光風霽月のように〜仮想戦国譚〜

青月クロエ

序章

第1話 序 ー始まりの為の終焉ー

 春先から始まった戦は幾つもの月日をまたぎ、五月雨の時期に入る頃になっても終息の気配は訪れない。

 小雨降りしきる夕の刻、本陣最奥中央にて、黒備えの甲冑纏う軍総大将・尾形紅陽おがたこうようは、芳しくない戦況に苛々と扇子の端を噛みしめる。それは彼の癖なのか、扇子の端にはところどころ歯型の跡が残っていた。

 公家出身の母譲りの品ある瓜実顔に似つかわしくない悪癖に、傍近くに控える家老が思わず咳払いする。が、紅陽はじろり、横目で睨み、やめるどころか更に強く扇子を噛む。


「まだか。まだあまねの隊は本陣に届いておらぬのか……?!」


 遂には勢いよく立ち上がり、連日の雨でぬかるんだ地面へ扇子を叩き落とし、具足で踏みつける。


「少数精鋭のみで必ずや本陣突破すると申し出たのはあ奴だ!!かれこれ半日は過ぎておる!!時がかかりすぎて陽が落ちかけているぞ?!」

「紅陽様!落ち着いてくださいませ!!」

「よもや本陣に届く前に全滅した……、訳ではなかろうな?!」


 目を血走らせ、激昂するだけすると、紅陽は急にスッ……、と褪めた体になり、静かに床几しょうぎに座り直した。


「まあ良い。あ奴が討ち死にしたとて代わりの将などいくらでもいる。あ奴は元々、月若側の者。いつ寝首をかかれるか信用ならぬ」

「紅陽様、少々お言葉が過ぎ」

「黙れ!私は本当まことのことを言うておるだけじゃっ」


 紅陽は陣幕の端に控える御陣女郎たちの中から、一番見目麗しい者を手招きし、自らの酌をさせる。

 雑兵の陣屋ならまだしも、総大将と重臣が集い、軍議を行う本陣に身分低き御陣女郎など迎え入れるのはあまり褒められたことではない。しかし、紅陽は女と見れば、見目さえ良いなら身分も年齢も構わない女狂い。彼の目に叶った御陣女郎は、彼が飽きるまで本陣に留め置かれた。

 特に、今酌をさせた御陣女郎は、女にしては背丈はあるものの、人形のような白い肌を持つ妖艶な美女だ。まだ閨こそ共にしていないが、妾の一人にしてやってもいい程度には気に入っている。


 などと、伏し目がちに酌をする美しき御陣女郎に鼻の下が伸びかけた時だった。

 ぬかるんだ地面に足を取られ、駆けつ転びつしながら、「急報!急報!!」と伝令役が飛び込んできたのは。


「何事じゃ!」

「たい、大変ですっっ……!!濡羽ぬれば城が……、落城の危機でございます……!!!!」

「な、ななな、な……、何だとぉぉおおおお!!!!」


 濡羽城は尾形家の本拠地であり、今現在は当主である父と正室の母、その他紅陽の妻妾が残っている。落城となれば、百歩譲って母や己の妻妾は無事でも、父は只でいられる筈はない。


「どういうことだ!!敵の連合軍は全軍対峙しているではないか?!この地から城へ進軍した敵軍の報告も一切受けておらん!!」

「そ、それが……、城を攻めたのは……、敵軍では、ないのです……!」

「敵軍、ではない……、だと?!」


 ここで伝令は口を噤み、躊躇いを見せる。

 紅陽は再び立ち上がると、伝令役に歩み寄り、胸倉を掴み揺さぶった。


「では、誰だ?誰の仕業ぞ?!」

「……様、たつき殿が大将となり、傭兵率いて城を包囲したのです!!」

「……なっ」


 この場の全員が絶句した直後、別の伝令が本陣へと駆け込んでくる。


「急報!!周殿、隊を率いて敵前逃亡!!撤退と共に濡羽城の方角へ向かっております!!」

「ただちに追え!!!!斬って構わぬ!!!!」


 瓜実顔を青や赤にころころと染め変え、泡吹く勢いで紅陽は命を下す。

 頭に血が昇り過ぎたせいか、くらくら、強い眩暈に襲われた。


「うっ……」

「紅陽様?!」

「か、かまうな……!まなこが少し眩んだだけじゃ!」


 少し眩んだだけ、と自らに言い聞かせるも、眩暈は益々酷くなり、平衡感覚がおかしくなっていく。紅陽の元へ次々と駆け寄っていく家臣の一人が、「もしや、酒に毒でも……」と不穏な発言を繰り出す。


「馬鹿を申すな!事前に毒見はさせてある!」

「だがしかし……、はっ!兵站へいたん管理は誰だ!」

「兵站管理は伊織殿だ」

「伊織殿を呼び出せ!」

「その必要はない」


 声の方向を家臣一同で凝視する。

 視線の先、甲冑の代わりに濃紫の陣羽織を纏う、総髪の長身男性が本陣へ入ろうと、陣幕をめくり上げていた。


「安心されよ。周が手心加えて調合した毒ゆえ、命まで奪う程強くはありませぬ。一時的に身体の自由を奪うだけですので」


伊織と呼ばれた陣羽織の長身男性は、緊迫した場にそぐわぬ人懐こい笑顔で、信じられない言葉を抜け抜けと言い放った。


「まさか、伊織殿まで……、裏切者めが……!!」


 小姓に支えられ、朦朧とし始めた意識で紅陽が目にしたものは、重臣から見張り兵に至るまで一斉に伊織に斬りかかっていくが、次々と返り討ちにされていく光景、そして──


「やれやれ。最後にお会いしたのが、出家前のわっぱの頃とはいえ、義弟おとうとの顔を忘れるとは。義兄上あにうえはやはり薄情な御方だ」


 そう言いながら、小姓ごと紅陽を突き転ばすと、長い黒髪の(かつら)を取り外し、丸めた頭を晒す御陣女郎……、もとい、紅陽の腹違いの弟は、仏門にあるまじき傾城の笑みを浮かべた。



 程なくして、紅陽は父と妻妾、大半の譜代家臣共々、尾形領から追放され。

 還俗した異腹弟こと尾形紫月しづきが領主へと成り代わったのだった。

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