第39話 昏迷
この日、魔道院の現在の学院長マロウドの元を訪れたのは、三名いた。
北部方面軍グランダ駐屯軍総司令アルダー准将は、クローディア家の暗部、“銀狐騎士団”ハイベルクを伴って、魔道院の門をくぐった。
年齢は、そろそろ50に近い。
三十年法によれば、そろそろ引退の時期ではある。だが、その覇気、その頭脳の明晰さ、果断な決断力は、若い頃と少しもかわりはなかった。
影のように寄り添うハイベルクは、北部軍の事務官の服装で、片眼鏡をかけていた。
年齢は、30前後といったところだろう。
准将に従う信頼厚い副官。
の役どころを演じているだけで、彼自身は、別にアルダーに忠義をもっているわけではなく、それどころか、一応、統一帝国の配下にある北部方面軍と、もともとクローディア家の影働き
である“銀狐騎士団”とは、なにかと衝突することが多かった。
学院長であるマロウドと、アポは取れていない。
だが、2人にとっては、何度も訪れて、勝手のわかっている魔道院だ。
学長室のある建物の階段を登ったところに、ソファとテーブルが用意されている。
アポイントが、重なってしまったら、ここで待つための設備であり、アルダーもハイベルクもここで、待たせてもらうつもりであったが、先客がいた。
戦女神の神殿の神官ミヤレである。
髪を長く伸ばした美しい女性だが、歳は不明だ。
ときとして、戦女神の加護をうけた神官は、不老長寿を授かるという。
ミヤレは、実戦部隊としては、最高位のランクの神官である。見た目は、20前後にしか見えないが、その程度の年齢で、その地位まで上がれることは、誕生して50年がたつ戦女神神殿では、ありえない。
「これは、アルダー将軍。」
ミヤレは、立ち上がって一礼した。
それ自体は、問題はないのだが、一緒に、ガチャリ、と胸当てと肩当てが鳴る音がした。
呆れたことに、ミヤレは、ここにフル武装で来ているのだ。
長い柄をもつ両手持ちの斧は、刺突もできるように先端が尖っている。
よく鍛えてはいても、女性にはいささか重すぎる武器だろう。
それに大きすぎて、屋内でも取り回しに、問題がある。
「戦女神の加護があらんことを、ミヤレ殿。」
アルダーは、如才なく、挨拶を返した。
複数の神を、願いに応じて信仰するのが一般的な西域・北部では、戦女神は人気のある神様であり、アルダーもたまには、喜捨をするくらいには、戦女神を信仰していた。
「少し待てば、マロウド学院長は、会ってくれそうですよ。」
ミヤレは、少し場所をずらして、アルダーとハイベルクの座る場所をつくった。
「どうせ、要件は一緒だろもう、戦女神の。一緒に学院長に面談するか?」
ハイベルクが、低い声で言った。わずかに離れていたらもう聞き取れない。
特殊な発声法で発する声は、聞き取るともコツがいる。
だが、アルダーとミヤレは、頷いた。
これはもともと、3人が3人とも、所属している組織がクローディア家に縁があるからだ。
北部方面軍は、もともとクローディア大公国の白狼騎士団が前身であり、その重宝を担当していたのが、ハイベルクの“銀狐騎士団”である。
ミヤレの所属する戦女神神殿が祀る神の名は、フィオリナといい、クローディア家の姫であり、一時期は嫡子とひて、公家を継ぐ立場にあった。
普段は、角突合せていても、ことごあれば協力してことにあたることは、吝かではない。
ミヤレは、頷いた。
重い金属製の胸当てと肩当てに、ハルバート。
面会には、およそふさわしくない格好だが、彼女はこれが平常運転であり、ついでに言うなら、同巻と兜と篭手と膝あてをつけていない今は、彼女にとって、重武装をしているつもりもない。
「お待たせしました。短時間、半時間以内でしたら、時間がとれるそうです。」
ドアを開けて、秘書のリーシャかわ、顔を出した。
アルダーとハイベルクを見つけて、苦い顔をする。
「アルダー将軍と銀狐。今日の面会はもう打ち切りです。」
「“黒の聖女”殿! 賢者はそれほどにご多忙なのか?」
アルダーの不用意な言葉に、見返したリーシャの眼窩は、眼球を失った空洞に見えた。
もちろん、気のせいだ。
聖女は、あくまで、美しく、穏やかで、その微笑みは、慈愛に満ちている。
「まあ、多忙、というか、あなた方を、肉片に切り刻まずに会談をさせる為に、機嫌をとるための、わたしの努力が限界、というところです。」
「リーシャ様。わたしと、アルダー閣下、ハイベルクは、一緒で結構です! 同じ要件ですので。」
リーシャは、難しい顔をしていたが、しかたない、という風に考え込んでいたが、意を決したように顔を上げた。
「どうぞ。
ただし、忠告しておきますが、学院長は、退屈しておられます。
これは、とんな不機嫌よりも、あなた方にとって危険な状態です。」
「なにが、起きているか。
まだ、不明こともあるが、とりあえず聞け。」
マロウド学院長は、挨拶すらせずに三人を一瞥したまま、後ろ手を組んで、部屋をぐるぐると歩き出した。
「アルディーン嬢は、魔道院を逃げ出した。手引きをしたのは、ヒスイと名乗る少年だが、おそらく、こいつは、ジウル・ボルテックの義体に英霊を召喚したものだ。
中身が誰かはわかっていない。
だが、おそらくは、邪神ヴァルゴールが絡んでいる。」
三人は、呆然と学院長を見つめた。
古の賢者は、衰えるということを知らないのか。
「姫はなぜ逃げ出したのだろう、けん、学院長殿。」
アルダー准将は、また不用意な名前を出しかけたが、マロウドは、とくに気にする様子はなかった。
「中央軍のグリシャム・バッハ氏の到着だろう。
アデルの退位は迫っていて、後継者は決まらない。不安定な継承は、中央軍にとってはいちばん、避けたいだろうな。」
「グリシャム・バッハは、たしかに警戒すべき、強大な魔導師です。」
アルダーは、難しそうな顔で、呟いた。
「しかし。いきなり、姫を拘束または、西域中央に送還するでしょうか。
いくら自分の自由になる後継者として、持ち上げたところで、ただでさえ、混乱している後継者争いが、一層、混沌するだけで」
「グリシャム・バッハの得意技は、霊の移植だ。彼の場合は両者の意志に反し、しかも、両者がひとつところにあることを必要としない。」
「アルディーン姫に誰かの魂を移植すると? それはいったい」
アルダーの顔色が変わった。
「まさか」
「アデルの魂をアルディーンに移植しようと、いうのが、グリシャム・バッハの、中央軍の計画だ。」
「しかし、それが、いや」
「なにしろ、アデル本人だ。後継者として、なんの問題もないだろう?
おまえけに、身体は、血を分けた実娘のものだ。三十年法の適用も免れる。」
「いや、しかし」
「しかし、なんだ?」
「とんでもない屁理屈のような」
「たしかにそうだ。だが、中央軍のような組織は、そういう屁理屈を通してしまうのは、大得意なんだ。」
「つまり、それが、姫が逃げ出した理由?」
「ああ? それだけのはずがあるか。
どう考えても、おまえたちやぼくらも含めて誰1人、頼れるものがいなかったからだ。」
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