第28話 七夕天空合戦

 しばらくして青鹿が再び訪れた。元々、今年の七夕祭りには参加しないつもりでいたそうなので、実家に赴いて参加の旨を伝えてきたらしい。主要な面子が集まって、作戦っぽいものを考えたりもした。けれども海潮には狐狸貂猫の事情などはチンプンカンプンであっただろうし、雁ノ丞が居ない今、富沢家や風梨家の動向は不明瞭なので詳しい事は何も決められない。せいぜい姫を確保しているという事実に慢心してくれることを祈るばかりだ。


 ふと枝間から空を見上げると、朝の快晴が嘘のような曇天になっていた。


 青鹿と欅は、「濡れる前にお暇するよ」と言って、一先ずそれぞれの家に帰った。小生らも雨に降られぬうちに愛宕神社へ移動する次第になった。七夕祭りが行われる場所にはその神社から行くことになっている。


 広瀬河畔通りという本来の名前で呼ばれることが滅多にない、国道四号線から愛宕神社の参道に入る。新しいマンションの影となった、かつては岩肌に剥き出しだった階段を登っていく。二番目の鳥居をくぐると途端に木々が生い茂っている。しばらく整備されていない土の参道を通るので、かなり歩きにくかった。


一族総出の移動だったが、七、八匹で一人の人間に化けているので、先日のような仰々しい行列にはなっていない。やがて日本一大きいと評判の天狗像に見守られる中、大門を潜り抜けた。既に日暮れ間近であったので、要所々々がライトアップされている境内に人影はなかった。


 小生らは御祭神を祀る祭殿に詣でた後、脇に佇む勝鬨神社にも参拝する。戦いの神たる武甕槌神に必勝祈願をするのが、昔から続く七夕前の八木山家の習わしである。粗方の参拝が終わると、すかさず変化を解き、ほとんどが木の上や木陰に身を隠した。


 愛宕神社は広瀬川の川沿いにある小高い山の頂上にある。仙台の街側は切り立った崖になっており、草木も群生してはいるが古株を除いて景色を害するほどの高さはない。なので、ボチボチ夜景に成り代わろうかという景観は中々の景色だった。海潮は神社脇の見晴台に上がりベンチに腰を掛けた。そしてアレコレと考えた口説き文句をぶつくさと呟いては、表情と顔色を千変万化させている。やがて特殊なトレーニングをしているかのように体の動きもよく分からなくなっていき、小生はこそこそと笑っていた。


 特にやることもないので、小生は海潮と同じ見晴台から大年寺山に立つ電波塔をぼんやり眺めていた。住処の上にある、その電波塔は仙台人は仙台タワーと呼んでいる。今くらいの時分になると照明で派手に照らされ、その色合いによって明日の天気が分かるという優れものだ。


 タワーの色は、これでもかと言うほど雨の色だった。


「よし、出発だ」


 時間になると、誰に言うでもなく父が言った。


 念のために隠れていた親族たちが現れると、矢継ぎ早に御祭殿の軒下に入っていった。海潮と小生は必然的に殿になった。


 神社を正面に見て、一番左の柱の間が入り口である。


「ここに入るのか」


 基礎になっている柱は数は多いが、低く付いている。動物であれば難なく通れるだろうが、海潮は屈むどころか匍匐前進をしてようやく入れるくらいだろう。


「大丈夫だから、早く入れ」


 軒下の土埃や蜘蛛の巣に慣れていない海潮は、とことん躊躇していた。そして水に潜る訳でもないのに、何故か息を止めて這入って行った。


 入ってすぐ海潮は違和感を覚えた。暗すぎるのだ。時間帯や電灯の有無を差し置いても外の様子が分からなくなるほどまで真っ暗になるのはおかしい。水先案内を務める小生の姿だけが見えるのも妙だ――と思っている顔をしていた。


 人に化けた小生が立ち上がると、彼の違和感は更におかしいものとなった。小生は海潮も立たせようと手を差し出した。軒下であるなら人が立てるほどの余裕はない。しかし、ここは最早神社の軒下ではないので問題無い。


 海潮は立って土埃を払った。けれども疑念は払えなかったようである。


 小生は歩きながら、海潮に聞いた。


「海潮。仙台七夕のジンクスって知ってるか?」

「ジンクス?」

「そう。有名なのが一つあるだろう」

「ああ、仙台の七夕は必ず雨が降るって奴か」


 答えを聞いてニヤリと笑うのと、出口が見えるのはほとんど同時であった。


 古いがその分時代を感じさせ、どことなく厳かな雰囲気の戸がある。


「そうそれだ。その理由は単純明快、俺達こりてんみょうが雨を降らせるからなんだよ」

「雨を降らせる? 何のために?」


 戸に手を掛けた小生は、ちょっと乱暴にそれを開けた。


「決まってるだろ。下にいる人間に見られないようにするためさ。この―――仙台名物、狐狸貂猫の七夕天空合戦をね」


 戸を出てすぐに、海潮は幻想的な光景に目を奪われていた。


 月のない満天の星空の下、眼前には綿にも霞にも見える雲の原っぱが延々続いているように見えた。


 海潮の脳裏には子供の頃、いつかどこかの山頂で見た雲海の景色が浮かんだ。そして、あの上に乗ってみたいという幼稚な夢のことも思い出していた。


 ここは今、仙台を曇天に覆う雲の上。海潮の足は初めて雲を踏む感覚を味わった。


 戸を閉めると、通ってきた名もなき道は静かく消える。小生は、口を開けたままでいる海潮の背中を小突いた。


「すごい」

「思いの丈を告白するには、中々ロマンチックなところじゃないか?」

「そう、だな」


 海潮は息をのんだ。


 雲野原には四つの巨大な地車だんじりと御上座敷と呼ばれる御殿のような建物があった。


 地車には化獣四家それぞれの家紋があり、感覚広く順々に並んでいる。小生は地車の合間から見櫓を見た。通例であれば、あそこにこの七夕比べの審判を務める風梨家の面々が揃う。つまりは姫がいるはずの場所だ。


 八木山家の地車を囲う様に控えていた貂達をかき分けると、海潮を引き連れて後ろからこっそりと、忍び込むように乗り込んだ。後ろ側の物陰に隙間を作って海潮を座らせると、念のため布を被せた。


「さて、お前は見つかるとやばい立場なんだ。ちょっと隠れてろよ」

「見つかるとやばいって…大丈夫なのか?」

「ああ、コッソリとでも姫には会わせるさ」

「そうじゃない。お前やお前の家族に迷惑が」

「掛かるかもな。もし見つかればだけど」

「そんな」


 海潮は蒼白になった。言いたいことがあるのは勿論察したが、小生は彼を信じて聞いてみた。


「なら、辞めるかい?」

「…いや。辞めない」


 小生は頷いた。辞めると言われたとしても文句はないが、どうせなら玉砕覚悟の方がすっきりする。


「そうこなっくちゃな。俺が合図するまでここで待っててくれ」

「萩太郎」


 状況を整理しに駆け出そうとしたところで、呼び止められた。海潮は何か言いたげだったが、首を振ってそれを払拭する。


「いや、全部終わった後で言う」

「ああ。考えてみりゃ、ただ告白するだけだってのに苦労する奴だな」


 微かに笑うと海潮はまた頭を悩ませ出した。せいぜい気の利いた口説き文句を授かるよう期待する。

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