#13
日曜の午前から降り出した雨は今朝になっても、しとしとと降り続いていた。
ビニール傘を差して歩いていると、ミントグリーンの傘を差した夏澄の姿が見えてきた。日傘はどうしてもモノクロになってしまうけど、雨傘は好きな色のものを使いたいと、二年前の誕生日に私が贈ったものだ。
私の贈った傘を夏澄が使ってくれる。大事にするねと言ってくれたあの時の表情。それだけのことで少し雨の日が好きになれた。
「ドラマ、面白かった?」
「うん。ドキドキだったよ。でも、大貴ったら途中で寝落ちしちゃったみたいで……。サッカーで疲れてるから、しょうがないよね……」
彼女の声はどこか擁護するようで、それでも少しだけ寂しげに聞こえた。けれど、雨傘の影と雨音にその真意を隠されてしまう。日傘のときのように彼女の顔がはっきりと見えるわけでもないし、声もはっきりと届いてこない。
やっぱり、晴れている日の方がいいかな。二人で傘を差して並んでいるこの少しの距離がじれったい。
「あ、水たまり気を付けて」
交通量が増えてくると、私が車道寄りを歩く。とりとめのない会話をしながら歩いていると、ほどなくして校門が見えてくる。アスファルト舗装のされていない学校の敷地内は誰かが歩くたびにびしゃびしゃと水が跳ねる。
ローファーの汚れに萎えつつ、昇降口で傘を閉じる。水気を払って傘立てに差し込む。
靴を履き替えていると、視界の隅に内海の姿が見えた。同じクラスの男女数人で固まって、もう階段に向かうところみたいだった。こちらに気づくことはない。何か大きな声で話しているけれど、ほかの人の声もあって内容までは聞き取れない。
内海の容姿は確かにいい部類だと思う。夏澄と並んで美男美女であることは否定しない。けれど、どこか浮ついているというか軽薄さが滲み出ていて、私はそれが気に入らない。さっきだって、声や身振り手振りの大きさが、まるで自分を大きく見せたいかのように思えてならなかった。
夏澄の相手には容姿だけでなく、知性や人間性だって大事だ。無垢で繊細な夏澄がそのままでいられるような、夏澄とのバランスが取れている相手でないと。
「彩奈? どうかした?」
「あ、ううん。なんでも……夏澄、後ろの髪が跳ねてるよ」
傘の水気を丁寧に落としていた夏澄は、内海の姿に気付かなかったみたい。私は廊下の柱に取り付けられた鏡の前に夏澄を立たせ、ポケットから出したコームで夏澄の髪を梳かす。
「ありがとう彩奈」
「いいのいいの」
夏澄の黒々とした髪に触れ櫛を通すと、ほっそりとしたうなじがちらりと覗く。新雪のように白い首筋にほっそりとした肩幅、ほのかに香る甘い匂い……。触れたい。でも、夏澄を困らせてしまうかもしれない、自分を、抑えきれないかもしれない。なのに……。
「あや、な?」
我慢できなかった。後ろからそっと抱きしめる。どうしても、どうしても夏澄に触れたくて仕方なかった。鏡は見ない。見たくない。夏澄がどんな表情をしているのか、確認するのが怖い。それにここは廊下、今だってきっと誰かに見られている。
「ごめん、ちょっと……冷えちゃって」
その言葉は、自分でも苦しくなるほど拙い言い訳だった。それでも、夏澄にこの気持ちが伝わってしまうよりはいい。
「そっか。ふふ、彩奈が甘えてくるなんて珍しいね」
夏澄の体温でささくれていた心が落ち着く。夏澄と二人、海の底でひっそりと過ごせたらよかったのに。
「ほんとごめんね、教室……行こうか」
抱擁を解き、そそくさと後ずさる。
「いいのいいの。私の方が半年お姉さんなんだから」
気まずくて目を合わせられない私に、夏澄が優しい声で呟く。
夏休みに入ってすぐに夏澄は誕生日を迎える。プレゼントのことはずっと前から考えている。ただ、今年は内海と過ごすんじゃないかと思うと、胸が張り裂けそうになる。
「じゃあ、連れてって」
差し出した手を夏澄は疑うこともなく取ってくれる。たまには、夏澄に手を引いてもらうのもいいな。温もりを感じながら、私たちは教室へと向かう。窓ガラスに映る私の頬に、雨粒がそっと落ちていった。
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