第2話 時間売買

「ピンポーン」


 ワビーを庭にある犬小屋の鎖につなぎ直し、家の中に入ろうとして、愛理は自分が家の鍵を持っていないことに気付いた。父親に無理やりワビーの散歩をしろと言われたことを思い出す。仕方なく、自分の家なのにインターホンを鳴らすことにした。


「どなたですか?」


「私だよ。愛理」


「ああ、お姉ちゃんか。待って、今開けるから」


 ガチャッと玄関の鍵を開ける音がして、ドアが開き、愛理の妹の美夏(みなつ)が顔を出す。


「ただいま」


「珍しいね。土曜日にワビーの散歩をお姉ちゃんがするなんて。土日の散歩当番は、お父さんが多いのに。しかも、わざわざインターホンを鳴らすとは、鍵を持っていないと見た」


「そうだよ。まったく、今日はついてない」


「そうなんだ。そうそう、お母さんとお父さんは今、買い物に行っていないよ」


 美夏が開けてくれた玄関から家の中に入る。どうやら、家には美夏一人しかいないようだ。



「ねえねえ、お姉ちゃんは、小学生が時間を売ることについてどう思う?やっぱり反対派?」


 愛理が二階の自分の部屋に戻ろうとすると、美夏に唐突に質問された。今日は『時間を売る』話題が流行っているのだろうか。そんなことを考えながら、愛理は質問の答えをはぐらかす。


「さあ、そんなことは自分で考えたら?今から、学校の宿題をやろうと思うから、部屋に入ってこないでよ。暇だからって、私の部屋に入ってきたら、どうなるかわかってるよね?」


「えええ!お姉ちゃんが宿題をやるために部屋にこもるなんて、どういう風の吹き回し?わかったよ。私は下でテレビでも見ることにする」


 美夏は、質問の答えをはぐらかす愛理のことを特に言及せず、少し拗ねた様子で、リビングに行ってしまった。



 愛理は自分の部屋に着くと、ふうと長いため息を吐く。なんだかいろいろなことが起こった一日だった。一日というほど時間は過ぎていないが、どっと疲れた。ベッドに倒れた拍子に、一枚の紙きれがベッドの端に落ちた。拾い上げると、散歩の途中で出会った謎の男にもらった名刺だった。ポケットから落ちたのだろう。改めて名刺の内容を確認する。


「時間師(ときし) 百乃木大夢(もものきたいむ)」


時を大事にしよう

タイムイズマネー株式会社

090-××××-○○○○

東京都○○区△△××


 名前と会社名、住所と電話番号が書かれた、普通の名刺だった。ただし、名前の前に書かれている職業は、愛理にとって見慣れぬものだった。


「ときし、ねえ。確か、時間売買の方法は……」


 時間の売買は、世間一般に普通に行われていた。文字通り、人同士の時間を売買する。時間を売る人間には、買う人間からお金が支払われる。そして、時間を売った人間は、その分の時間が減り、寿命が短くなる。逆に時間を買った人間は、時間をもらい、寿命が延びる。そして、その対価としてお金を支払う。


 これは立派なビジネスとなっていた。時間をお金で買いたい人、時間を売ってお金を稼ぎたい人の利益が一致すれば、ビジネスは成立する。ただし、素人が時間を動かすことはできない。専門の能力を持つ人間に依頼しなければならなかった。


「時間売買を行う二人に時間師(ときし)が仲介役をする。時間師のみが両者の時間を移動させることができる。時間の移動ができているかを確認するのが安定師(あんていし)。それから、時読み師(ときよみし)は、私たち人間の寿命を見ることができる」


 時間売買について詳しく知ろうと、愛理は自分の部屋にある国語辞典を開いて調べることにした。「時間売買」という言葉はすでに、国語辞典に掲載されるほどの認知度となっていた。そこには、時間売買にかかわる三人の能力者の存在が書かれていた。


 愛理は今まで一度も、時間売買にかかわる人間に出会ったことはなかった。そもそも、時間売買は、一八歳以上の成人にしか認められていない。未成年が時間売買をすることは法律で禁止されている。ばれた場合には、厳しい罰則があったはずだ。


「あれ、ということは、ニュースでやっていた未成年の時間売買は犯罪なんじゃ。でも、最年少の時間を売った人は、小学生だって、ニュースで言っていた……」


 さらに、愛理はワビーの散歩中に出会った男のことも思い出す。


「あの男は、私が未成年と分かったうえでこの名刺を渡したことになるけど、その理由は何だろう。犯罪者になる覚悟があったのかな」


 とりあえず、男にもらった名刺は、引き出しになくさないようにしまっておくことにした。



「今日も退屈で死にそうだ……」


 週明けの月曜日の休み時間、愛理は校庭に出て遊ぶクラスメイトを二階の教室の窓から眺めていた。外は快晴で、校庭で遊ぶにはもってこいのいい天気だったが、どうにも、外で遊ぶ気分にはなれなかった。教室には、外で遊ぶのが嫌なクラスメイトが数人、教室の片隅でおしゃべりに興じていた。読書にも飽きて、彼女たちの話に耳を傾ける。


「大人っていいよねえ。だって、お金さえあれば、時間をいくらでも買うことができるんだもん」


「そうだよねえ、子供だって時間が欲しいのに。なんで未成年は時間売買をしちゃいけないんだろ。でも、お金がないから時間が欲しくても買えないけど」


「だったら、私があなたたちに時間をあげようか。別にお金はいらないから、ただであげれるよ」


 つい、話を聞くだけにとどまらず、愛理は会話に夢中のクラスメイトに声をかけてしまった。


「と、ときさん。外で遊ぶんじゃなかったの?妹さんが誘いに来てたよね?」


「今の話は冗談だから、それに、もし、ときさんが時間をあげたくても、わたしたちだけじゃあ、時間の移動はできないでしょう?」


 愛理は、クラスメイトとあまり親しくなかった。小学生にしては、達観したような態度と近寄りがたい雰囲気が彼女を孤立させていた。そのため、会話に夢中になっていた彼女たちは、突然会話に参加してきた愛理に戸惑っていた。


「まあ、そうなるよね。ごめんね。話の邪魔をしちゃったみたいで」


 愛理は、二人の気まずそうな顔に素直に謝り、教室を出た。教室を出ても、特にやることもなく、廊下をぶらぶらしながら時間をつぶし、それでも時間が余ったため、お手洗いを済ませると、ようやく昼休み終わりのチャイムが鳴った。


「授業の方がいいなんて、私くらいなのかな」


 つぶやく声は廊下に静かに響いた。

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