第12話 その2


 さて、何事もなく無事に二ヶ月が過ぎ、摯は除服した。

 日常を取り戻した摯が先ず行ったのは、莘公の城へと赴く事である。

「空模様があやしいな」

 歩きながら空を見上げた肆は、独りごちる。

 夏の盛りをすぎ秋への道が開きかける時期特有の、雲が多く風が冷たい日である。

 小肌寒さがある。

 今にも雨が降ってきそうな冷えを感じつつ、摯は城へ向かう。

 懐かしさが溢れる道行きである。

 門扉が見えてきた。

 そこに大きな人集りを見つけた摯は、瞳の奥が熱くなった。

 ――あれは!

 厨房の皆が、いつ来るか今来るか、と待ち構えてくれている。

 摯を最初に見つけたのは、二番手として信頼厚い方丹だった。

「おお、肆よ!」

 方丹の声を切っ掛けとして、皆、歓声を上げる。

「摯だ、摯だ!」

「摯がやってきおったぞ」

「よくぞ戻ってきたものよ」

「よくやった、本当によくやり遂げぞ」

「わしらも誇らしいぞ、おい」

 諸手を挙げて駆け寄る姿は殆ど祭である。

 摯を取り囲み、奇声を発して飛び跳ねまわる。

 かと思えば大の男どもが、大仰に涙を流す。中には勢い余って涎と鼻汁まで垂れ流す者まで現れた。

 大笑いと共にもみくちゃにされながら、摯は感動していた。

 ――わたしは、愛されている。

 父と母のみではなく、有莘氏の人々にも、父が愛してやまなかった仕事場の仲間にも、こんなにも慈愛をかけて貰えている。

「よく来てくれた」

 豪快に摯の背中を叩いている方丹は、まだ涙ぐんでいる。

「これから、ぬしはどうするつもりでおるのだ」

「はい、叶うことならば、こちらで仕えさせて頂きたいのです」

 父の代わりとして厨房に入る許しを請い願いたい。

「端仕事で良いのです。置いて使って頂けないでしょうか」

 申し出に、勿論だ、と力強く賛同して貰えるものと疑いもしていなかった摯であったが、途端に皆の明るい空気が萎んだを見て、首を傾げた。

「どうなされたのですか?」

「うむ、今の莘公の厨房が、ぬしにとって良いものかどうか」

「それは、どういう意味でしょうか?」

 方丹が、事の仔細を話してくれた。

 伊風を失った後、莘公の饗に応じる氏は殆どなくなってしまった。

 莘公の宴は料理の見事さだけでなく、応じた氏に対しての心尽くしと話術が秀でていると評判であったが、それらは伊風という天才があってこそ、完成するものだったからである。

「厨師さまの万分の一で良い、わしにも才能があれば良かったのだが」

 料理の腕だけであれば、厨師として方丹はどこの氏でも通用する。

 だが話し下手な方丹には、宰人という立場は憧れ留めておくべき立場であった。

 荷が勝ち過ぎたのである。

 しかし、まともな宴が開けないとなれば国としての対面は保てない。

 そこで莘公は、宰人として新たに易堅という男を雇い入れた。

 威信が地に落ちた有莘氏の元にやってきてくれる宰人がいたと、莘公は子どものように素直に喜んだ。

 これで再び宴を開けるのだ、と。

 そこまでは良かった。

 だがこの、易堅という男がいけなかった。

 伊風の味をことごとく、これでもかと嫌いぬいたのである。

 これまで伊風たちが築きあげてきた、ありとあらゆる技と味を否定し破壊し尽くした。

「それまで厨房で働いていたわしらをぞんざいに扱い、挙句の果てに、報奨が少ないとぼやいてな、出奔してしまったのだ」

「何ですって?」

 摯の眉がつり上がる。

 ここまでが、摯が服忌し大祥を迎えた頃までの出来事だというのだから、たった二年の間に有莘氏の自慢の味は没落の一路を辿ってしまったといえる。文字通りの失墜である。

「だからな、今、有莘氏の厨房に、かつての勢いはないのだ」

「それは」

 摯は訝しんだ。

 父を亡くしたとはいえ、ここにいる皆は、父の教えを濃密に得て技を継承した者ばかりである。

 その、とんでもない男、易堅とやらが居なくなったのであれば、これ幸いとばかりに、味の復元に励めば良いだけの話しではないのか?

「手を触れさせて貰えなかった味はともかく、他の味なら父さまの味になるのでは」

「そんな簡単に済むなら、良かったのだがなあ」

 摯の言わんとする所を見抜いた方丹は、力なく笑った。

 伊風は、おのれが凝らした工夫を隠しだてせず、弟子となった者には惜しげなく教える事で有名であったが、それでも、彼の味つけを完全に再現することは不可能だったのである。

「何故ですか?」

「そりゃ、こちらが聞きたいわい」

 砕けた調子で苦笑しているが、方丹は絶叫したいだろう。

「つまり、厨師さまの舌さきだけが知る、匕加減というものがものをいっておった、という事なのだろうなあ」

「匕加減……」

 それは、言えるかもしれない。

「厨師さまは、それは懇切丁寧なお方であった。これは、学びきれなかった教え子であるわしらが罪だわい」

「そんな事はありません」

 確かに、父の貪欲なまでの味への探究心が導き出した味の深みは、ほんの一粒の塩だけで、がらりと容貌を変えてしまう難しいものである。

 しかしだからこそ、探求する楽しさがあるのではないか。

 はな・・から諦めてしまっていては、何も始まらない。

「皆で力を合わせせれば、必ず父上の味に近づけます」

「そうかな……」

 方丹は首を振った。すっかり気落ちしている。

 というよりも、もうどうにもならん、という深い諦めから疲れきっている。

 それだけ、伊風との才能の差に打ちのめされてしまったのだろう。

「それにな、ぬしほどの才能を、わしらで育てきれるかというと、正直、自信がないのだ」

「えっ?」

「ならばいっその事、他国で士官を願った方が良いのではないか、という気がしてならんのだわい」

 莘公の厨房を寂れさせてしまった現状のままでは、名人伊風の名に傷すら付きかねない。

 そんな場所に養子である摯を置いて良い筈がない、というのが方丹たちの一致した意見だった。

 気持ちは有り難い。

 が、それはそれ、これはこれである。


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