第9話:フローライトの輝き


 

 大広間のきらびやかな空間に、目が眩む。

 年に数回、第一騎士団の知人からパーティに誘われている。「騎士団長として人脈を広げよ」「新しい伴侶を探せ」など、誘う理由はさまざまだ。


 仕事で断ることが大半だが、何度も断れば角が立つ。

 第一騎士団と第二騎士団、宿舎の整備も違えば、構成される経済的階級も違う。普段は関わりがないが、ごくまれに守護する担当範囲が重なることがある。第一騎士団に媚びることはないが、必要以上に嫌われることは避けたかった。

「これも団長の役目か」と割り切り、年に1回はパーティに参加していた。



『社交パーティの、エスコートをさせてください』



 エレオノーラの言葉を思い出し、自分は「ふふ」と息を漏らした。

 隣に立っている彼女が首をかしげる。

 あれほど参加するのが面倒だったのに、少しだけ心が浮き足立っているのは何故だろう。ちらりと彼女を見れば、緊張した面持ちでパーティ会場を見つめていた。


 彼女は光沢のある紫紺のドレスを着ていた。腰から膝まではタイトになっており、膝から足首まではふわりとスカートが広がっている。腕はレースで覆われていて、華奢な腕が透けていた。首元には小粒のダイヤのネックレス、耳元にはパールのピアスが光っていた。


 普段は下ろしている髪は、うなじ辺りできっちりとまとめられている。リーフを象った髪飾りが、シャンデリアの照明にあたり煌めいていた。


 控えめだが上品な装いに、目が奪われる。


 彼女の紫の瞳が、そっと持ち上がった。じっと見つめていたことを知られたくなくて、思わず目を逸らしてしまう。

 目線をパーティ会場に移し、自分は提案する。



「第一騎士団の主要メンバーに挨拶をして、あとは気配を消して過ごしましょう」

「わかりました」



 パーティではなく、何かの軍事作戦みたいだな。自分は皮肉めいた笑みを浮かべた。


 面倒なことはさっさと済ましてしまうに限る。挨拶すべき人に、簡潔に話しかけ、素早く場を離れた。「隣の女性は」「もう少し話を」と話しかけられても、聞こえないフリをして次の人へと話しかける。


 和やかに談笑する貴族たちの中で、素早く、淡々とタスクをこなしていた。人混みの中を縫うように歩いていく。我ながら素晴らしい効率で、パーティ会場に到着して30分ほどで全ての人に挨拶が終わった。


ワイン片手に、そそくさと壁際の方へと移動する。基本は立食だが、壁際には休憩用にソファー席もいくつか用意があった。人気がないところへ移動し、ソファーに腰掛ける。



「すみません、付き合わせてしまって」

「私は隣に立っていただけですから」

「何度か助けてくださったでしょう?」

「……なんのことでしょう?」



 とぼける彼女に微笑む。


 ビジネスの話をする貴族はまだいい。自分がパーティの中では格下の貴族だと分かれば、あからさまに興味を失ってくれることが多いからだ。


 厄介なのは、自慢話を延々と語りたいタイプである。階級が上の貴族にはできないため、自分はいいカモになる。興味がない自分語りを聞かされるのはうんざりしてしまうが、不満を口に出すこともできない。


 話の着地点が見えず困っていた時、エレオノーラはそっと助け舟を出してくれた。隣で静かにしていた彼女が急に口を挟むと、相手はぎょっとして黙る。その隙に、「それでは」と笑って誤魔化し、面倒な相手から逃げることができた。


 何より、一番助かったのは女性からの視線だった。


 伴侶がいないことをいいことに、女性からありがたくないお誘いをよく受けた。

 誰かと話していても、常に女性の目線を感じる。「こちらに早く気づきなさいよ」と言わんばかりの視線に辟易していた。

 いつもは気づかぬふりをしてなんとかやり過ごすのだが、今回は違った。


 彼女が隣にいるだけで視線の数が激変した。それもそうだろう。ちらりと隣を見る。


 大広間を見つめる彼女の横顔は、まるで彫刻のようだった。顔のパーツひとつひとつが完璧な調和を宿している。


 不思議な色彩を持つ紫の瞳と長いまつ毛。右目の下のほくろに目線がいくたびに、魅惑的な瞳に吸い込まれそうになる。

 薄い形のいい唇は深紅の口紅で彩られ、彼女の神秘的な魅力を際立たせていた。


 美しい容姿だけではない、初めて会ったときのことを思い出す。まず驚いたのは重厚感あるオーラと洗練された立ち振る舞いだった。かなり位の高い方ではないのかと正直身構え、居心地が悪くなったほどだ。


 雰囲気や立ち振る舞いなどで、相手がどのくらいの社会的地位にいるのか大体判断ができる。ドレスや宝石は金さえあれば買えるが、高貴なオーラや気品などは一朝一夕で身につけることはできないからだ。

 幼い頃から高い教養を学び、人々を引きつける強い影響力をもった立場でなければ、得ることはできない。


 そのため彼女が男爵家と聞いたときは、かなり驚いた。


 確かに宿舎へやってくるときはいつも、飾り気のない地味な色のワンピースばかり着ていた。靴も同様で、ベルトやヒールもなく、歩きやすさを第一に考えたようなものを履いていた。


 そんな彼女と何度か会うたびに、最初に感じた居心地の悪さみたいなものは消えていった。

 しかし今日、ドレスに腕を通し、化粧をきっちりと施した彼女を見て、やはり人が醸し出すエネルギーのようなものは隠しきれないのだと実感する。


 彼女より若く、地位が高い女性はたくさんいた。しかし大広間で一番視線を集めていたのはおそらくエレオノーラだった。

 恐ろしくも惹かれ、目線が彼女を捉えて離さず、吸い込まれてしまう。深淵のような魅力を放っていた。


 そんな彼女が横にいれば、大抵の女性は分が悪いと判断するだろう。


 中には隣に彼女がいようと構わず、まとわりつくような視線を送ってくる女性もいた。そんな猛者に対しては、扇で口元を隠しながらチラリと視線を送っては牽制してくれていた。おかげで今日は一度も女性に話しかけられずに済んだ。



「エスコートしてくださったおかげで、本当に助かりました」

「その発言は、お忘れください」



 顔を赤らめてうつむいた。

 触れることさえも許されないような孤高を宿っていたのに、雰囲気が一気にやわらかくなる。

 その表情に安堵し、そしてもう一つ、感情が湧いた。嬉しいとはまた違う感情。慣れぬ感情に首をひねり、名前を探して、思い当たる。


 ──優越感


 この広い大広間を埋め尽くす大勢の人の中で、彼女のかわいらしい表情を見ているのは自分だけだ、そんな子供じみた感情。なんだこれはと困惑を隠すようにワインを口に含めば、まったく味がしなかった。



「クライド様?」

「……主催者からの挨拶がこのあとありますから。それを聞いて帰りましょう」

「わかりました」



 頷く彼女と、ぱちりと目が合ってしまう。シャンデリアの人工的な光が、紫の瞳に反射した。

 どくりどくりと、鼓動がうるさい。パーティ会場のざわめきがどこか遠くのものに聞こえる。

 早く逸らさなければ。頭の中では分かっているのに、どうしても逸らせない。

 潤んだ唇が目に入る。吸い込まれそうな魅惑的な唇。厄介な欲望が自分をせき立てていた。


 見つめ合う自分たちの空気を壊したのは、甲高い女性の声だった。




「あら」



 その声が聞こえた瞬間、全身に緊張が走った。首をゆっくりと彼女の方へ向ける。

 カールされた金色の長い髪、明るい水色の瞳。無邪気な笑みを浮かべていた。

 周りには令嬢が3人おり、扇で口元を隠しているが、目元の笑みは悪意を含んでいた。


 声が震えないようにしながら名を呼ぶ。



「……ジュリエッタ」

「お久しぶりね、クライド」



 コツコツとヒールを鳴らしながら近づいてくる。

 こちらが立ち上がり、牽制するように睨みつければ、面白そうな笑みを浮かべた。

 そしてエレオノーラを一瞥し、水色の目が一瞬だけ驚いたように大きくなり、すぐに鋭くなる。唇の片方をあげ、名を名乗る。



「こんばんは、ジュリエッタ・ロートベルクと申しますわ」

「……エレオノーラ・ヴィリアントと申します」

「ふふ、騎士団長サマとあろう方が、こんな年増を、ねぇ?」



 その発言に血液が逆流するのが分かった。怒気を含ませて注意する。



「失礼な発言はお控えいただきたい」

「あら、珍しい。アナタがそんなに感情を見せるなんて」



 ジュリエッタはエレオノーラの方に向き合い、「ふふ、もう彼とは寝たのかしら?」と笑った。周りの令嬢が声をあげて笑う。下品な物言いに腸が煮えくり返るようだった。

 するとエレオノーラは「クライド様とはそのような関係ではありません」とキッパリと言い切った。凪いだ海面のように、感情の揺らぎを感じさせない声だった。


 その発言が気に入らなかったのか、一瞬、ジュリエッタは鼻白んだ。

 しかしすぐに嫌味な目つきで見下してくる。



「捨てられた男と、年増の女、お似合いですわ」



 くすくすと悪意のある笑い声が響く。

 自分は激しい怒りを抑えながら、拳を握りしめた。耳をつんざくようなジュリエッタの高笑いにうんざりする。大広間にいる貴族たちの野次馬のような視線がうっとおしい。そして自分のためにパーティに参加してくれたエレオノーラを侮辱されたことが、何よりも腹立たしかった。


追い払おうと口を開こうとすると、エレオノーラの横顔が目の端に留まった。瞬間、言葉を失う。


 ──彼女は、微笑んでいた。


 ジュリエッタもその反応が意外だっただろう。

「貧乏人みたいなドレスを着て惨めな女ね」「男に捨てられて、クライドに寄生しているのかしら?」と次々と聞くに堪えない言葉を叫ぶように浴びせ続けた。しかし彼女の笑みは崩れない。まるで罪人の罪を聞き、赦しを与える聖母のように微笑みを浮かべ続けている。


 どんな暴言も彼女の表情を崩せないと察したのだろう。悔しそうに顔を歪めた彼女は汚い捨て台詞を吐き、その場を去った。令嬢たちが付き人のように慌てて後を追いかける。


 彼女たちが完全に見えなくなると、どっと疲れが襲ってきた。ソファーに座り込み、がくりと首を後ろに倒した。深く息を吐く。無意識に息を止めてしまったらしい、体が苦しそうに酸素を求めていた。

 エレオノーラも隣に浅く座り、心配そうな声をあげた。



「……大丈夫ですか?」

「すみません。不愉快な思いを」



 姿勢を正しながら謝罪した。


 手に持ったグラスを見つめながら、自分は何を言えばいいのか分からなくなっていた。考えがまとまらず、頭がずきずきと痛む。安い酒を浴びるように飲んで酔っ払ったときのようだ。

 彼女は立ち上がり、手を差し伸べた。



「……帰りましょう」



 その言葉にパーティ会場を見回す。参加者が明らかに少なくなっていた。

 どうやらジュリエッタに嫌味を浴びせられている間に、主催者の挨拶は終わってしまったらしい。


 そして再度、目の前で手を差し伸べる彼女を見た。


 会場のライトに照らされ、不思議な光彩を放つ瞳。

 幼い頃に父からもらったフローライトを、空にかざした時のことを思い出す。さまざまな色が浮かび、何時間でも見つめていたあの美しい宝石が今、目の前で輝いていた。




 *



 馬車に揺られながら、自分は再び謝罪の言葉を述べた。

 エレオノーラはふるふると首を横に振る。



「あの方の言葉は悪意に満ちていました。聞くに値しません」



 ぴしゃりと言い放つ。

 その言葉に救われる心地を抱きながら、息を吐いた。そして浮かんだ疑問を口に出した。



「……何故、笑っていられたのですか」

「『かわいそう』だと思ってしまって」

「かわいそう?」

「はい」



 ぽつりと呟き、彼女の雰囲気が重くなる。それ以上聞けなくて、口をつぐむ。沈黙が馬車を包んだ。

 馬車の振動を感じながら、自分は悩んでいた。


『捨てられた男』


 ジュリエッタが吐き捨てた言葉。

 あの意味を説明した方がいいのだろうか。


 たとえば隣にいるのが別の女性だったら、自分は話さないと確信していた。どう思われようが構わないからだ。


 しかしエレオノーラには、どんな経緯があったか全て話した上で、判断してほしかった。何故そう思うのかは自分でも分からない。ただ「彼女には誤解されたくない」という思いだけが、心の内で強い光を放っていた。


 膝の上に握りしめた手をぐっと握りしめる。馬車は不規則に揺れ続けている。おそらく30分ほどで彼女の屋敷へと辿り着いてしまう。


 頭に浮かんでいたのは、ジュリエッタの姿だけではなかった。心の奥の奥、押し込めて、鍵をかけて、見て見ぬフリをしていた記憶が、そっと「気づいて」と言うかのように手招きしている。背中に一筋汗が流れる。


 話してしまうなら今だ、と意を決して口を開いたとき、拳になめらかな手がそっと重なった。

 驚いて見れば、彼女は微笑みながら首を振った。「話さなくても大丈夫です」と言っているようだった。



「どんなことがあっても、私は、クライド様の味方です」



 力強い言葉だった。


 目頭が熱くなり、ぐっと力を入れ、顔を伏せた。

 気づけば、彼女の細い腰を引き寄せていた。彼女の肩に、額を押し付けるようにして、震える声で言う。



「……少しだけ。少しだけ、こうさせてください」



 彼女は何も答えなかった。代わりに何か大切なものを扱うように、そっと抱きしめてくれた。


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