クロスライト探偵事務所

ただいマンモス一世

第1話 オルダーナ(前)

「……申し訳ありませんが、そのような依頼は当事務所では——」

「わかりました。お受けしましょう」

 

 その言葉に、暗かった女の顔はぱっと明るくなる。

 

「では、この契約書にサインを」

 

 青年はデスクの抽斗から契約書を取り出し、何かを書いてからペンを添えて女に差し出す。それを受け取ったいかにも金持ちらしい女は、小さい鞄から出した万年筆でいそいそとサインをし始めた。

 

「……は?」


* * *


 月夜の晩に映えるロングの紺色の髪と瞳。少々独特なファッションセンスを持っている背の高い女が、深夜の暗い街道を、古びたランタンを持った青年と歩いていた。彼女の名前は、アナスタシアという。


「帰らせろ」

「駄目ですよ、まだ着いてすらいないのに」


 周りを見渡しても住宅よりも木が多く、北にはご立派な満月が出ている。月明かりが横の男——この生意気な私の助手、シュロの深緑の髪にほんのりと当たっていた。

 それにしてもおかしい。一度冷静になって振り返れば、さらに苛立ってくる。

 

「だいたいなんだ、猫探しの依頼って! 私達の事務所は何でも屋じゃないぞ!」

 

 こちらを心配するというよりも、駄々をこねる子供を見るような冷めた目で見上げてくる助手に対して、山のように溜まっていた不満が口をついた。


 クロスライト探偵事務所。アナスタシアが所長、シュロが副所長を務める事務所である。この探偵事務所の特徴として、所謂『オカルト』と呼ばれるような依頼を募集していることだ。逆に言えば、そうでない普通の依頼——探偵の仕事といえば、浮気調査だかペット探しなどという依頼は受けない、はずなのだが。

 アナスタシアがご立腹な理由はそこにあった。詳細を聞いても普通の猫探しとしか思えない依頼を、あろうことか助手が受けるなどと言い出したからだ。さらに日頃の運動不足が祟り、ここまでになんと2回も何もないところで転けたのだ。その証拠に、彼女の着ている薄茶色のコートには色ムラがあった。

 

「しかし、この依頼からは不思議な雰囲気を感じました……僕の勘が言ってるんです、これはきっとなにかがありますよ。アレに関係があるかもしれません」

「お前の勘は……」


 そこまで言いかけて言葉に詰まる。すると、それを見越していたかのように月明かりでハイライトされたムカつくほど生真面目な瞳が、下から覗き込んできた。

 

「外れたことあります?」

「……ない、が」


 シュロの勘は、少なくとも完全に外れたことがない。何かあると言えば大体予想外のことがある……もちろん、正確に当たることはそこまで多いわけではないが。しかし、無性に腹が立つ。その理由には、こんな依頼を受けたことに対する怒りよりも、その経緯に対する不満の方が大きかった。

 露骨に納得していない不満げな態度を取る上司に、シュロの目は冷めた目から子供を見る生暖かい目に変わりつつあった。

 

「まあ、期待したものがなかったとしても……こういう地味な依頼を受けないとお金がなくなりますよ」

「そうだとしても、あまりに安く無いか? 金持ちそうだったが、依頼料は反比例してたぞ」


 依頼の時、差し出したペンを取らずにかなり高そうな自分の万年筆をわざわざ使っていた癪に触る金持ちさとは反対に、依頼料は一般市民以下。その値、6000コルク……あのペンを売り払えば、いくら安く買い叩かれようと4倍にはのぼる。

 

「まぁまぁ。僕の勘通りで何かがあれば、依頼人に追加料金をせびりましょう」

「いや……そうは言ってもな。無理じゃないか? そういうことは話を事前にしておかないと」


 アナスタシアの疑いの目に、シュロは少しムッとした顔を見せる。

 

「もう。結構長い付き合いなんだからちゃんと契約書くらい目を通しておいてください! ほら、ここに書いてある」

 

 そう言ってシュロはポケットに手を突っ込む。それを出すと、綺麗に折りたたまれている紙を広げて、アナスタシアに見せてみせた。

 アナスタシアは首を傾げる。見間違いでなければ今、服のポケットから出したような気がする。ポケット? ポケットに依頼書? シワがひとつもないので見間違いだろう、多分。

 1番下には、普段私が名前を書く欄に細く几帳面な字で『クロスライト探偵事務所、アナスタシア』と書かれている……私の名前を使って良いと許可を出した覚えはないが。その下には今回の依頼主の字だろう、独特な字でサインがなされている。

 そして肝心の内容は気が遠くなるような細かい字の羅列で、アナスタシアが読めたのは最初の一文と最後の一文だけだった。

 

「……ええと?」

「ここですよ、ここ。予期しない出来事によりこちら側が危険に晒された時、依頼人は追加料金を出す、って。書いてあるじゃないですか」


 すると助手は中あたりを指差した。確かに、場所で言えば23項にその旨の文章が書かれている。

 その他の文章は極めて特徴がないだけに、この分量の中に書かれていては、相当几帳面でもなければ気づくことすらなさそうだ。

 

 ……これ、誰も読まないよな。

 眉根を寄せて黙っていると、その疑問を読み取ったのだろう、助手は見かねたように口を開いた。


「読んだ読んでないじゃないですよ。書いてあるんですから。ね、アナ」

 

 そう言って、生真面目そうな”雰囲気”の助手はにこ、と笑う。雰囲気がするだけで、決して真面目で誠実かと言われるとそんなことはないのがこの男だ。

 

「ほら、そろそろですよ。マリンマルク。確か件の猫、この街周辺にいるらしいですから」


 言われてみると、遠くに街灯が集まっているのが見える。住宅街らしきものがあるようだ。ふと下を見ると、街道もコンクリートになっていた。


「探すのは猫だろう。もうこの街にはいないかもしれないぞ?」

「そんな時は僕の勘がなんとかしますよ」


 多分、勘というのはそこまで便利なものではない。

 謎の自信ににこにことしているシュロを無視して、アナスタシアはため息をつきながら夜の街道を早歩きで抜けていった。

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