前ページの続き & 戯作三昧(1)
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③芥川は何故この「さまよえる猶太人」にこうも拘るや?神(良心)を知りこれを是とはするが同時に悪魔との語らいにも意を尽くす…何故なら小説の創作上これが必要とでも思ったか?のみならず私生活上でも女あり煙草あり、これらを決して忌避しない。尤もそんなことは誰にでもあり決して芥川のみのことではない。ではなぜ…?神と悪魔、善と悪の弄び(と云ったら云い過ぎだが)は許されない…とどこかで気づいていたからでしょう。「さまよえる猶太人」の〝大罪〟をハッキリと我が身に認識していたからです。
青空文庫・同小説 ↓
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/185_15194.html
https://x.com/i6U3xYCHFkPR8B6/status/1904900981831458827
和歌一首…芥川⑯戯作三昧
馬琴翁眇(すがめ)に毒され失調し崋山と和して孫に回生す
詞書:芥川とは比較にならないアマチュアの三文作家ではありますが、同業者としてとても興味深く読ませてもらいました。そのう、何と云うか主人公・馬琴(畢竟芥川)の有り様と心模様がまるで我が事のように感ぜられるのです。眇(すがめ)ばらや和泉屋市兵衛への嫌悪と軽蔑は私が普段ストーカーどもに抱く感情そのものですし、この手の輩に毒されて心の平衡を失うことハンパではありません。顔を顰め、彼奴等(きゃつら)と同じレベルに落ちては悪口雑言の類をついつい返してしまう。しかしそのあと自己嫌悪に陥ってしまい、そうすると戯作三昧、すなわち小説の執筆など思いも寄らないこととなってしまうのです。
それは負の類似点なのですが、他方で作中の渡辺崋山に象徴された高邁な人士との交流を願う気持ちも私には常にあるのですし、そしてこちらも文中にあるところの、道徳的自己と芸術的自己との葛藤を危ぶむ思いも確かに私にはあるのです(卑近な例で申しわけないが例えば我が拙作「わが心なぐさめかねつ」と「バー・アンバー」との間にある執筆心理の違い等のことですね)。
(…次ページに続く)
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