第3章第4話「音楽を奏でる理由②」
あの日、奏良に悩むのは良いけどとりあえず飯はちゃんと食えよと言われてからはコンビニ弁当だけでなく、外食をしたりしてしっかりとご飯の時間を作るようにしていた。ご飯を食べるとしっかりと眠くなって、短い時間でもちゃんと睡眠を取れるからやはり食事という行為はとても大事なのだなぁ、なんて当たり前のことを感じていた。
「お、ちょっとマシな顔色になってるな」
水曜日の個人レッスンの授業の時に、三笠先生が嬉しそうにそう言ってきた。そんなに先週の俺はやばかったのか……。
「あと少しで掴めそうな気がします。金曜日にはちゃんとレッスン行きますので」
「そりゃあ良かった。みんな、沢渡がいなくて寂しそうにしているぞ」
「ほんとですか?」
「あぁ。いつも、自分たちが悩んでいる時は助けられていたのに、何も出来なくて悔しいとも言っていたな」
「みんな、優しいですよね……」
真柴さん、中園さん、東宮さん、それから奏良。みんな、俺には勿体ないくらい優しい人たちで仲間に恵まれた俺は幸せ者だ。真柴さんに誘われなければ俺は今頃、どうしていたのだろう。考えてみただけで恐ろしく思った。
「そうだな。早く、アマービレ全員の音を聞けるのを楽しみにしている」
「はい、ありがとうございます」
三笠先生も本当に良い先生だ。早く、すっきりした心でみんなと一緒に音楽を奏でたい。今年の俺は、本当に人に恵まれているなと常々思う。
――木曜日。チェロを背負って、寮を出た。旧楽奏堂に持って行くのは気が引けたので、一度大学へ行き楽器用のロッカーにチェロをしまってから、コンサートへ向かった。6歳の時以来、初めて旧楽奏堂のコンサートに俺は足を運ぶことになる。基本、コンサートが開かれている時間帯は朝も夜もバイトをしているから旧楽奏堂でのコンサートは大学に入ってから来られていなかった。チケット代も高いし……。じいちゃんと来た時はどの辺りの席に座っていたっけ。座席は自由なので、出来る限り当時の再現をしたかった。全体を見渡しながら思い出そうとしてみた。
「あの辺りな気がする」
ふんわりと頭の中に浮かんだ光景は、目の前に丁度良くパイプオルガンが見える所。真ん中で1番良い席。〝ここからの景色が最高なんだよ〟とじいちゃんは、言っていた気がする。コンサートホールの1番中央の席に俺は腰を下ろした。
ドクン、と心臓が高鳴る。徐々に人が集まってきて、周りから楽しみだという気持ちの高ぶりが伝わってくる。最近は、自分が舞台に立つ方が多かったから、客としてコンサートを聞くのは本当に久しぶりだ。真柴さんのピアノ演奏会はあったけど、あれも大学構内での演奏会だったし。学生が少なく、一般のおじさんおばさんが多い空間で音楽を聞くのは新鮮でワクワクした。
照明が消えて、ステージが明るくなる。ステージに出て来たのは、5人の男女で、どうやらピアノ五重奏の演奏会だったみたいだ。こんな偶然あるのか。無心でとりあえずコンサートを聞きに行こうと決めてチケットを購入したから、曲目とか誰が出るのかとかは意識していなかったので、とても驚いた。
年齢はみんな、30歳から40歳くらいだろうか。どっしりと構えていて迫力があった。チェロの人は、俺と違って身体も大きくかっこいい男性で羨ましくて仕方ない。じっとステージを見ていると音楽が始まった。
「……っ」
思わず声が出そうになってしまった。
だって、奏でられ始めた曲は、ドヴォルザークのピアノ五重奏曲だったから――
プロのチェリストが奏でる最初のピアノとのデュオのメロディーは、俺が奏でる音とあまりに違かった。技術があると、こんなにも人の心を震わせる音を奏でられるのか。だけど、ピアノは真柴さんの方が素敵だと感じた。贔屓とかではなくて、本当に。だから、真柴さんはやっぱりプロ並みに上手いのだ。この人たちと一緒に弾いても、全然問題ない。だけど、俺はこの中には入れない。俺の音は、プロの音ではない。プロの音でなくて当たり前だ。だって、プロになりたいと思いながらやっていなかったのだから……。
だけど、今この人の奏でるチェロを聞いてはっきり分かった。俺は、真柴さんとみんなと対等な音で音楽を奏でたい。趣味で留まらせるのではなくて、プロのチェリストになりたいんだ。
そんなことを思いながら、プロが奏でるドヴォルザークを聞いているとふっとあの日の光景が見えた。じいちゃんに連れられて初めてここを訪れた6歳の頃。
チェロに出会い、室内楽に魅了されてしまった日。
そうだ、あの日の演奏会の曲もドヴォルザークのピアノ五重奏曲だった……。
あの日、三笠先生に借りたアルバムの中に偶然あって、何となく惹かれた訳ではなかったんだ。この曲は、俺にとっては特別な曲だった。ドヴォルザークのピアノ五重奏曲と出会ったのは、偶然なんかではなくて、〝運命〟だったんだ——
ドヴォルザークが終わって、その後も何曲か続いたけどほとんど放心状態で聞いていたから、後の曲のことはあまり覚えていない。あっという間に1時間のコンサートは終了した。
周りの人の表情をちらりと見て見ると、みんな楽しそうに笑っている。俺も、6歳の時にここで音楽を聞いてすごく楽しかったのを思い出した。楽しくて、かっこよくて、じいちゃんに「俺もやりたい! 1番でっかい楽器欲しい! かっこいい!!」と興奮しながら、話しかけたっけ。じいちゃんも、すごく喜んでくれていたのを思い出した。
〝1番大きい楽器はな、チェロって言って良い音が出る。じいちゃんが好きな楽器だ。良い楽器に目を付けたなぁ〟
〝音楽っていう漢字はな、音を楽しむって書いて音楽なんだ。音楽は良いぞーいつか、ここでチェロを弾く凪音を見て見たいなぁ〟
そんな言葉を急に思い出した。
適当にやっていた訳ではなかった。俺にもちゃんと、理由があった。きっかけがあった。だけど、じいちゃんが死んで親からは期待されず、平凡に生き続けてしまっていたから大切なことを忘れてしまっていた。
それを思い出した途端、チェロを弾きたくて溜まらない気持ちに陥っていた。今なら今までで1番良い音を出せる気がする。急いで大学へ戻り、ロッカーからチェロを取り出した。どこで弾こう……。どうして今日に限ってレッスンがないんだ。普段、大学で弾かないようにしていたから、どこで弾くのが良いのかが分からない。もう、弾けるならどこでも良いか。
俺は、人前なのなんて気にせずに大学内のロビーでチェロを取り出して準備をし始めていた。今までの俺からは想像も出来ない行動だ。まだ朝早いからか人はそこまで多くない。いても、誰も俺のことを機にも止めずに歩いていく。心臓がどくん、どくんと高鳴っていた。
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