第21話 帝国の諜報員
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ゾルマリス帝国軍、補給艦。艦橋。
ノーネームを中心とする、フォーラ王国軍の艦隊を眺めながら、帝国の参謀が口を開く。
「……タダでさえ厄介なのに、あんなにデカいオモチャを、新米のガキに与えるのはやめてほしいんだが」
彼の名前は『カイネス・グロゥラム』。
軍人と言うよりは、学者のような雰囲気を持つ青年である。
細身の体つきや、眼鏡を装着していることからも、余計にその印象が強まってみえた。
カイネスは、帝国でも指折りの参謀であり、軍内部でも天才と称されている。
そんな彼が現在、なぜ補給艦にいるのかと言うと、艦隊戦を遠距離から観察するためであった。
射程外から容赦なく攻撃してくるヘィスンも、さすがに補給艦の攻撃優先順位は低い。
この状況下では、だいぶ安全な場所だ。
戦場を俯瞰的に捉える事に長けた、カイネスならではの発想。
補給艦が旗艦だと、気付ける者など皆無だろう。
同乗している補給艦の艦母は、彼の言葉に便乗して会話を始めた。
「蒼空の天師『セラ・エスクーナ』は、まだ幼い学生だそうですね。
急に戦場に出されて、上手く立ち回れるのでしょうか」
ゾルマリス帝国はフォーラ王国に対して、技術力では劣るものの、優秀な人材には恵まれている。
とくに諜報と工作に関しては高度に行われており、敵国の情報は筒抜けに近い状態で入手できた。
もちろん、セラも同様に調査対象になっている。
「どうせ、有能な副艦母がついてるだろうよ。
ロイヤルスカーレットが不在って時点で、お察しだがな」
当日まで伏せられていたクレンの同行を、軽く看破するカイネス。
艦母も同じ事を考えていたようで、深く頷く。
彼女は本来、大型艦クラスを受け持つ艦母であり、補給艦に配置されるような下っ端ではない。
ゆえに、有能であり、聡明だ。
「今回の出撃は、蒼空の天師の能力を分析するのが、目的でしたね。
前に我々の艦隊を撃退したのはソリッドスケールでしたが、参謀殿はその艦母ではなく、同席していた天師の仕業だとお考えですか?」
艦母の問いに、カイネスは即答する。
「無論。
もし、ソリッドスケールの艦母『テーザ・ソラリス』の力なら、もっと早くに使っているよ。
彼女は何年も前から、戦場に出ているしな。
それにさ。あんな広範囲の索敵ができる能力があるのに、こちらの艦隊に囲まれるまで未対応なのは変だろ?」
「……確かに。
知っていたのなら、我々の包囲前に簡単に逃げることができましたね」
彼女は納得したようだ。
「たぶん、ソリッドスケールのシステムに介入したのは、包囲された後だろうな。
それが天師と制霊、どちらの特殊能力なのかはわからないけどさ」
すでに彼は、セラとその制霊だけにしか、興味がなかった。
「なるほど。
天師がソリッドスケールの制霊に、何らかの強化を施したのかもしれませんね。
謎の力の正体がわかれば、少しは対策も打てるのでしょうけど、現状ではあれこれ予想するしかないのが、もどかしいものです」
艦母はうなだれた。
ヘィスンについては、フォーラ王国内でも、知る者が相当に限られる。
帝国がいくら手を尽くしても、得られる情報はわずかであった。
「――だな。
諜報員による敵内部からの情報だが、まだ有力なものが出なくてさ。
もしかしたら、奴らも能力の詳細を、把握してなかったりするんじゃないか?」
カイネス本人も、ヤケクソに放った言葉。
あながち的外れでもなかった。
「自分たちの事なのに、ですか?」
怪訝そうに聞く艦母。
「蒼空の天師は、代替わりしているだろ。
その特殊な力が継承されるものだとしたら、英雄の娘が自分の力を深く理解していない可能性があるかもな。
……あるいは、まったく別の理由から、知りあぐねているのか」
「別の理由?」
さらに深く推察するカイネスに、彼女は興味を示す。
「驚異的な力の所在が、本人とは別にある場合だよ。
そうだな。具体的な例で言えば、制霊が特殊だったり。そんな感じさ」
ほぼ正確なカイネスの推論。
しかし、艦母にとっては理解しがたいようだ。
彼女は、そのような制霊を見たことも聞いたこともなく、想像すらできなかった。
「天師セラの制霊は、白翼のはず。
それは確認されている事です」
すでに報告されている事実とも、矛盾している。
「どうだかねぇ。
まぁ、いろいろ考えても仕方がない。
そちらの真相は、諜報員に任せておこうじゃないの」
カイネスは、当てずっぽうな意見に食いつく艦母を煩わしく感じたのか、話題を終了させる。
丁度よく会話が途切れた頃。
艦橋に兵士が入ってきた。
その者は、手に鳥カゴを持っている。
「来たか」
待ちわびたプレゼントが届いた時のように、カイネスは嬉しそうな表情をした。
カゴの中には青い鳥がおり、足にカプセルが取り付けられている。
彼は丁寧にそのカプセルを取り出すと、中身を開いた。
――取り出した物は、丸めた手紙だ。
カイネスは紙をじっと見つめ、文章を読む。
それから彼の動作が一瞬止まり……。
途端に、笑いが込み上げ、高らかに笑った。
滅多に見られない光景に、艦橋にいたクルー全員が注目する。
「……何が書いてあったんですか?」
艦母が、恐る恐る聞く。
彼は楽しげに答えた。
「制霊だよ!制霊のほうだったよ!
まいったね。奴ら、規格外の制霊を持ってやがった」
カイネスの手に握られた手紙の内容を耳にした艦母は、驚きに目を見開いた。
「規格外とは、蒼空の天師の制霊が、ですか?」
彼女の声には、疑念と困惑が入り混じっていた。
これまでに得ていた情報とは、大きく異なる。
「その通り」
カイネスは頷いた。
どうやら、彼にとっては期待以上の情報だったらしい。
「ただの白翼制霊では、なかったんですね。
どのような特別の能力が、備わっていたのでしょう?」
艦母の問いに、カイネスは肩をすくめる。
「白翼のほうはダミーさ。
本命は七色の粒翼を持つ、バケモノらしいな」
「……七色。まさか、そんな!」
艦母の顔がこわばった。
七色の粒翼──そんなものは、これまでの戦場で、一度も確認されていない。
白翼よりも高度な制霊は存在するが、それですら銀翼どまりのはずだ。
七色など、聞いたこともない。
「信じられないよな。えらい隠し球があったもんだ」
カイネスは、ニヤリと笑う。
だが、彼の口調は軽くとも、視線の奥には冷徹な計算が見え隠れしていた。
「しかも、超長射程や演算力だけが売りじゃないんだ。
その制霊は、自立行動しやがる」
「自立行動……」
艦母は、息を呑む。
制霊はあくまで、艦母の補佐をする存在であり、単独で行動するなど考えられなかった。
少なくとも、これまでに見てきた制霊は、そういうものだったはずだ。
「自分で考え、勝手に動くってことだろうよ。
主が指示する前にな」
カイネスは、紙を指先で軽く弾く。
そこに書かれた情報が、彼の興奮をさらに高めているのは明らかだった。
「これは、恐ろしいことだぞ。
艦母の命令を通さず、射程に入った敵は皆殺しにされるわけだ。
先代の蒼空の天師が、イカれた戦績を残していたのも納得したね」
彼の言葉に、艦母は、背筋が寒くなるのを感じた。
戦場において、制霊の判断が艦母の命令を超えるということは、戦術の枠を超えた未知の脅威を意味する。
もしそれが事実なら、もはや人が生み出す戦術や兵器の優位性など関係ない。
天師とその制霊が、戦場の支配者となる。
「笑い事じゃないですよ……」
彼女の呟きは、ひどく重かった。
だが、その隣でカイネスは、なおも愉快そうに笑っていた。
――――――。
――――。
――。
フォーラ王国軍。ノーネーム艦橋。
ノーネームの艦橋内に、緊張感が漂っていた。
エマトゥラは、警備兵に囲まれたまま、輪の中心で立っている。
しかし、その表情に焦りや恐れはなかった。
むしろ、静かに周囲を観察しながら、何かを考えているように見えた。
その様子を見つめながら、クレンが口を開く。
「なぜ、こうなっているのか。おわかりですね?」
言葉遣いこそ丁寧だったが、その声には威圧感があった。
柔らかな口調の裏に、絶対に逃がさないという決意が滲んでいる。
クレンの瞳が、鋭くエマトゥラを見据えた。
しかし……。
「さぁね」
エマトゥラは軽く笑い、両手を広げた。
まるで、この状況が想定されていたかのような態度だ。
詰め寄られても表情ひとつ変えず、彼女は何かの機会をうかがっているようだった。
艦母席のセラは、何が起きているのかもわからず、ただ静かに状況を見守るしかなかった。
他の艦橋要員も同様に、息を呑んで成り行きを見守っている。
そんな中、クレンが冷ややかに問いかける。
「あなたの、可愛らしいペットはどうなさったのかしら?」
不意に話題を変えられ、エマトゥラは一瞬まばたきをした。
しかし、すぐに表情を整え、何事もないかのように返す。
「何のこと? 知らないわ」
とぼけた調子だった。
だが、クレンは揺るがない。
その態度に惑わされることなく、鋭く切り込んだ。
「――青い鳥のことです。
エマトゥラさんが帝国のスパイだという証拠は、すでに掴んでいますよ。
鳥を使って、味方に情報を流したはずです」
艦橋内の空気が、一気に張り詰めた。
クルーたちの間に動揺が広がる。
エマトゥラがスパイ――。
それは衝撃的な事実だった。
しかし、彼女本人は、まるで動じていなかった。
「鳥が逃げただけなのに。そんなものが、私がスパイだという証拠になんかなるものか」
平然と否定する。
だが、その言葉を聞いたクレンは、ゆっくりと首を横に振った。
「証拠は別にあるのです。鳥ではありません。
あなたは、我が軍内にいる帝国諜報員に対して、秘匿回線を使って連絡をとろうとしましたね?」
その瞬間、エマトゥラの表情から、ほんの僅かに余裕が消えた。
すぐに何かを言い返そうとしたが、言葉が出てこない。
「…………」
沈黙が、そのまま答えになっていた。
クレンは、そんな彼女を静かに見つめたまま、さらに言葉を続ける。
「情報漏洩は、ヘィスンがすべてブロックしたはず。
通信による情報伝達が失敗したから、慌てて鳥を使う方式に変えたのでしょう?
ちなみに、あなたの通信内容は確認させてもらったし、お仲間も捕らえました」
その言葉が、決定的なものだった。
艦橋内の全員が、エマトゥラの反応を見つめる。
――彼女は、口を閉ざしたまま、目を細めた。
その沈黙は、何かの前触れのようだった。
まるで獣が飛びかかる直前の、一瞬の静寂。
スッ――。
空気が揺れた。
エマトゥラの足元が、僅かに沈み――次の瞬間、爆発的な動きで跳び出した。
「――!」
警備兵の一人が反応するも、彼女の動きに追いつける者はいなかった。
最も近くにいた兵士の腕を掴み、流れるように回転しながら背後へ回る。
そのまま、肘を打ち込み、顎を突き上げた。
「止めろ! 逃がすな!」
よろめきながら、他の警備兵が周囲に叫ぶ。
しかし、エマトゥラは止まらない。
警備兵が組み付こうとするが、彼女は一切の無駄なく体を捻り、まるで舞うように敵をいなしていく。
その動きは、単なる逃走ではない。
戦闘技術を極めた者の動き。
迷いがなく、躊躇もない。
瞬く間に彼女は艦橋の出口へ向かう。
突破される――誰もが思った瞬間。
成功しかけたそれは、セラの一声で状況が変わった。
「レイリーさん!」
彼女の鋭い声が響く。
同時に、素早い影がエマトゥラの前に立ちはだかった。
レイリーである。
彼女はセラの護衛ではあるが通常、艦橋には立ち入らない。
それでも、何かあればすぐ駆けつけられるように、すぐ近くで待機している。
本来ならば、室内への外敵の侵入を阻止するのが役目である。
にもかかわらず、セラの助けを呼ぶ声は、艦橋内から聞こえた。
それは間違いなく一大事だと、察することができた。
艦橋に入ってすぐ、レイリーとエマトゥラは対峙した。
エマトゥラは目の前にいる相手に、ただならぬ気配を覚える。
ふわりと舞う髪、優雅で流れるような身のこなしとは真逆に、全身から漂う揺るぎない気迫。
油断すればやられる、そう一瞬で悟った。
「申し訳ありませんが、行かせませんよ」
レイリーが微笑みながら、静かに構える。
彼女の瞳は、物腰の柔らかさとは裏腹に、敵を正確に捉えていた。
エマトゥラは一瞬、警戒の色を見せる。
が、そのまま一気に踏み込んだ。
まずは、低い姿勢から鋭い突きを繰り出す。
レイリーは最小限の動きでそれをいなし、体を捻って死角に回り込む。
しかし、エマトゥラも即座に反応し、力強い蹴りを放った。
場に、乾いた音が響く。
レイリーは次に、一歩引いて回避したが、エマトゥラはその動きを読み、矢継ぎ早に仕掛けた。
さらに彼女は、体を翻しながら肘打ちも繰り出す。
「――なかなか、お強いように思います」
レイリーは微笑みながら、エマトゥラの腕を払う。
そして、掌底を繰り出し、相手の重心を崩した。
「くっ……!」
エマトゥラはすかさず態勢を立て直し、連撃を繰り出す。
そのどれもが的確で鋭い。
だが、レイリーはそれら全てを受け流し、隙を伺っていた。
「そろそろ、終わりにいたしましょう」
その言葉と同時に、レイリーの動きが変わる。
一瞬の隙――そこに彼女の手が絡みつく。
「しまっ……」
気づいたときには遅かった。
レイリーの四肢が、エマトゥラの体を拘束する。
そのまま流れるように体を捻り、完全に動きを封じてしまった。
関節が締め上げられ、自由が奪われる。
エマトゥラは即座に反撃しようとするが、もう身体は動かない。
完璧な関節技だった。
まるで、蜘蛛の巣に囚われた獲物のように、動けば動くほど締め付けが増す。
レイリーが床に押し倒し、完全に捕縛した。
最後の抵抗として足を振り上げようとするが、レイリーの膝がそれを抑え込む。
「おとなしくしてください」
彼女の声は穏やかだったが、そこには一切の隙がなかった。
エマトゥラは息遣いを荒くし、悔しそうな顔をする。
今度こそ、本当に逃げ場がなくなったのだ。
床に這いつくばり、ロープで縛られる彼女を見ながら、セラは言う。
「……なぜ、こんなことを」
とても悲しそうだ。
エマトゥラは上目で見上げ、口を開いた。
「戦争なんて、こんなものよ。
後腐れなく、あたしを処刑しなさい……」
セラは返答しなかった。
かわりにクレンが割って入る。
「こんな若い子に、何言ってるの。
敵味方なんて関係ない、あなたは大人として失格よ」
怒ったような感じで、口調もそのままに抗議した。
セラに対する接し方が、気に入らなかったのだろう。
「……王女様、あんた。素はそんな感じなんだね。気に入ったよ」
そう言い残し、エマトゥラは不適な笑みをたたえながら連行されていく。
艦橋のクルーは、その様子を呆然としながら見送った。
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