#27

 土曜日の朝、玄関のチャイムが鳴り、私は少し急ぎ足で応じた。昨夜はなかなか寝付けなくて、今朝も少し寝坊してしまった。夏澄と一緒に過ごすのだからと、身だしなみを整えるのに時間をかけすぎてしまい、あっという間に夏澄の来る時間になっていた。

 階段を降りて玄関のドアを開けると、そこにはふわりと柔らかな雰囲気をまとった夏澄が立っている。


「おはよう、彩奈」


 微笑む彼女の声は、いつもながら優しく穏やかだ。

 今日は夏澄を迎え入れるために、私も少し気合いを入れてコーディネートを考えた。白とネイビーのストライプが夏っぽいブラウスに、ボトムスはグレーのチェックパンツで大人っぽくまとめた。夏澄とお揃いのアンクレットもしているし、髪も普段より高い位置で結わえている。

 一方、夏澄は白から淡いラベンダー色へと変化するグラデーションが美しい花柄のワンピースを着ていた。紫がかったピンクのミュールやお揃いのアンクレット、それからミントグリーンの小ぶりなトランクがあいまって、なんだか避暑に来たお嬢様というか、プリンセスって感じだ。


「いらっしゃい。外、ちょっと暑かったでしょ?」


 いつもの日傘をたたみ、座って靴を脱ぎ終えた夏澄に手を差し出す。


「うん、でも彩奈の家が近いから平気。……それにしても、彩奈、今日の服、いつもより大人っぽいね。お化粧もよく似合ってる」


 彼女が目を輝かせて褒めてくれるものだから、ちょっと照れくさい。でも時間をかけた甲斐があった。


「夏澄だって可愛いよ。そのワンピースって新しいやつ?」

「うん。前に彩奈が褒めてくれたコーラルピンクのブラウスと同じお店で買ったの」


 そんなことまで覚えていたのかと思うと、胸が少し温かくなる。いつも気を使わせてばかりの彼女に、今日は何か返せるといい。


「とりあえず、冷たい飲み物でも用意するから、部屋で待ってて」


 二人の過ごす一日はこれから始まる。試験対策も料理教室も、もちろん大事だけど、何より大切なのは、こうして一緒にいる時間なのかもしれない。キッチンで二人分の麦茶と個包装のお菓子をいくつかお皿に入れてお盆に載せる。


「あ、お姉ちゃんおはよう」


 お盆を持って二階へ行こうとする私に弟が声をかけてきた。


「裕貴もおはよう。お姉ちゃんの部屋に今日と明日、夏澄がいるからやたらに入ってきちゃダメだよ」

「大丈夫だよ。お父さんとお母さんと出かけるし、夕飯まで済ませて帰ってくるから」


 弟の返事を聞きながら階段を上がり、部屋に入ると夏澄が私の机に置かれた小瓶を片手に振り返った。


「これって、私がクリスマスに贈ったやつだよね?」


 彼女が手に取ったのは、アイリスの香りの香水の瓶。優しい色合いのパッケージは、そのときの贈り物の記憶を鮮明に呼び起こした。


「そうだよ。去年のクリスマスにくれたやつ」


 夏澄は少し不安げな顔で瓶を眺めながら尋ねた。


「でも、ほとんど使ってないみたい……あんまり好みじゃなかった?」


 その表情があまりにも申し訳なさそうで、私は思わずクスッと笑ってしまった。


「違うよ。これ、二本目なんだ。気に入ってるから結構使ってるよ」

「えっ、二本目!?」


 夏澄は驚いた顔で私を見た後、ふわりと笑顔を浮かべた。


「良かったぁ……。この優しいけど大人っぽい香り、彩奈にすごく似合うと思ったんだぁ」


 彼女の言葉に、胸が少し温かくなる。

 夏澄がこの香水を選んでくれたときのことを思い出す。あのときも、これが彩奈に似合うはず、と何度も真剣に悩みながら選んでくれたのを聞いて、私は嬉しかった。そんな彼女の思いが詰まった香りを身につけることで、自分が少しだけ特別な存在になれる気がしていた。


「夏澄、気づいてなかった? ならもうちょっと付けてもいいのかな?」

「ひょっとしたらもう慣れちゃったのかも。この香りが彩奈の香りだって」


 開けた蓋をきちんと閉め直し、小瓶を机の上に戻しながら夏澄がはにかむ。


「ありがとう、夏澄。これからも大事に使うね」


 そう伝えると、夏澄はさらに柔らかい笑顔を浮かべて、


「うん、いっぱい使ってくれると嬉しいな」


 と言った。その笑顔が、私には何よりも贈り物のように感じられた。昨日感じたもやもやが、夏澄の笑顔でほどけて気持ちが温かくなる。だが次の瞬間、一転して私の背筋が凍り付く出来事が起きた。


「じゃあ、あれはなに?」


 夏澄が指さした先にあったのはベッドの足元に転がった電動マッサージ機。川添環の話を聞いて寝付けなかった私が昨夜使ったセルフプレジャーグッズ……ほったらかしにしていたことを完全に忘れていた。ど、どうしよう。

 夏澄が問いかける声はすごく無邪気で、きっとあれを使って私がしていることなんて、夏澄は全く知らないのだろう。


「あ、あれはその……マッサージ機だよ。ほら、あの丸っこい部分を、そう肩とかに当てるの。私、その肩凝るからさ。あ、あと足にも使えるんだよ」


 しどろもどろになりながらも伝えると、夏澄はなぜか二度三度深く頷いていた。


「やっぱり肩凝るんだね。ねぇ、私もちょっと使ってみたい」


 ……ど、どうしよう。私のデリケートな部分に触れたあれを夏澄が? やましい妄想が脳裏をよぎる。むしろ夏澄に押し当てられたい……とかじゃなくて、どうにかして回避しないと。


「あ、それってほら、一応は医療器具なわけで、説明書とかちゃんと読まないとかえって危ないというか、痛くなっちゃうから。それに、夏澄が使うくらいなら、私が肩とか揉むから。私がマッサージとかストレッチに詳しいの、夏澄なら知ってるでしょ?」

「それもそっか。じゃあ、取り敢えず勉強始めようか。それでもし疲れたらお願いしてもいい?」

「もちろん。さーて、じゃあどの教科から始めようか」


 なんとか話題を逸らすことに成功した私はそそくさと電マを片付け、テキスト類を取り出した。……どうしよう、勉強に集中できる自信が全くないや。

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