第9節


 もう一人の蓋羅が立っている。


「え、あ、なっ!!??」


 辛うじて声を絞り出すエノクの背後で、血のように赤い右手で肩を掴んでいる。必死に離れようとする青年だったが、異形の存在の膂力りょりょくが凄まじいのか、あるいは青年自身が脆弱ぜいじゃくな所為か、その場から微動だにできずにいた。


「暴れるな。加減を間違えて肩を砕きかねん」

「ひ、ぃっ……!!!!」

「あ、えっと……、ガイラ様のご兄弟、なのでしょうか?」

「いいや、

「えっ!?」


 ミシェラの質問に、彼女の傍に立つ方の蓋羅がそう答え、ローレンティア以外の全員の頭に疑問符が浮かぶ。何度言葉の意味を反芻しても、エノクの肩を掴んでいる赤肌の青年が、金髪の令嬢の傍で佇む青年と同一人物だとうそぶいているようにしか思えない。

 その考えを察したのか、疑念の目を向けてくる八津原達を一瞥して、二人が交互に説明し始めた。


「『分霊ぶんれい』、と呼んでいる。魂を分割し、複数の場所で同時に存在できるようになる権能、あるいは概念のようなものだ。本来は神などの上位の存在にしか扱えぬものだが、神の特例により、この魂へ直々に刻んでいただき、使用を許されている」

「分けられた霊魂……分御魂わけみたまとなった個々の魂は、互いに感覚と思考をある程度共有できる。貴様の名を知っていたのも、他の分御魂わけみたまが見聞きした情報を得ていたからだ」


 そういえば、と話を聞いていた金髪の令嬢は思い出す。

 最初に邂逅した時、彼はミシェラが名乗る前からその名前を知っていた。

 その事に疑念がなかった訳ではない。初めはその言動から、アーシェラも預かり知らない、魔王軍からの刺客なのではと密かに思ったくらいだ。

 しかし『鑑定』が効かなかった事。何より、恩人である彼への信用と相俟って、瑣末な事だとあえて聞こうとしなかった。


「本来は無限に分割できる上に、分けられた全ての魂は同質同等。。ただ、俺は神ではない下位の存在である為、分けられる数に限りがある上に、その数が多い程、個々の存在や力が減衰する。まぁ、仕方のないことだが」

「……おいちょっと待て。道中、姫様が能力についてお聞きになった時、その力のことを話さなかったではないか。何故黙っていたのだ!?」

「特に話す必要がないと判断したからだ。このような状況でもなければ、説明の難しい権能だからな」


 その尤もらしい言葉をローレンティアが来る前に聞けば、ミシェラもメイも安易に納得したかもしれない。

 だが、確かにこの赤肌の青年は言ったのだ。彼女達が勘違いするように、あえて言葉を選び、言葉を絞り、彼女達を騙していたと。

 わざわざ自身の存在を分けるという、言葉の表面だけ受け取ってもかなり高位な技術や能力だと思える方法を取ったのか。説明を受けても、一向に疑問が解消された気がしない。


「ではもしかして、エノクお兄様が、ガイラ様を知っているようだったのは……」

「ああ。貴様らと合流する前後で、奴とも接触していた。この世界に囚われた、我らの世界からを取り返す為に」


 言うが早いか、エノクを捕まえている蓋羅が左手に力を込め、その豪奢な鎧へ背後から突き刺した。

 一瞬の出来事で、誰も反応できずにいると、鎧の背中部分、不自然な膨らみの部分が破砕され、中から透明の筒状の何かを剥ぐように抜き取る。

 硝子でできた透明な筒状の容器の両端は細い管が何本も伸びており、鎧の内側に繋がっているように見える。容器中は緑色の液体で満たされており、その液体の中で皺だらけの不気味な肉塊が浮かんでいる。

 鬼の手に握られたそれを見て、八津原が唐突にその肉塊の名称を口にした。


「人間の、脳みそ……!!!?」

「正確には、フィニュ・アノビルという名の、えるふの娘の脳髄だ」


 筒状の容器を持つ方の蓋羅がそう告げると、ミシェラが混乱の混ざる言葉を言い放つ。


「フィニュ、様、ですって……!? 二ヶ月前の魔族侵攻で、行方不明になったと聞いてましたが……、何故、こんな……!?」


 フィニュ・アノビル。八津原も神坂も実際に会った事はなく、名前だけは知っている。妖精種エルフの王が治める国、その第三王女で、人の心を読んだり、動物と意思疎通を行える、『精神感応』に関する魔術が得意だと聞かされた事がある。ミシェラを通じて捜索をクレイテスラ王国に依頼した事で、勇者である自分達に声がかかったので、行方不明の件も聞き及んでいる。

 だが、言葉の真偽も含めて、ミシェラも、エノクも、八津原達も、目の前の事象に理解が追いつけないでいた。筒状の容器内で浮かぶ剥き出しの脳を見つめる蓋羅は、尚も無表情のままで佇むだけだ。

 ただ、蓋羅の手から解放されてようやく混乱が落ち着いてきたエノクが、筒状の容器を指差して抗議する。


「ま、待て!! そもそも私は、こんなもの知らないぞ!! こんなものが鎧に仕込まれてたなんて、叔父上は何も言ってなかった!!」

「ユーダ叔父様が……!? どういうことですお兄様!?」

「どうもこうもないっ!! ミシェラ、貴様の愚行を正すために、叔父上が貸し与えてくださったのだっ!!」


 詰め寄ろうとするミシェラに対して、激昂の感情で真っ向から彼女を非難する。


「魔族との和平を進め、挙げ句の果てには『境戒壁』を強化して二度と攻められないようにするだと!? それでどうやって魔族を殲滅するというのだ!!!? 王族の使命と矜持を忘れるなど、恥を知れ!!」


 地面から立ち上がれず怒鳴ることしかできない。今更言い分を否定するつもりもない金髪の令嬢も、あえて言い返すことはせずに愚兄の発言を待った。


「第一、これが本当に妖精種エルフの国の王女なのかも疑わしいではないか!! 魔族の言葉を鵜呑うのみにするなど、益々ますます王族の風上にも置けぬ!! 我らクレイテスラ王家を貶めるための狂言にしか思えんな!!」


 発言そのものは道理の通った主張である。そもそも森の中から現れた蓋羅は、まるで所在などが既知であったかのように、エノクの鎧から乱暴に剥ぎ取ったのだ。ミシェラもエノクの発言に対し、確かにと疑問を覚えてしまう。

 その理由について、肉塊の入った容器を持つ蓋羅が、懐から一枚の光る板を取り出す。

 傷一つない円形の鏡で、掌に収まる大きさをしている。それを皆に見えるように翳すと、八津原と神坂が見覚えのある反応を示した。


「それって……」

「ああ、MoJってやつか。ローレンティアちゃんが持ってる」

「…………、」


 薄金髪の少女の言葉に若干渋い顔を見せる。そして、自身の持つ鏡を注目を促すべくチラチラと何度も傾け、その鏡の名を一層強調して言った。


「この、は、翳した相手の魂を映すことができる。鏡面にその存在の、生まれてからの生涯全てを晒し、成した善行、犯した悪行をつまびらかにすることができるのだ」

「貴様が他の転移者達を妙な術法で操り、引き連れていた時、貴様自身とほぼ同一の座標に我らの世界の魂があるのは知っていた。そしてこの場所に来てようやく、その絡繰が判明したのだが、よもやこのような変わり果てた姿になっているとはな……」


 そう言って、容器の肉塊に鏡を翳した後、そこに映し出されたものを全員に見せつける。淡い乳白色の混ざる金髪に、翠玉を思わせる瞳、そして妖精種エルフ特有の先の尖った長耳を持つ少女の顔が映っている。

 八津原達にとっては初見である為ピンと来なかったが、ミシェラ達が悲痛な表情で鏡を見つめているので、あれが妖精種エルフの王女なのだろうと納得する。

 だがその直後に鏡の少女の姿が歪み、今度は明るい茶髪の男性の顔へ変化した。

 空色の目をした、白いシャツにネクタイと、かなり古臭いスーツか、あるいはどこかの国の軍服のようにも見える服装の、五十代から六十代くらいの人物。八津原の感覚で、所謂いわゆる西洋人せいようじんという表現が当てはまりそうな顔立ちをしていた。


「アンドリュー・ラングリッジ。このえるふの娘の前世であり、我々の世界にて死亡し、この世界へ連れ去られた転生者だ」

「は、え……!?」


 驚愕の声を上げてしまう八津原だったが、彼以上に驚いていた金髪の令嬢と、黒髪の女傑に対し、口角を吊り上げるローレンティアが二人へ詰め寄った。


「聞き覚えあるよねー、二人とも。なんせ、二回目の『異世界召喚の儀』で召喚された、勇者なんだから」

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