穏やかな「おかえりなさい」

 想定以上に早く起きてしまったが、早起きは三文の得というくらいだ、悪い事ではないだろう。

 ご飯は買っておいたパンを食し、それで済ませる。それから荷物の確認をして、リュックを背負った。

 今度はパソコンも持って行く。正直重いしどうせ向こうで回線は繋がらないが、ここに入っている写真データを白神に見せてあげたいと思ったのだ。シマエナガもあるせいで荷物は大分多くなったが、幸い山の麓まで行けば白神が迎えに来てくれる為、あの長い階段は歩かなくて済む。

 カメラもスマホも充電も満タン。準備はばっちりだ。鍵もしっかりと閉めて、アパートの一室を後にする。

「っし、行くかぁ」

 早く帰って来ると約束した以上、寄り道はせずに帰るつもりだった。そうすれば、田舎町に着くのは昼頃になるだろう。

 まだ人通りは少ない道を歩くともき。いつもの見慣れた道だが、何となく撮りたくなってカメラを構えた。

 こうして見るといつもの道が案外映えている、ような気がする。

「結構いい感じだな」

 これは、白神にも見せてやろう。そう決めて顔を上げると、自身の数歩前に同い年くらいであろう男がいた。

 清潔に整えられた黒髪に初夏らしい爽やかな服装。特段目立つ訳でもない、どこにでもいそうな青年だ。しかし、何よりともきの目についたのは、そのどこか見覚えのある顔立ちだった。

 記憶にあるモノより大人びて、雰囲気は年相応に落ち着いているが、間違いない。この顔は、はるきだ。

「はっ……はるき、か?」

「お前、ともき……、だよな?」

 数秒の間の後、口を開いたのは同じタイミングだった。

 こんな偶然はアリなのか。喧嘩別れした親友、あれからどうしているかは全く知らなかったが、こんな所で出会うだなんて。

「あー、っと、ともき? その、あぁ。久しぶり、だな」

「お、おう。久しぶり。大体、十年ぶりくらいだよな。ははは……」

 気まずい。お互い気付かなかったフリをしてスルーできればどれ程良かったか、思わず反応してしまったのだ。

 一度声を掛けた以上、直ぐに「じゃあな」は出来ない。今はともかく、小さな頃はあれ程仲が良かった親友なのだ。

「その、あの時は、ごめんな。その、若気の至り、っての? オレもどうかしてたよな、うん」

「あ、あぁ、気にすんな。昔の事だしな。あ、今なら酒飲んでも合法だぞ、飲んでる?」

「まぁ。ぼちぼち、だな」

 二人してしどろもどろとしているこの空気、周りに人がいなくて良かった。通行人がいたら、こいつ等何かあったんだろうなぁと思われる事は確定だ。

「そ、そうだ。お前相変わらず写真撮ってんだろ? この前、お前の名義の写真見てさ。あれだな、あれ。好きこそものの上手なれってやつ。オレ、お前の写真、結構好きだぜ?」

 この空気をどうにかする為だろうか。思いついたかのように話題を切り出す。

「そりゃ、サンキューな。そっちは、何してるんだ?」

「一応、普通の会社員だよ。最近、主任に昇級したんだ」

「おぉ、すげぇじゃん」

「お前の方が凄いよ。ずっと、好きだった事で成功してんだからよ」

 はるきは力が抜けたように笑う。

 どこか気まずさが残った会話だったが、徐々に昔の調子も取り戻せているような、そんな気がした。

「まぁ、あれだ。昔の事は、お互い水に流してさ。とりあえず、LINE教えろよ」

 特に何か連絡する予定はないが、折角だ、持っていてもいいだろう。

「ははっ、まさかお前からそんなナンパ男みたいな言葉聞けるとはな。ほらよ、これ」

 スマホに映し出されたコードを読み、表示されたのはHARUKIと示された犬アイコンのアカウントだ。

「あれだ。今度、産まれた子どもの撮影の依頼すっからよ。予定空けとけよ」

 にっと笑ったはるき。まるで悪い笑みではあるが、そこに闇は感じない。

 色々あったが、大人になったのだ。はるきも、勿論自分も。

 しかし、一つ聞き流せない事があった。

「お前、結婚してんの……?」

「おうよ。一昨年にな」

 尋ねたともきに、はるきは少し照れくさそうに笑い、左手を見せてくる。

 手までに意識が行かずに気が付かなかったが、その左手薬指には確かに銀色に輝く指輪があった。

 ともきは、何も結婚願望が強いわけではない。そりゃ多少羨ましい節はあるが、自分の仕事の都合上安定しない収入で家族を養う事は気が引ける。

 しかし、それはそれこれはこれだ。仲のいい奴等に先を越されると、無性に悔しい。

「おまっ……まぁた先超されたぁ……!」

「悪かったなぁ、案外モテて」

 微苦妙を浮かべるはるきは、その中で微妙に勝ち誇っている。

 彼等のその様子は、かつてのお泊り会で二人夜までストブラ勝負をしたあの時と同じようで。あれから変わっていない、それはお互い様だった。

 自覚のない負けず嫌いはちょっと面倒だ。だからこそ、彼は芸術家である写真家として食っていけているのだろう。

 分かりやすく複雑そうな反応を見せていたともきだが、気を取り直して小さく笑う。

「まぁ、いいわ。依頼料さえしっかり払ってくれれば仕事として受けてやるよ。言っとくけど、あまり求めんなよ。追加で色々求めるならスタジオに頼め」

「わーったわーった。そん時は頼んだぜ、ともき」

「おう」

 そんなちょっとした約束を交わす。未来の仕事が取れたのは純粋に嬉しい。それに、はるきの結婚だって、喜ばしい事だ。最後の会話があんな喧嘩なんかじゃなければ、ウェディング写真も撮ってやれたかもしれない。

「何はともあれ、おめでとな」

「おう、ありがと」

 微笑んだはるきは、とても幸せそうだった。

 一時の過ちが人生の全てを終わらす訳ではない。人は、いくらでもやり直せる。根っから腐らなければ再生可能であるという事は、今のはるきが証明だろう。

「じゃあ、俺そろそろ行くわ。じゃあな、はるき」

「あぁ、またな」

 駅に向かって歩くともきは、そのままはるきの隣を横切った。

「……なぁんか、なんだろな」

 はるきは、ようやっと仲直りできた親友の背を見詰めながら首を傾げる。しかし、感じた「何か」が分からず、気のせいかと先に進んだ。


 乗り換えた地方を走る路線には、相変わらず人が少ない。まぁ当たり前だろう、こんな平日に田舎の方面に向かう者はそうそういない。

 誰もいない静かな車両で揺られているうちに、ともきは居眠りをし始めた。寝不足という訳でもないのに、ぼーっとしていたら意識まで落ちてしまったようだ。


――暗闇の中、誰かが話している。

 しかし、不思議とその声だけが消音になったかのように遮られ、ともきの耳に届く事はなかった。

(……? 何言ってんだ、コイツ……。てか、コイツは誰……)

 無意識に伸ばした手が、それに触れそうになる。

『邪魔をするな、裏切り者が』

 降りかかった声により「誰か」は姿を消した――

 瞬間、ともきはハッと目を覚ました。覚醒した意識で顔を上げると、タイミングよく村に付く直前だった。

(これ、過眠だよなぁ)

 ただでさえ最近よく寝ているのに、これは良くないのではないか。そうは言っても、寝てしまうものは仕方ないだろう。眠気は不可抗力だ。

 なんて、そんなくだらない事を考えながら、シマエナガと一緒に電車から降りた。その瞬間、お出まししたのは眩しい陽光だ。

「晴れてんなぁ……」

 時間としても丁度太陽が存在感を放つ頃間、少々眩しいくらいの光に目を細める。しかし、そこまで暑く感じないのは緑達のお陰だろう。所謂マイナスイオンだ。ともきは田舎をよく知らない為、完全に予想だが。

 丁度いい気候の中、足は自然と山に向かう。

 白神は麓まで来れば迎えに行くと言っていたが、あの異空間から気付くのだろうか。最悪あそこで「白神ー!」と叫べば……いや、それは自分が恥ずかしいから止めておこう。

 白神の事だ、なんかよく分からない神様パワーで分かるのだろう。そう言うモノだ。

 そう時間はかからず、「最期の鳥居」と言うらしい大きな鳥居の前まで辿り着く。多分、ここを通ったら白神が来るだろう。

 多分、シュッと出てくる。よく漫画やアニメであるあの感じだ。思えば、最初に合った時も彼はそうして背後に回ってきた。それが出来るのに、階段を下りてくるとは思えない。流石に、後ろからの「お帰りなさい」はビビるが。

(ちょっと楽しみだな。背後に出て来なきゃいいけど……)

 あと一歩進めば、鳥居を潜る。

 そのあと一歩の所だった。

 不意に、胸の奥がざわついた。それが何か、正確に形容する事は出来ない。しかし、一種の恐怖である事は理解した。

 立ち入り禁止の警告が頭に満ちるような、そんな感覚でもあった。本能に押され、脚が無意識に竦んでしまう。同時に、神と人は元より会い逸れない、と以前言われた言葉が過る。

「あぁっ、何だってんだよ……っ」

 訳の分からない状況に、多少イラついたように言葉を吐き出す。

 そんなともきの言葉が呼びかけになったのだろうか。突然の解放感と同時に、鳥居の向こうに白神の姿が現れる。

「ともき」

 不思議だ、一日ぶりの白神の姿に安心感を覚えた。

「やっぱシュッて出てくるんだな! ただいま」

「うん。お帰りなさい」

 手を差し伸べられた白神の手を取ると、軽く腕を引かれる。鳥居を抜けた時、浮かび上がるような感覚が過り、場所は一気に社の前まで飛んだ。

 手を繋いだまま、白神はともきの持っている大きな袋について尋ねる。

「それ、もしかしてお土産かい?」

「あぁ、そうだぞ。シマエナガのぬいぐるみだ、可愛いぞ」

 詰まっているぬいぐるみシマエナガは、袋越しにうっすら姿が見える。つぶらな瞳は真っ直ぐと白神を見詰めているようで、彼は思わず笑みを浮かべる。

「ははっ、いいね。僕結構そういうの好きだよ。帰ったら見せて」

「いいぞー。でさ、ついでにさ」

 ともきの想定通り、可愛いモノは好きなようだ。ともきも笑顔になり、ここぞとばかりに強請りだす。

「写真だろ? 構わないよ」

「そりゃ話が早いな!」

 戻ったらお土産渡しのついでに撮らせてもらおう。美少年とぬいぐるみ、画にならない訳がない。

 そんな事を話しながら、手を繋いで異空間を歩く。いい歳した大人が迷子にならない為に手を繋がれると言うのも可笑しい話だが、抗議した所で「僕にとっては子どもさ」とか如何にも神様目線の意見を言われて終わりだろうから、何も言わない。

 気を紛らわす訳ではないが、空を見ながら歩いている。

「そういや、ここの空はなんで紫なんだ?」

 今更の疑問だが、気になる部分だ。

 ともきの問いかけに、前を歩く白神は顔を向けずに答える。

「封印されていた場所がね、気が付けば紫っぽい色の空間になってた。そこに無理矢理住めるような場所作ったから、空も同じ色になった。今でも不完全な空間なんだよね」

「ほー、だからこんな道なんだな」

「そういう事」

 答えが返って来た時、家の前に辿り着いた。

「おーついたついたー。なんか久しぶりな気がしちゃうな」

 旅行から家に帰って来た時と同じ感覚だ。大して時は経っていないのに久しぶりに感じる、これはともきだけではないだろう。

 同時に、白神も似たような感覚だったのかもしれない。彼は嬉しそうに微笑み、握っていた手を離す。

「ふふっ、そうかい。まぁそう言う事もあるさ。おいで、ご飯作ってあげる」

「お、いいな! 丁度腹減ってきてたんだ。朝もそんなに食わなかったしな」

 すっかり胃袋を掴まれているともきは、ご飯を作ってあげるという一言だけでテンションが上がっていた。流石に、写真を撮っている時の高揚感には負けるが。

 それから、白神が出してくれたご飯はオムライスだった。形も色も整えられた、家庭で再現しようとしたら一工夫必要そうな、まるで洋食屋さんで出てくるようなオムライスだ。まだプレーンなその卵の上に、白神はどこからか取り出したケチャップで絵を描きはじめる。猫だろうか犬だろうか、三角耳の動物を描くと、満足気に差し出して来る。

 洋食とは珍しい。白神はリクエストしたら何でも出してくれるが、お任せだと和定食のようなメニューになるのだ。何にせよ、美味しそうである事には変わりない。この黄色と赤の掛け合いは、非常に食欲をそそる。

「さ、召し上がれ」

「おう! いただきます」

 スプーンを手に、いつぶりかのオムライスを頬張る。

「ん~、うめぇなこれ! オムライスなんて久しぶりに食うから、余計美味しく感じるわ」

 幸せそうなともきを、白神はお土産のシマエナガを膝に置いて見ていた。

「そりゃ良かった。ともき、好きだったんだろ? これ」

「あぁ、そういや小さい頃好きだったな。月に一回日曜に父さんが作ってくれてたんだ」

 とは言え、最初に父が作ったオムライスは形が崩れていて、こんなに綺麗じゃなかったが。見事に失敗したそれを前に「い、胃袋に入れば同じだ! なっ、ともき!」と、誤魔化すように笑い、同意を求めて来た事は今でも覚えている。

「てか、お前こういうのに猫書くタイプだったんだな」

「あ、それ柴犬」

 柴犬だったようだ。まさか犬種まで意識していたとは思わなかったが。

「猫も犬も簡易化すれば似たようなもんだよな」

「でしょ?」

 少し得意げなのは何故だろうか。五度目の挑戦で形が崩れなかった時の父と同じような表情をしている。前屈みになった事で膝のシマエナガがやや潰れ、心なしか苦しそうにも見えた。

 その何気ない光景も、まるで一枚の写真みたいで。男の自分でも見惚れてしまいそうだ。

(やっぱ白神、綺麗だなぁ……)

 声にせずに呟いた言葉は当人にも伝わっているだろう。だが、今更気にする事もない。白神には思っている事が伝わるモノだ。

 今すぐ撮りたいが、それはご飯の後だ。話したい事もそれなりにあるのだから、ゆっくり行こう。

 どうせ、時間はたっぷりある。

「そうだ、後で俺が撮った写真見せてやるよ。パソコン持って来たんだ、そっちには全部保管してあるから、前のカメラで撮った奴とかもあるぞ」

 口にあった分を呑み込み、そう話す。

「それは楽しみだね。初めて撮ったやつとかもあるのかい?」

「おう、移行したのはわざわざ消さないからな」

「じゃあ、それが見たい。ともきの初めて、見せてほしいな」

 穏やかに微笑むと、パソコンが入っているのであろうリュックに目を移す。最初に着た時よりも荷物が多いのは、そう言う事だろう。

 シマエナガに顔半分を埋めた白神を目にしながら、ともきは最後の一口を飲みこんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る