第15話 失いたくないもの

「かんぱ~い!」

 

 6月25日、土曜日の昼下がり。私と誠也は近所のファミレスにいた。

 今日は誠也の「ハフバ」つまり、誕生日のちょうど半年後の「ハーフバースデー」のお祝いだ。


「なんか、こんな時期に改めてお祝いされると、照れるね」

 そう言って誠也は笑う。

 

 ちょうどその時、注文していた食事が運ばれてきた。私はハンバーグ。そして誠也はチキングリル。

 

「えり子ってハンバーグ好きだよね」

「うじ! そういえば、誠也は何が好きなの? あ、私以外で」

 私はちょっとおどけてそう言う。

「えり子は煮ても焼いても食えないからなぁ~」

「うにゃ~! ひど~い!」

 そう言って二人で笑う。

「まぁ、俺は……ラーメンとかかな?」

「おじょ! 札幌ラーメン! ……お誕生日もラーメン屋さんが良かった?」

「いや、ラーメン屋じゃケーキ無いし」

 私はそんな他愛もないやり取りが心地よく、幸せだった。

 

 メインが食べ終わると、ケーキが運ばれてくる。私たちはドリンクバーで改めてそれぞれの飲み物を用意した。

「では、誠也のハフバに乾杯! おめでとう!」

「ありがとう!」

 グラスを合わせ、誠也のハフバを祝福した。


 

「もうあと1か月でコンクールだね」

 ケーキを食べ終わって落ち着いたころ、誠也はおもむろにそう言った。

「うじ。正確にはもう1か月切ってるけどね」

 

 コンクールは7月24日だ。

「コンクール終わったら、いよいよ私たちも引退だね」

「寂しくなるよな」

 

 誠也に改めてそう言われ、私も急に寂しい気持ちになった。

「うじょ~。誠也とも会う時間減っちゃうし」

「まぁ、一緒に受験勉強するって言うのもアリだけどな」

 

「ねぇ、誠也。誠也はもう、高校決めた?」

「まだ。この辺の高校よくわからないし。えり子は?」

「う~ん、私もまだかな。来年の今頃、どこで何してるんだろうね」

「きっとどっかで高校生やってるんだろうけど、全然想像できないよな」

 

 私は来年もこうして誠也と一緒にいられるのだろうか?

 

「えり子は将来、学校の先生になりたいんだろ?」

「うじ」

「だったら大学進学も見据えた進学校じゃないとだよな」

「そうなんだけどね……。誠也は将来、何になりたいの? やっぱりプロの音楽家?」

「いや、音楽家は考えてないよ」

 私は目を軽く見開いた。

「そうなの? こんなに知識もあって楽器も上手いのに」

「俺くらいのやつはいっぱいいるって」

「そっかぁ。じゃ、やっぱりラジオDJ?」

「う~ん、それもどうかな。まだ具体的には考えられていないんだよね」

 

 私は意外だった。誠也ならとっくに将来の夢を定めて、それに向かって計画的に準備していると思ったのに。

 でも、そんな誠也にちょっと安心した自分もいた。

 

 ♪  ♪  ♪

 

 7月に入り、いよいよコンクールに向けて練習もより一層ハードになった。

 私はそんなハードな練習でも誠也の隣で楽器を吹くことに幸せを感じていたし、日々よりよくなっていく演奏にも満足していた。

 

 しかし、どうしても気になることがいくつかあった。

 

 一つ目が、結奈ゆいなちゃんの存在である。

 結奈ちゃんも一生懸命練習をしているのだが、やはりほかのコンクールメンバーに比べると追い付いていない箇所が多い。コンクールを目前に控え、そんな結奈ちゃんに対し、誠也が個人レッスンをする機会が増えていった。

 自分でもくだらないと思っていても、やはり見ていて面白くなかった。

 

 そんなある日、そんな気持ちを思わず誠也に吐露してしまう出来事があった。

 

「ねぇ、誠也。最近さ、なんか結奈ちゃんに付きっきりだね」

「まぁ、彼女も頑張ってはいるんだけどね」

「うじ。でも、ちょっと結奈ちゃんばっかりじゃない?」

 誠也は少し困ったような顔をした。

「まぁ、えり子の気持ちもわからなくは無いけどさ。でも、仕方ないじゃん。コンクールでより良い演奏をするためにはさ。それが結果となって俺たちにも返ってくるわけなんだから」

「うじゅ~。それはそうなんだけどさ……」

「大丈夫。俺と結奈は何もないって」

 誠也はそう言って笑顔をくれる。

「もちろん、それは分かってるよ。だけどさ。やっぱり、誠也と結奈ちゃんがいつも一緒にいるのを見てるのが辛いよ……」


 誠也は少し無言になる。そんな誠也を見て、私は急に怖くなる。

 

「……ごめん、ちょっと言い過ぎた」

「いや、それは良いんだけど。でも、コンクールってそんな生易しいものじゃないだろ? 結果が全てなんだから」

「うん。わかってる」

 

「えり子はコンクールの舞台でどんな演奏がしたいと思ってるんだ?」

「ほえ?」

 わたしは突然の質問に言葉を詰まらせたが、正直に話した。

 

「私は、たとえそれがコンクールの時でも、自分たちの演奏を聴いてくれる人のために音楽を届けたいと思うな。そのためにはまず、自分たちが音楽を楽しまなきゃいけないじゃないかって」

「そっか」

「誠也は?」

「俺は出場するからには絶対に金賞を狙うべきだと思ってる。だって、自分たちの実力をジャッジしてもらうために出るんだろ? そうじゃなきゃ意味が無いと思う。だからこそ、結奈にはバンドの足を引っ張ってほしくないと思うし」

「……そっか、そうだよね」

 私はそう言って俯いた。

 

 たぶん誠也の言っていることの方が正しいのだろう。コンクールは単なる演奏会じゃない。出場するからには金賞を狙わなくては意味がない。

 

 ――でも、音楽ってそう言うものなの?

 

 私はそう思ったが、それを言葉にするのはやめた。


 ♪  ♪  ♪

 

 そして、私の幸せにブレーキをかける出来事がもう一つ。7月中旬に行われた三者面談だ。

 

「こちらが2年生の時との比較です」

 担任の先生から示されたデータに、同席したお母さんは思わずため息を漏らした。

 これまで成績の低い教科でも学年の上位3分の1にはいたが、前回の中間テストで軒並み下落。ひどい科目では下位3分の1にまで落ち込んだ。


「かなり厳しいですよね」

 お母さんはそう言って眉間にしわを寄せる。

 

「これまでは上位の進学校も狙える成績だったのですがね。まぁ、今回のテストが全てではないですし、小寺さんの場合は2年生までの貯えもあるでしょうから、まだ挽回のチャンスはあると思いますよ。でも、この夏休みが勝負です。ご家庭でもしっかりと話をされてみてはいかがですかね?」

 

 

 その夜。

 小寺家では私の成績についての話し合いがもたれた。


「こんな成績じゃ、行ける高校なんてほとんどないでしょ?」

 お母さんに厳しい口調で言われ、私は返す言葉も無かった。

「ごめんなさい……」

「お姉ちゃん、片岡くんとお付き合いを始めてから、成績が落ちてるんじゃないの?」

「それは……」

 

 関係ない。そう言いたかったけど言えず、代わりに涙があふれてきた。誠也のせいではないけれど、確かに勉強に身が入っていない自覚はあった。

 

「一度、片岡くんと離れたら? 受験が終わったらまたお付き合いを始めたらいいじゃない」

 お母さんにそう言われ、私はあまりにも辛くて号泣した。

 

 ――誠也と付き合っているせいじゃない。誠也がいるから頑張れる。誠也と別れたくない。


 私はそう言いたかったが、それが言えなかった。

 

 私が少しおさまるのを待って、これまで黙って話を聞いていたお父さんが口を開いた。

「まぁ、お父さんはな、無理して片岡くんと別れなくても、2人でうまくやっていけばいいと思うけどな」

「お父さん!」

 お母さんがしかめっ面をしてお父さんを見るが、お父さんは構わず続ける。

「恋愛が全て悪いわけじゃない。コンクールだってあるしな。要はバランスだよ。えり子、バランスよくやりなさい」

「……はい」

 

 私は自室に戻って、暫くただぼんやりと過ごした。今日は日課にしていた天気図も描く気力が無かった。

 

 この夜を境に、啓太けいたは私とほとんど口を利かなくなった。啓太の部屋にも会話が聞こえていたのだろう。嫌なものを聞かせてしまった。

 私は啓太にも申し訳なく思った。


 コンクールまであと一週間。


 ――これ以上、家族に迷惑を掛けられない。そして大切なものを失いたくない。

 

 私はまず、目の前の課題に真剣に取り組もうと心に誓った。

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