城崎邸の舞の部屋
今日の午前の作業時間からは、メインルームで打ち合わせをしているメンバーが少なくなっている。恐らくみんな仮想世界にログインして現場で作業する段階に入っているんだろう。焦りを感じなくもないが、瞑と僕が手がけるベーシック・ワールドは、じっくりとコンセプトや基本方針を練るべき仕事なんだと自分を納得させる。
宿泊部屋に戻り、上の段のベッドを覗くと、別府先輩がパジャマを着て、アイマスクをして、冷え○タをして寝ている……ように見える。どう見てもサボっている光景だが、これでも先輩が原作の貫頭衣の世界か、ミコトの『ドSの悪魔っ子』の世界に入って作業をしているのだろう。
僕も作業用の『ギア』に着替え・装着し、ベッドに横たわる。考えてみれば、この研修センターに一週間ほどカンヅメになるわけで、どう考えても運動不足だ。しかも食事が美味いときている。夕方、風呂に入るときは体重計に載ってチェックしなければ。確かメインルームには屋外のトレッキングコースのマップが置いてあったし、大浴場の隣には、アスレチックのマシーンが何台か置いてあったはずだ。
……などと要らぬことを考えている場合ではなかった。目の前に表示されたバーチャルなディスプレイからログイン履歴のウィンドウを探す。ボイスコマンドも使えるが、自分の名前を逆さにして繰り返す、あの『コマンド呪文』は一人でやっても恥ずかしい。できることならずっとウィンドウ操作だけで済ませたい。
ゆっくりと画面をスクロールすると、千葉県習志野市の住所がいくつか表示された。だいたい学校や公園名、病院名が併記されているが、一つだけ施設名の無い住所があった。多分これが瞑の自宅だろう。リストからそれを選択し、ログインボタンをクリックする。
一瞬暗転したかと思うと、視界全体がライトブルーになり、徐々に住宅街の景色が現れてきた。浮遊していた体には重力が加わり、路上に立っている感覚が生じる。
目の前には、木材と赤レンガをセンスよく組み合わせた戸建て住宅があった。瞑はすでにログインして門扉を開け、僕を手招きしている。
「随分時間がかかったわね」
ログイン前に運動不足対策などをグダグダ考えていたため、ロスタイムが生じてしまった。
「え、そうかな。トイレ休憩したくらいだけど」
「……まあいいわ。さあ家の中に一緒に入って」
(多分)誰もいない女子高校生の家に上がりこんでいいのか、一瞬ためらわれたが、本人のリクエストだからやむを得まい。というか、家の鍵って開くのだろうか?
瞑は、ライトオークのドアの前に立つ。真鍮色のドアノブに複数ついているボタンのいくつかを押して解錠した。なるほど……でも、わが家みたいに普通の鍵を取り付けているドアは簡単に開くのだろうか。
瞑はドアを開け、中に入り、玄関と高低差の無い床にスリッパを並べた。
「どうぞ、上がって」
「……では、お邪魔します」
当然ながら、家の中は人の気配がしない。この世界、スリッパが必要なのだろうか? そもそもスリッパのような小物を履くことができるのだろうかと案じたが、違和感なく僕の足に収まっている。そう言えば全然気にしていなかったけど、岩手の『ばっぱの家』の出入りは、普通に靴を履いたり脱いだりしていた。
「急いでるからお茶も出せないけど、勘弁してね」
彼女は何の抵抗もなく『仮想のわが家』を『リアルのわが家』に居るときのように振る舞っている。家の中を本物のように再現できるものなのだろうか? キョロキョロ見まわしていると、声に出していないはずの僕の疑問に瞑が答える。
「外観の形状から、間取りを推定して、ハウスメーカーの設計データから材質なんかを割り出して合成しているはずよ」
「でも、家の中の家具とか、置いてあるものは一軒一軒それぞれでわからないんじゃないかな?」
「そうね……多分だけど、そこは、住人、つまり私の記憶データに頼っているんだと思う。湯沢君はわからないと思うけど、壁の色とか家具とか、微妙に違うし、私が普段あまり気にしていない場所なんか、かなり実物と違うイメージだし。公共の場所ほど『みんなの記憶』データが豊富に集まるから正確に再現されるんじゃないかしら」
なるほどと感心して、廊下の壁を触っていると、瞑からせっつかれた。
「ほら、早く。階段はこっちよ」
彼女はそう言って玄関から入ってすぐのドアを開けた。そこは広いリビングルームになっていて、壁伝いに階段があった。贅沢な造りだ。階段を上がると、吹き抜けの空間を廊下がぐるりと囲んでいる。ドアがいくつかあったが、木製のプレートが提げられている部屋が二つあった。瞑はその一つのドアの前で立ち止まった。
そのドアのプレートには『Mai‘s Room』と彫られている。
「この部屋って、ひょっとして舞さんの部屋?」
「……そう。生まれてこれなかったんだけど、お母さんとお父さんは、私と同じように部屋を作ってあげて、家具とかも用意したの」
瞑はやや伏し目がちにドアを撫でながら続ける。
「昨日、自分の家に来たとき、建物の周りから中を窺って人の気配がしなかったから舞はここにはいないんだと思ったけど……うっかりしてたわ」
「どういうこと?」
「多分、この部屋に舞は現れる」
「え⁉」
「……私はね、悲しいことや辛いことがあると、舞の部屋で彼女と話してたの」
「そんなことができるの?」
そう言えば以前(リアルの)猫カフェで『舞との会話』の話を聞いた。この部屋でお姉さんと話をしていた、ということか?
「ほんとはリアルの自分の家に行った方が確実だと思うんだけど、今は合宿中だし……仮想世界の家でも会えるんじゃないかと思って」
「なるほど、試してみる価値はありそうだけど……瞑、申し訳ないけど、大事なこと忘れてないかい?」
「わかってる。私のアカウントがセキュリティに引っかかって『二重ログイン』ができないってことでしょ?」
「そう、だからこの世界に舞さんが現れることはないんじゃないかな?」
「だから、湯沢君に一緒に来てもらったの」
「?」
「あなたが私の代理となって舞と話して」
「はい⁉」
それから瞑は、舞が現れたら話して欲しいことを僕に伝えた。それは今ひとつ要領を得ないもので、しかもそんなこと話してもいいの? と思える内容でもあったが、彼女は本気かつ切実に頼むのでおとなしく聞くしかなかった。
「じゃあ、ドアを開けるわよ。いい?」
「わ、わかった」
瞑はレバー式のドアノブを押し下げ、扉を内側に開けた。
部屋の中を見まわし、僕を手招きする。
これは……家の人が留守の間にクラスメイトの女の子の部屋に秘密で入るみたいなシチュエーションだ。
そう言えば、なぜか瞑も僕も高校の制服を着ている。考えてみれば、ベーシック・ワールドのログイン時の衣服の設定はデフォルトで制服になったままだ。
「お邪魔……します」
一応そう断り、瞑に続いて部屋に入った。
遠慮していると、部屋の奥まで入るよう彼女に勧められる。
広さは八畳ほどか。
陽当たりのいい窓の下にあるベッドは大きめで、この家のトーンと調和している。勉強机や本棚もそうだ。本棚には大学受験の参考書なんかと一緒に、なぜか、ラノベやコミックがずらりと並んでいる。
なんと……その中に、去年のコンテストで大賞を獲って書籍化された僕の唯一のラノベ本も並んでいる!
壁には、額に入れたアニメキャラクターのイラストが何点か並んでいる。
僕はもっと子供部屋っぽい家具やしつらえを想像していたので驚いた。ご両親が『舞さんがもし生きていたら』の成長にあわせて部屋の中の家具やなんかを替えているんだろうか。……そう考えると胸が痛む。
この部屋を再現しているデータの出所は、瞑の記憶としか考えられない。
いずれにせよ、舞さんはそこにいなかった。
やっぱりこの部屋にも現れないんじゃないかと瞑に話しかけようと振り向いたところ。
「キミ、なに人の部屋にズカズカ入りこんでジロジロと見まわしているのかな?」
瞑が先に口を開いた。
「や、だって、君が入れって勧めたんじゃ……」
「こんな可愛い女の子と部屋で二人きりになろうなんて、なかなかいい根性してるねえ」
彼女はそう言うと、ささっと黒髪を編み込み、アップにした。
そして、ニヤリと笑った。
僕はその時、初めて瞑の思惑を理解した。
「ひょっとして……君は……舞……さん?」
「アハハ、やっとわかったみたいだね! 久しぶり、でもないか……昨日ぶり!」
「本当に舞さん?」
「しつこいなあ。それからボクのことは『マイ』って呼んでいいよ。メイにはそうしてるよね、なんか不公平」
彼女は自分のデスク席に腰かけた。
「まあ、キミも座りたまえ」
「す、座るって、どこに?」
「そこ」
『舞さん』はベッドを手で指し示した。
僕は言われるがままにベッドに座る。寝心地が良さそうなクッションとサスペンションの効き具合だ。
「さて、キミ……マコトは、ココに何しに来たのかな?」
「何しにって……瞑に舞さんと話してくれって頼まれた」
「だから、『マイ』でいいって! 今度、さん付けしたらデコピンするぞ」
「わ、わかった」
「で、メイ様は何を話せとおっしゃったんで?」
「まずは、謝りたいって」
「何のことだろ?」
「『闇の世界』で舞さ……舞のことを疑ってしまったこと」
「ああ、悪魔ッ子の話ね。メイはマジメだからなあ……そんだけ?」
「あと、信じて欲しいって」
「何をさ?」
「私は決して舞の存在を隠そうとなんかしてないって」
「ハハハ、そんなこと心配してるの? バッカだなあ!」
「瞑は『陰陽幻想曲』の世界でのことを舞と話したがっているんだ」
「例えば?」
ボクが瞑に頼まれていることがもう一つあった。でもこれは言わない方がいいだろう。
「そんなところだよ。今度、合宿から戻ったらリアルの舞の部屋でゆっくり話そうって……」
そう言いかけていると舞はベッドの僕の隣りに座り、くすぐり始めた。
「ちょっ!いきなり何を!……イヒヒ……」
「キミ、なんか隠してない? 白状しないとコチョバシの刑で笑い死にするよ!」
仮想世界でのくすぐり攻撃がこんなにきついとは思わなかった。
「わかったわかった……ちゃんと言うから……」
彼女はくすぐりの手を少し緩め、僕の言葉を待った。
「瞑はね、もし本当に、私の体を乗っ取りたいんなら、それでもいいって……もしそうして欲しかったら方法を考えるから言ってくれって」
その言葉を聞いて、舞の動きが止まった。そして目を伏せた。かと思うと、怒りを露わにして僕をくすぐり始めた。
「もうあの子! 信じられない! ……そうしたかったら、とっくにしてるよ!」
「ちょ、ちょっ待って……僕をコチョバシても何にもならないから!……イヒヒ、アハハ」
「じゃあ、メイに言っときなよ! そんなこと言うなら、本当に乗っとっちゃうぞって。ついでにマコトもぶんどっちゃうぞって!」
「ま、待って!何でそこで僕が急に出てくるの?」
「え! わからないの? そういうニブチンには教えてやらない」
「そんなあ!」
「今日はムカついたから、この話はおしまい、じゃあね」
そう言うと、舞は『コチョバシの刑』のポーズのまま、頭をガクンと垂らした。
その数秒後、舞は再び頭を上げた。僕と目が合う。
「きゃあっ!」
目の前で百デシベルくらいの音量で叫び声がさく裂した。
そして、舞はベッドに座っている自分を見まわし、慌ててデスクの椅子に飛び移った。
「湯沢君! あの子に、舞に何したの⁉」
ん?どうやら、今話している相手は瞑らしい。
「い、いや、僕は何も……むしろ僕が何かされてた」
「何かって何よ?」
「……コチョバシの刑」
「はあ? 」
「何か怒ってた」
「何で?」
「あの悪魔ッ子の言うこと真に受けるなって」
「そのことで怒ったの?」
「う、うん」
「湯沢君、何か隠してるでしょ?」
今日は何で双子の姉妹両方から厳しく尋問されてるんだろう?
……でも、舞が『瞑の体を乗っ取ってもいいんなら乗っ取るぞ』って言ってたなんて、恐ろしくて言えない。
「……僕のことをぶんどっちゃうぞって」
「誰が?」
「その……舞が」
「『舞』って……今まで『さんづけ』で呼んでいなかった? いったい舞と何があったのよ⁉』」
その表情はクールだが、只ならぬ怒気を感じた。
「い、いや、舞、じゃなくて舞さんがそう呼べって……ここはお互い、顔をつき合わして冷静に話し合った方がいいんじゃないかな?」
「それができないから、湯沢君に伝言を頼んでるんだけど!」
僕は女性の間を取り持つような高度なコミュニケーションスキルは持ち合わせていない。今も、それが災いの元になっているような気もする。
瞑の瞳にメラメラと冷たい炎をが燃えているような幻影が見えた。
「湯沢君、いい? 姉妹ゲンカにしばらくつきあいなさい」
「えーっと、何か急にラブコメ的な展開になって来たような」
「あなた、そういうの得意なんでしょ⁉」
「書き物ではそうだけど、地でいくのはちょっと……」
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