三章 ゴーストライト
1
一般的に雉間探偵局は単なるクラブ、サークルのようなものに近い。それも数多くの文化部がある月和高校の中でも上位を争うほどの自己満足クラブだろう。依頼者の依頼の解決。そのスタンスと自身の名前を部活名に入れる辺り如実に自己満足を表しているが、そんな探偵局の活動も一体どれほどの人に知られているかは謎だ。
というのもこの雉間探偵局、設立から六月までの現時点で依頼者はたったの二人。で、そのうち一人が助手になったわけだから文字通り部外者からの依頼は一つだけ。活動目的が依頼者の依頼の解決なだけにその依頼者が来ないことには活動という活動が始まることはないし、探偵局の噂が広まることもまずはない。
つまり世間一体にはまだ探偵局は存在すら知られていないというのが俺の見解だ。普通の部活動であれば顧問が改善策でも打ち出しそうなものだが、そもそもこの探偵局に顧問はいるのだろうか。
思えば月和高校の敷地内で最も秘境の地ともいえる特別教室の三階。そんな
「顧問は付けない。学校はうるさく言わない。だからひっそりとやってくれ!」
おおかたそんな風に思われているのだろう。
……まあ、こちとらそれで自由なのだし文句はないのだが。
◇ ◇ ◇
『うわっ、びっくりした! ねえ雉間、今の見た?』
金曜日の六時限目。
それは化学の授業がちょうど新しい単元に入ったところだった。
窓際最後列の席に着く俺の後ろ。俺がぼんやりと今後の探偵局について考えていたところで、窓の外を眺めていた姫乃さんが授業中突然に叫んだのだ。
静寂が保たれた教室に声が割り入るも誰一人として反応を示さない。
うーん。姫乃さんが憑依霊なのはこういう時につくづく思い知らされるな。
ちなみにこれは余談だが、俺が今座っている窓際最後列の席は先週あった席替えのくじ引きで偶然取れたわけではない。姫乃さんによって仕組まれたものなのだ。
その手順は、まず姫乃さんがこの席が書かれた番号の紙をくじ箱から頂戴する。次に俺が適当な紙をくじ箱から引き、それをそのまま姫乃さんの持っている紙と交換する。あとは俺が引いた紙を姫乃さんがくじ箱に返せば完了だ。これで必然的にこの席を手に入れて思ったが、やはり憑依霊はマジシャンに憑くべきだ。
『雉間、今ね、今、校庭で黒ネコと白ネコがケンカをしてたの!』
授業中に野良猫の観察とは憑依霊もなかなかに多忙じゃないか。
俺は化学の教科担任戸田の話を聞いているものとして、興奮する姫乃さんの話に耳を貸す。
『背中の毛を逆立ててね、フーッって二匹のネコが威嚇してたの! お互いが一歩も譲らない状態で睨み合っていて、今にも飛び掛かるぞって時に……なんとだよ雉間! ね、このあと何が起きたと思う?』
いきなり詰め寄り問われる。かと思えば俺が二の句を出すよりも先に話し出した。くすくすと笑いながら、
『なんと、なんとだよ雉間! そこにね、こ、今度は灰色のネコが来てね……ふふっ。でね、そしたらみ、みんな……ふふっ、みんな一目散に、走ってどっか行っちゃったのーっ!』
そして『あははー』と大笑い。
「…………」
ふむ、どうやら聞くほどの話でもないようだ。
俺は集中させていた意識を授業に戻した。
「――で、あるからして、つまり原子と分子の違いはここが重要。今言ったところ次のテストに出るからな」
わお。なんて間の悪いことか。姫乃さんの与太話で重要な箇所を聞きそびれたじゃないか。
俺は無言で姫乃さんに目をやる。
『わー、やっぱり雲は白いのぉー。どうしてあんなに白いのかなぁー?』
俺の視線はきっぱり無視された。
いつもは見てもいないくせに何が空だ。まったく、これだから憑依霊は……。
と、そこに前からプリントが回ってくる。
「いいか。このプリントは絶対に失くすなよ。次の小テストはここから出るからな」
プリントを受け取り見てみる。
えーっと、なになに〈原子or分子?〉ね。それほど難しそうでも……。
「ん?」
手に持ち、気付いた。
渡されたプリントの後ろに、まだ紙があることに。
俺の席は一番後ろ。ゆえに一枚でいいのだが……と上の〈原子or分子?〉を指でずらせば下には手紙調に折られたA四サイズの紙があった。
『え? なになに雉間? もしかしてそれってラブレター?』
突然の真後ろからの声に肩がびくんと上がる。
振り向くとこちらを覗き込む姫乃さんと目が合った。つい数秒前まで阿呆のように雲を眺めていたのに……。気配もなく背後に回るのは止めていただきたい。
『ねえねえ雉間、それは何かな?』
ニヤニヤと語りかけてくる姫乃さんはずいぶんと
察するに姫乃さんのこと。さしずめこれが俺への恋文の類いだと思っているんだろうがそれは違う。人との関わりを好まない俺がなぜに人に好かれなきゃいけないのか。休み時間も
あまりの馬鹿馬鹿しさに俺は返答の代わりに手紙を開けた。
すると、
『へえ』
小さく声を漏らす姫乃さん。
いつになく神妙な顔をする彼女はどこか楽しげで、それに反比例するかのように俺は自分の顔が訝しげなものになっていくのに気付かされた。
開いた手紙にはきっちりとした筆記体でこう書かいてあったのだ。
【問題】
〈ある男が犬を買いにペットショップに来た。
そこには容姿も値段も性別もまったく同じ、AとB二匹の犬がいた。
男は店員に「働かせる犬がほしい。賢い犬を頼む」と言った。
店員はAとB二匹の犬の前に餌を置き「まて」と命じた。
すると二匹の犬のうちAの犬は言うことを聞かず餌を食べ始めた。
次に店員が「よし」と言うと、Bは餌を食べ出したが今度はAが食べるのを止めてしまった。
それを見た男は満足してAの犬を選んだ。
なぜか?〉
なぞなぞ……だろうか?
俺の横では姫乃さんがふむふむと頷いている。どうやらこれはなぞなぞで間違いないよう。だが、なぞなぞにしてもどうしてここに?
俺は考える。
俺の席は前から六番目の一番後ろ。つまり前には席が五つある。普通に考えてもこれは友人同士のちょっとした文通のそれで、言わずもがな俺にそんな文通をする友人はいない。では考えられることとすれば……なるほど。
つまりこれは俺の前の席の何者かが一つ後ろか、二つ後ろの友人にこの手紙を回した。しかしその友人はそれに気付くことなく後ろの人にプリントを回す。その結果、行き場のない手紙が俺のところに来た、と。
手紙お回した理由は暇つぶしだろう。戸田の授業は群を抜いてつまらないからな。
ま、なんにせよ、授業中に文通とはけしからん。
俺は今来た手紙を破くため二つに折ると、
『あーっ! ちょっと雉間、まだ私が見てるんだよ!』
真横の姫乃さんに取り上げられてしまった。
俺の手から姫乃さんの手へ手紙は移動する。幸いにもその移動は誰にも見られていないが見られたとしたらきっとそれは消失。俺の手から突然物が消えたことになる。こいつは俺をマジシャンにでもしたいのか!
俺は姫乃さんに抗議の目を向ける。
「何するんですか!」
すると姫乃さんは俺よりも数倍は鋭い抗議の目を向けた。
『何とは何よ!』
「……」
いえ、なんでもないですとも。
『はあ……。あのね、先に言うけど雉間のことだからきっとこれが「意図せず自分のところに来た~」って思ってるんだろうけど、それは違うの。これは意図して雉間に来たものなの』
「そんな馬鹿な」
淡々と語る姫乃さんは視線を手紙に戻す。
『雉間が一番後ろの席である限りこれは後ろから二番目、つまり雉間の前の席の人がこれを書いて渡したのに他ないの。プリントの枚数が二枚か三枚かの違いは手にしただけじゃわからないけど、一枚か二枚かの違いは意識しなくてもわかる。ましてやこんな手紙、回っていれば誰も見逃さないの。第一、この手紙には差出人も宛先も書かれてない。それなのに誰もこれを開けてないってことは、この手紙が雉間の前で足されたからなの』
なるほど。だが「前の席の人」と言われても、俺には一向にその顔も名前も出てこない。後姿から見るに前は女子なのだが……いや、そもそもなんで俺に? 片や人の名前も思い出せない俺に渡してどうなる?
『あ、心配しなくても大丈夫。答えならもうわかったから』
俺が思うことなど微塵も知らず、姫乃さんは手近な紙にボールペンを走らせる。『ふんふんふ~ん』と鼻歌交じりに陽気なメロディーを口ずさむ彼女はなんともご機嫌だ。
……さて。
そんな幼稚な遊びに付き合っていられない俺は再び意識を授業へ。見れば戸田はまるで穴埋めかのように黒板に単語を書いている。
ああ、そうか。さっき渡されたプリント〈原子or分子?〉に書き写すのか。と、ここまでは理解したが、どういうわけかその〈原子or分子?〉が見つからない。ついさっきまではあったのに……。
『でーきた』
プリントを捜索する俺の横を、すすすっと通り過ぎる姫乃さん。
何をするのかと見れば、前の女子が黒板を見た隙に今書いた紙を机に置いたではないか。何を勝手なことを。これで素知らぬ顔はできないぞ。
上機嫌で戻ってきた姫乃さんに、とりあえずは何をしたか聞くと、
『ああ、なぞなぞの答えだよ』
と。
やっぱり勝手なことじゃないか。とは思うも、さっきのなぞなぞに答えがあるなら知りたくもなる。
確か、賢い犬が欲しいのに賢くない犬を選ぶ話だが……。
「答えは?」
ろくすっぽ考えもせずに訊いたが姫乃さんはすぐに答えてくれた。
『簡単なことなの』
ポケットから手紙を出す。
『このなぞなぞはトンチ。二匹の犬のどちらが賢いかは命令を聞いたBの犬。普通はそう考えるだろうけど、この話には裏があるの』
「裏?」
『そう。それは“賢い犬は男に買われて働かされる”ってところ。つまりね、人の言葉を理解していた働きたくないAの犬は自身を賢くないと思わせるために、わざと指示とは逆のことをしたの。食べていた餌を止めたりね。で、その結果、本当に賢いのは何も考えず言うことを聞いたBの犬より選ばれようとしなかったAの犬ってことになるわけ』
そこまで言うと前の席の女子は姫乃さんが置いた紙に気付いた。
彼女は後姿に一瞬だけ驚いたが、やがて紙に目を通すと頷き、それからくすりと笑ってみせた。どうやら姫乃さんの推理に間違いはないようだ。
得意気な顔でこちらを見てくる。
『ふふうん。どうよ雉間』
別に適当にあしらってもよかったのだが、俺には先ほどからどうも気になることがあった。
「ところでだけど姫乃さん」
『ん? 何かな?』
謎解きを終え、達成感溢れる顔が俺を見る。
「あの、さっきもらった〈原子or分子?〉ってプリント見なかった?」
『……』
?
『さ、さあね。知らないの』
まずいな、これは本腰を入れて探す必要がありそうだ。
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