに責任を押しつけ、誰よりも“自分が助かりたい”と喚くだけ。


 どこまでも、くだらない。くだらなすぎて喜劇にすらならない。


 何度も観察した。幾度も転移を繰り返し、この世界の様々な都市、文化、思想を見てきた。だが、どこも同じだった。


 都市は醜く、言葉は空虚で、闘争は陰湿だ。



 Chaos。

 あの混沌の大地。

 己の肉体、頭脳、存歳全てを賭け、裏表なく一心不乱に闘争を続けるあの世界の美しさがこの世界に来ると際立つ。そうした世界を創り上げた魔王を、打倒すべき対象と見ながらも、ネクレムは尊敬していた。


 自分が目指すのは、やはりあちらだ。

 あそこへ戻り、そして――


 頂点に立つ。自分が君臨してこそ、あの世界は完成する。


 彼の目が細く開かれる。誰にも気づかれぬよう、ただ冷たく、燃えない火のような視線で機内を見渡す。


 そろそろ、片をつける頃合いか。


 乗客たちの怒声が再び耳に届く。ネクレムは、低く、誰にも聞こえない声で呟いた。


「──さよなら、愚かなで醜い人間達」

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