第2話 聖騎士

 ……なんだか夢見心地のふわふわした感じがする。

 陽だまりの中にいるかのような、あたたかくて心地よい気持ち。外からだろうか、ちちちち、と小鳥が軽やかにさえずる声が聞こえている。

 ああ、きっと朝が来たんだな――って、起きなきゃ!


「い、いま何時!?」


 ベッドの上で跳ね起きたセシリーナは、目に飛び込んできた景色に言葉を失った。自分はいま、植物を模した清々しい緑の長椅子やテーブルといった調度品に囲まれていた。ベージュ色の壁紙で彩られた室内は、まるで貴族の洋館のようだ。さらに天蓋付きのベッドに寝かされている。飛び起きたセシリーナの膝の上に、仕立ての良い絹の掛け布がふぁさりとこぼれ落ちた。


(……あれ。ここ、どこだっけ……?)


 なんだか記憶が混乱している。自分はたしか遥乃という名前で、旅行会社で働いていて、そのときに不慮の事故に遭って亡くなったはずだ。そうしてその後、誰かとても綺麗な女性に――そうだ、転生の女神に出会ってこの異世界に転生させてもらったのだ。


(そうだとすると、ここは転生先の異世界ってこと……?)


 ふと壁際にあった姿見に顔を向けると、そこには腰までまっすぐに伸びた艶やかな亜麻色の髪に紫色の瞳をした二十代の女性が映っていた。おそるおそる自分の頬に触れてみると女性が同じ仕草をする。


(間違いない……この鏡に映っているのは私だ。この世界での私はたしか伯爵令嬢だったはず)


 名前はセシリーナ・シュミット。シュミット家という伯爵家に生まれた伯爵令嬢だ。父親は伯爵家の当主でここシュミット村の領主を務めている。


 シュミットの村は大陸の辺境にある田舎ののどかな農村で、特産品のブドウから上質なワインを造ることで名を知られていた。自分はそのシュミット伯爵家の長女として生まれ、今日まで何不自由なく田舎を満喫して生きてきたのだ。自分は、可愛いポプラの木が並び、牧草地やブドウ畑の広がるこののどかで時間のゆったりと流れる村が大好きだった。


(……そうだ、思いだした。前世の私は旅行会社勤務のOLで、女神様のお力で異世界に転生させてもらって、現世の私はシュミット家の伯爵令嬢として生まれ変わったんだ)


 なぜ前世の記憶を持ったまま現世に生まれ変わったのかはわからないけれど、もしかしたら転生の女神に何か思惑があってのことなのかもしれない。


「そういえば、女神様の加護だっけ、精霊魔法というものが使えるようになってるはずなんだけど……」


 思い立ったが吉日ならぬ、思いだしたが吉日。とりあえず試してみよう!

 セシリーナは、人差し指を前方に突き出し、頭に思い浮かんだ言葉を紡いでみる。


「――『お願い、風の精霊よ、どうか私に力を貸して』」


 そう願った途端に、セシリーナの指先に緑色の魔法陣が浮かび上がる。そこからぽんっというコミカルな音を立てて、緑色の三角帽子を被った小さな男の子が姿を現した。ふわりふわりと軽快に宙に浮いている。少年は茶色のくりくりとした目でセシリーナを見るなり、ふーん、と顎に手を当てた。


「やあ、初めまして! きみが例の新しい精霊使いさんだね! ボクは風の精霊シルフ! これからよろしくね、ご主人様!」


 この子が、精霊――……?

 なにか魔人のような大きなものが出てくるかと思いきや、小さな小人さんの登場に思わず頬が緩んでしまう。精霊さん、可愛いなあ。

 セシリーナはシルフに頭を下げる。


「初めまして。私はセシリーナ。あなたの言ったとおり、転生の女神様から精霊魔法の力を授かってこちらの世界に転生させていただきました。不束者ですが、何卒よろしくお願いいたします」

「うんうん、きみは女神様のお力でボクたち精霊の力を操る精霊使いというものになったんだ! 昔はボクたち精霊の姿を見える人たちが多かったから精霊使いもよくいたみたいだけど、いまはお姉さんしかいないみたいだね。お姉さん以外は、きっとボクたちの姿ははっきりと見えないんじゃないかな」

「そうなんだ……」


 時代が移り変わるうちに精霊の存在感も薄れてしまったのだろうか。そのあたりの事情はわからないけれど、そんな希少な精霊魔法を授けてくださった女神には感謝しかない。

 シルフがくるりと宙で一回転した。


「ともかく、これからはボクがそばにいるから、なにかあったら精霊魔法でいつでも呼んでよ。じゃあ、ボクはいったん女神様のところに戻って、きみが無事に前世の記憶を思いだせたことをご報告してくるね!」


 シルフは呼び止める間もなく姿を消してしまった。

 こうしていても始まらない――と、セシリーナは自分の状況を整理するべく部屋の窓辺に寄って窓を思いっきり開け放ってみる。途端、視界いっぱいに澄み渡るような青い空と、眼下に広がる美しく手入れされた生垣のある中庭が広がった。


「わあ、綺麗……!」


 そのとき突然、窓の下からこちらを呼ぶ男性の声が響き渡った。


「おおい、セシリーナ! 久しぶりに帰ってきたんだけど、元気にしていたか?」


 急に声をかけられて驚いて窓の下を見下ろすと、そこには太陽の光を照り返す短く切りそろえた金髪に、ルビーのように深い赤色の切れ長の瞳、そして鍛えられたしなやかな体躯をした男性が手を振っていた。はっと息を呑むほどの端正な顔立ちの青年だ。整った顔立ちからは意外なほど可愛らしく見える笑みを浮かべている。

 セシリーナは出窓に片手を添えると、青年に応えて手を振り返した。


「アベル! 久しぶりですね、里帰りですか?」


 彼の名前はアベルハルト・ローレンス。二十五歳で自分よりも二つ年上だったはずだ。彼は自分の幼馴染で、この世界でたった一本しか存在しないと云われる魔を祓う剣――聖剣と呼ばれる宝剣を授かることができる聖騎士という職に就いている。


 聖騎士とは彼の生家であるローレンス家に生まれた人間の血筋だけが務められるもので、代々この世界にはびこり人間の命を脅かす魔獣を浄化する力を持つという聖剣を受け継ぐ選ばれた騎士のことだ。魔獣というのは、獣が邪悪な気――瘴気に充てられて狂暴に異形化したもの。人びとに襲いかかって食料を奪ったり、人の生命力を吸い取ったりする人類の天敵ともいえる存在のことだ。

 魔獣たちを束ねるのは、人びとから竜王と称される魔獣たちの王だ。竜王はセシリーナたちの住む中央大陸を統べる王国の隣国にあたる最北端にある島国に居城を持ち、魔獣たちに指示をして人びとの食料や生命力を奪うことで存在している人間たちの宿敵のことだった。


 聖騎士の家系はこの世界で唯一、竜王と互角に戦うことができる英雄の一族なのだ。竜王が魔獣たちの軍勢を率いてこの中央大陸に襲い来るたびにその脅威を退ける役目を担っていた。竜王は不死ででもあるのか、代々の聖騎士たちによって何度も退けられてきたけれど数年するとけろっと復活してまた人びとに襲いかかってくるのだ。

 ローレンス家の生まれであるアベルも聖騎士だった。そしてそれを裏付けるように人一倍端正な顔立ちをした美男子なのだ。

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