#23

 昼休み、いつものみたいに夏澄と向かい合ってお弁当を広げる。よく見ると、玉子焼きの端っこが少し焦げている。きっとお母さんじゃなくて、自分で作ったものなんだろう。


「ねえ、夏澄」


 そう声をかけると、彼女はふっと顔を上げて微笑んだ。でもその笑顔は、どこか無理をしているように見えた。


「どうしたの? 彩奈」

「ううん、なんでもないけど……その、お弁当、大貴が食べるって言ってくれたんだよね?」

「うん、球技大会の日に、ね」


 彼女はそう答えながら、またお弁当に視線を落とした。


「ねえ彩奈、聞いてくれる?」


 そう言うと、夏澄は箸を置いて、じっと私を見つめた。私は彼女の話を促すようにうなずく。


「昨日ね、大貴が電話で謝ってくれたの」


 そこまでは知ってる、と言いそうになったけど、彼女の真剣な顔を見て、私は口を閉じた。夏澄は話を続ける。


「最初はちょっと怒ってたんだけど、『お前ってもっとできるはずだから、次は俺を見返すくらい頑張れよな』って言ってくれてさ……! なんか、そうやって期待してくれるのが嬉しいっていうか。私のこと、ちゃんと見てくれてるんだなって思えて……」


 嬉しそうに微笑む夏澄を見て、私は言葉を失った。なんで内海が怒るの? それに……俺を見返すくらい頑張れって、なにそれ、何様のつもりよ。


「でね、最後に『怪我するくらいなら別に無理して作らなくてもいいけど、作るならちゃんとうまいの作れよ』って言ってくれたの。なんか、私のこと気にしてくれてるのかなって思って……」


 彼女の声はどこか浮き立っていて、まるで幸せな惚気話をしているかのようだった。でも私には、その言葉一つ一つが、鋭い棘のように聞こえる。

「……夏澄、それ、本気で嬉しかったの?」


 気づいたら、少し強い口調で問い返していた。夏澄は驚いたように目を見開いてから、困ったように笑う。


「だって、私のことちゃんと見てくれてるって思ったから……大貴、最初は怒ってたけど、最後は優しくしてくれたから……」


 その言葉に、私は思わず手に力が入った。怒って突き放しておいて、最後に少し優しくする。それだけで夏澄がここまで喜ぶなんて、内海はきっとそれを分かってやってるんだろう。いや、分かっていないにしても、無意識にやってるのだとしたら、もっとたちが悪い。

 私は深呼吸をして気持ちを落ち着けようとした。でも、胸の中に渦巻く怒りは消えない。


「夏澄、そういうの……どうなのかな。たまに優しくされるだけで、本当にそれでいいの?」


 なんとか平静を装いながら、私は言葉を絞り出す。

 夏澄は少し驚いた顔をしたけれど、すぐに困ったように笑った。


「でも、私、あんまり男子と話したことないから……大貴が優しくしてくれるだけで、十分だよ」


 彼女の言葉が胸に突き刺さる。優しくされた経験が少ないから、その些細な優しさにすがってしまう――それが夏澄の本音だろう。でも、そんな薄っぺらい優しさに振り回される彼女を見ると、どうしようもない苛立ちが湧いてくる。だってその「優しさ」は夏澄を救うものじゃない。ただ、彼女の心を掴んで離さないための、きらきらした鎖だ。それに気づかない夏澄が、どうしようもなく愛おしくて、どうしようもなく悲しかった。

 私は握った拳をそっと緩めて、できるだけ優しく言った。


「夏澄がそう思うなら、それでいいのかもしれないけど……でも、私は夏澄にはもっと大事にしてくれる人がいるべきだと思うよ」

「大事に、かぁ」


 再びお弁当を食べ始めた夏澄に、私はこれ以上この話題を続けることを諦め、わずかに残ったもやもやした空気を払うように、今朝思いついた話題を口に出した。


「今度の週末、うちに泊まりに来ない? 試験勉強と、料理の勉強も兼ねて」


 夏澄の目がぱっと大きくなった。


「えっ、彩奈の家に?」


 その反応に、私は笑ってうなずいた。


「そう。お互い試験勉強もやらなきゃだし、お料理だって一緒にやった方が楽しいでしょ?」

「……うん、たしかにそうかも」


 夏澄は考えるように少しだけ視線を下げ、それからぽつりと続けた。


「じゃあ……お言葉に甘えちゃおうかな。彩奈と一緒なら楽しいし、試験勉強も捗りそうだし」


 その表情を見て、私の胸の奥が少しだけ軽くなる。


「よし、決まり! 私、夏澄のためにいっぱいごちそう作るから、夏澄も手伝いながらいっぱい覚えていってよね」


 そう言いながらも、本当は内海のためなんかじゃなくて、夏澄自身が楽しんで料理できるようになればいいと思っている。内海のことなんて一度忘れて、私と一緒に笑顔でいられる時間を増やしたい。そう願いながら、私は軽く彼女の肩を叩いた。

 昼休みの教室に響く二人の笑い声が、少しだけ心地よく感じられた。

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