2 ーフィオナー
「私の名前は、フィオナ・ブルイエと言います。十七歳で、イリノエア地方に住んでいて」
言いながら、自分のことを思い出す。
フィオナは生まれた時から体が弱く、ほとんど家の中で過ごしていた。たまに外に出るのは、近くの森へ散歩か、ブルイエ家が支援している孤児院の子供たちに会いに行くくらい。
ごくたまに招待されたパーティへ参加することもあったが、稀と言っていいほどの回数だ。
「体が弱くて、疲れていたから、早くベッドに入って」
そんなことを説明しながら、フィオナは自分の手のひらをずっとつねっていた。
(ゆめ。夢だわ。夢でしょ!? 何で私は知らない人になってるの??)
どうして、こんなことが起きているのか分からない。
それに、さっきまでのことを思い出すと、ズキリと頭が痛んだ。
(外は風が強くてうるさかったけど、そのまま寝ちゃったのよね?)
家族が領主のパーティに出掛けている間、体調が悪くなって早めにベッドに入って就寝したのだ。そのまま寝入ってしまったか、その後の記憶がない。
フィオナはセレスティーヌなど知らないことと、自分が別人であることを女性に伝えた。
女性はにわかには信じられないと唖然としている。
フィオナもきっと同じ顔をしているだろう。別の人の体になったなど、フィオナだって信じられない。
「お、奥様、頭でも打ったのでは?」
「打ってないです。いえ、この人は打ったかもしれませんけれど。私は、ブルイエ家の長女で、貴族と言っても名ばかりの家で、こんな豪華なお部屋ではなくて、自分の部屋で眠っていて……」
女性はフィオナがぶるぶる首を振って説明するのを見て、みるみるうちに顔を青ざめさせた。
「このお部屋が、豪華とおっしゃるのですか??」
「え、こんなに豪華ですけれど。違うんですか??」
今座っているソファーは薄い青緑色で、座り心地はふんわり、触り心地はすべすべ。肘置きは細かな彫刻がなされている上に、銀を差し色として飾られている。
部屋の中は銀の縁と薄い青緑で統一されており、壁は薄いベージュを使用していたが、調度品も全てその色で統一されているので、それだけでもお金を掛けているのが分かる。
(まるで、さっきの旦那さんみたいな色を使ってるわよね)
「すごく、綺麗な色で統一されてますし、すごくお金が掛かったのでは?」
「豪華ではありますが、これは奥様が注文なされて。でも、まだ物足りないと……。な、なにか、別人になるきっかけなどあったのでしょうか? 思い付くことは何もないのでしょうか!?」
豪華と聞いて、なぜか女性は信じたようだ。食いつくようにフィオナの前でひざまずき、太ももにすがりつく。
「お、落ち着いてください。私も分かりません。私は体調を悪くして、早めに眠っただけなので。こちらの奥様には、何もなかったんですか?」
フィオナが問うと、女性はびくりと体を震わせて黙ってみせる。何かあったと言わんばかりの表情をして沈黙したまま、ポケットからそろりと小さな瓶を取り出した。
「奥様は、この瓶に入っていた薬を飲んだと思われます」
そう言って深く息を吐くと、ポツポツと話し始めた。
「奥様のお名前は、セレスティーヌ様。旦那様のお名前はクラウディオ様です。シューラヌ国バラチア地方を領土とした公爵でいらっしゃいます。私はメイドのリディと申します」
フィオナは耳にしたことのない場所だ。フィオナの国に公爵の身分はない。遠い国の話なのかと、黙ってリディの話に耳を傾けた。
セレスティーヌは夫、先ほど部屋にいた偉そうな銀髪の男クラウディオに一目惚れをし、父親に頼み結婚へと漕ぎ着けた。
クラウディオは、王国の都近くの土地を領地としている公爵なる身分を持っている。父親が存命の頃、その公爵領で大きな災害が起き、病が流行ったため、経済共に大打撃を受けたそうだ。そして、その際に大きな借金を抱え込んだ。
その上父親が倒れ、クラウディオは借金返済に奔走した。
それを助けたのがセレスティーヌの父親で、その借金の恩でセレスティーヌはクラウディオと結婚したのだ。
「それで、セレスティーヌさんは旦那さんと仲が良くないんですか?」
「そ、そう、ですね。その、夫婦として寝所を共にされたこともありませんし、お食事は朝食のみご一緒される約束なのですが、お話しすることはありませんし、他にも……」
リディはごにょごにょとごまかすように言うが、とにかくクラウディオには相手にされず、しかしクラウディオは領土の困窮を助けてもらった恩があるので離婚もできず、愛されることのないセレスティーヌはクラウディオに好かれようと、日々色々なことをやらかしていたらしい。
「奥様は純粋に旦那様を愛していらっしゃったのですが、それが旦那様には重荷だったと申しますか」
先程のクラウディオの態度で良く分かる。
セレスティーヌは何とか気を引こうとしていたが、クラウディオにはきかず、何をしても裏目に出てしまっていたようだ。
しかもクラウディオには好きな人がいたようで、そこに割り込まれて結婚させられたのだから、クラウディオがセレスティーヌを嫌がって当然だった。
「泥沼すぎる」
「奥様は気の弱いところはあるのですが、一度決めると梃子でも動かない頑固さというか、思い詰めることがありまして。時折泣き出したり、ヒステリックに喚いたり、すがりついたりすることもあったのです。それに旦那様は辟易していて」
「それは、なんと言うか、悪循環ですね」
そうして、セレスティーヌはどこからか手に入れた薬をあおり、今に至る。
「セレスティーヌ様は、変わりたいとずっとおっしゃっていたんです。この薬を飲めば、変われるからと。ですので、自殺ではないと思うのです。まさか、別人になるとは思いませんでしたが」
リディはセレスティーヌが倒れていた時、側にあった瓶を見て、すぐに倒れた原因がこれだと思ったそうだ。
「どうしてお医者さんにこれを見せなかったんですか?」
医師に見せれば原因が分かったかもしれないのに、リディは見せずにポケットにしまっていた。
「誰にも言うなと口止めされていたからです。それに、倒れられていても、すぐに起き上がるのかと思っていました。その、そういう薬を飲まれたのかと思って、私は旦那様を呼びに行きました」
つまり、前にもそんなふりをしたことがあるらしい。
仮病を使ったり薬を飲んで倒れたりとするので、リディは今回もそれだと理解してクラウディオを呼びに行ったそうだ。
それなのに、セレスティーヌは倒れたまま。口止めされていたこともあって瓶の話を口にできなかったが、リディも動転していたようだ。
「これをどこで手に入れたのかは存じません。ですが、セレスティーヌ様はこの薬をお守りのように大事にしていました。この瓶を手にして、いつも考え事を」
だが、セレスティーヌはそれを飲んで倒れ、フィオナが彼女の体を乗っ取った。
なぜそんなことが起きたのか分からないが、セレスティーヌの行為が原因の一つなのかもしれない。
「旦那様にこのことを話しても、信じてはくれないでしょう」
「自分の奥さんが倒れたのに心配してなかったですし、演技でもして気を引こうとしていると思われそうですね……」
「あの、フィオナ様、でよろしいですか?」
「私の名前はフィオナ・ブルイエなので、二人でいる時はそちらで呼んでください」
「フィオナ様は、その、病気で亡くなったということではないのでしょうか?」
「……分かりません」
体調が悪かったのは覚えている。パーティに出掛けた家族の帰りを待たず早めにベッドに入り、眠ってしまった。
外は嵐か、風の音がひどくうるさく、気になったことは覚えている。
思い出そうとすると、ズキリと頭が痛む。ベッドに入って寝転んだのは覚えているが、その後のことを覚えていない。
「奥様は亡くなってしまったのでしょうか」
フィオナも何も分からない。フィオナが口籠もっていると、リディは小さく呟いて、静かに涙を流した。
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