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◇ ◇ ◇
自然と静まり返った教室で第一声を待つ俺と久良さんに、姫乃さんは大して渋る様子もなく話を切り出す。
『ゴホン』
……の前に咳払い。マイペースな人だ。
『えっと、まずはね、今回の件のおさらいなの。事の発端は今日の一時限目。あかりのクラスで相田が起こした不可解な暗唱。相田は前回の授業に出ていないことから暗唱のテストがあることを知らず、秋野から教科書を借りたことからは枕草子そのものを知らなかったと言える。それなのにどうして相田はものの数分で暗唱できたのか……。その答えこそ、これね』
言って姫乃さんは秋野の机を指差した。
別になんてことない机だが……と思いながら指差す箇所に目を凝らせば、机の表面には最近付いたと思われる数本の引っ掻き傷があった。長さ四~五センチ程の細い線が数本重ねられていて、表現的には掻かれたというよりも彫った感じだ。
俺の隣では久良さんが「へぇー」と感嘆の声を漏らす。
「こんなの姫ちゃんよく気付きましたね」
『ふふうん』
反って胸を張る。
『私は雉間と違って探偵だからこんなのすぐに気付いたの。それにこの机の秋野の筆入れからは先端が詰まったシャーペンが見つかったの。ほら』
そう言って姫乃さんは秋野のシャーペンを机に置いた。手に取りそれを確認するとペン先に何かが詰まっている。
俺は先端部分を外し、すぐ隣の掲示板から画鋲を一つ拝借。そして画鋲を立ててペン先を突くと中からは木くずが出てきた。
『それは今日の一時限目、あかりが聞いた秋野の貧乏ゆすりの正体。秋野はそのペンで机を叩いていたの』
ふむ。確かにこのシャーペンの先なら机の傷とも合う。が……。
俺が感じた疑問は久良さんが言った。
「ですが、それと相田くんの暗唱がどう関係あるのでしょうか?」
そう。久良さんの依頼は相田の暗唱のことであって、後ろの秋野の貧乏ゆすりがどうとかはお門違いなのだ。
首を傾いで言った久良さんに、姫乃さんは微笑みを作り、
『あー、それはね』
得意気に言う。
『秋野はそれで、相田に枕草子の最後の一節を教えていたんだよ』
な。
「なにをバカなっ」
呆れ半分驚き半分で思わず言った俺に、姫乃さんは『バカじゃないよ』と反論。
そして別に溜めるでもなくあっさりと続けた。
『秋野はね、相田に最終節を教えていたの。モールス信号を使って』
「もーるすしんごう?」
『うん、モールス信号。決められた短点と長点の並びでアルファベットや五十音を伝える、あの。秋野はそのモールス信号を音でやっていたの。このシャーペンを使ってね』
「それじゃあ久良さんが聞いた貧乏ゆすりの正体はモールス信号だったと?」
『うん。それにモールス信号はサバイバルゲームなんかでもよく使われるの。懐中電灯の光を信号に見立てたりね。相田も秋野もサバイバルゲーム部だし無理ない線だと思うな。もっとも私には相田がどこまで自力で暗唱したのかは知らないけどね』
そこまで言って姫乃さんはつまらなそうに鼻で笑った。それは推理の終わりを示しているのか。そう思った俺は姫乃さんに一つ訊く。今の話で、唯一の腑に落ちない点を。
「それならどうして相田は暗唱を先延ばしにしなかったんですか? だってそうですよね。四つあるとはいえ暗唱は短文。それに前回休んだ相田には二日後の次回に持ち越す権利だってあったはずです。二日後の現代文までに憶えるのなんて難しくも」
『違うの雉間』
姫乃さんが俺を見る。
『確かに雉間の言う通り二日後までに憶えるのは簡単。だけどね、相田に限って言えば今日暗唱をした方が断然楽だったの』
「楽? 楽って暗唱をするのは今日も二日後も同じ枕草子の冒頭。同じですよね?」
『うん、同じ。だけど楽っていうのは暗記をすることじゃなくて、結果を出すまでの過程のこと。だってほら、今日、相田が暗唱をできたのは誰のおかげ?』
「それは秋野でしょう。後ろの席に秋野がいたからできたんですし」
『そう。今日の暗唱は後ろの席の秋野の力を借りたからできた。でもね、もし相田が二日後に暗唱のテストをするなら秋野の力は使えない。ね、だってそうでしょ? 明日は席替えだから』
「!」
俺ははっとした。
『席替えをして相田のそばに必ずしも秋野が来る保証はない。それに今のこの席なら秋野が出す音も一方向は壁だから気付かれにくい。だから相田は今日暗唱をしたの。二日後までに努力して自力で憶えるのが嫌だったから。凡人はね、努力をしないの』
そこで姫乃さんは一度言葉を切った。
そして、ややするでもなく笑顔で言う。
『雉間はそうなっちゃダメだよ』
俺は黙って頷いた。
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