第26話 迷惑仙台萩
そして話がまとまると、小生は海潮に会いに走り出した。
茂ヶ崎の森を抜ける少し手前、小生は一羽の鳥に化け、北西を目指し飛び立った。青鹿の話では、海潮たちは予定通りに卒業旅行を終え、帰路に就く予定だったという。富沢家に囲まれていた時の疲れは羽ばたくほど、風に乗り吹き飛んでいった。ただ、西日がひたすらに眩しかった。
上空から見下ろす仙台の街は、今日から始まった七夕祭りに盛り上がりを見せていた。
仙台七夕祭りは山車が街道を練り歩いたり、伝統の踊りを踊って街中を闊歩するような事はしない。
良く言えば雅で華麗で壮大な七夕飾りを眺める祭りであり、悪く言えばただ単に大きいだけの笹竹だけを眺める祭りと言える。そして良かろうが悪かろうがどの道やることは、商店街や露店を冷やかすだけの祭りである。熱狂的、積極的とは極めて対照的なところにあるのが仙台七夕なのだ。
盛況なのはせいぜい、駅前からだらだらと続く商店街アーケードのみで、それ以外の場所では「言われてみれば七夕か」というような認識しかされない。昔はそれだけでよかったのかも知れないが、この目まぐるしく動く現代社会において言えば、地味で古い時代の産物と言われても致し方ない。事実、小生はこの仙台七夕祭りを面白いと思ったことは一度もない。
二度言うが、一度もない。しかし、それは飽くまで「人間の七夕祭り」が、という意味である。
山の方に目をやった。突き刺さるような夕日は晴れの兆しだ。きっと明日は快晴になったであろう――本来であれば。
明日は間違いなく雨が降る。「狐狸貂猫の七夕」には雨が必要不可欠なのだ。
子平町まであと少しだったが、流石に化け術が持たなかった。東北大学病院の敷地内に降りると、貂の姿に戻り、そのまま駆け出した。途中で行き交う人に驚かれたが構いはしなかった。
久しぶりという訳ではないのに、竜雲院前の通りはひどく懐かしく思えた。いつか感じたのと同じように、子平町には逢魔が時が訪れている。迂回する時間も惜しくなり、小生は竜雲院の墓地を突っ切った。
塀の奥に海潮の部屋の窓が見えた。なら窓から直接入ろうと、塀からベランダに飛び移った。
「海潮。いないのか?」
電気が付いていない事が疑問だったが、幸い網戸になっていたので小生は構わず上がり込んだ。
「萩太郎?」
「どわっ」
いきなり聞こえた声に驚き、のけ反った。部屋の隅には体育座りの海潮がいた。風が入ってきても、中の空気は淀んでいる。そして同じく淀んだような声を出してきた。
「良かった。無事だったんだな」
「何してんだ、電気も付けないで」
小生は慌てて部屋の灯りを付けた。ただ、海潮の顔色は明かりに照らされても変わらなかった。
「いや、ちょっと考え事を」
「事情は全部聞いたんだろう?」
「ああ。青鹿って猫から全部聞いたよ。それでな、お前が来たら言おうと思ってたんだ」
海潮は座り方を正した。小生は勝手に姫を思い花嫁奪還に横溢する海潮を想像していたので、嫌な予感がした。思えば帰りの車中で考え直し、姫の事を諦めていたとしても不思議はない。それなら今の落ち込み方も納得がいく。
小生は恐る恐る尋ねた。
「何だよ、改まって」
「お前の事だから、きっと無事でここに来ると思ったんだ。色々考えたんだけど、萩太郎に力を貸してもらわないと、もうどうにもできないと思って」
海潮は隣に置いていた一升瓶を小生の前に差し出した。それはいつか小生が、とても美味いと絶賛した酒だった。かなりの高級品で一献だけしか飲ませて貰えなかったのに文句を言った覚えがある。
小生の心にはふつふつと沸き起こる激情があった。けれども早とちりであってはいけないと、話の続きを聞いた。
「で? これは何だよ」
「その、せめてもの気持ちに渡そうかと」
「―――お前はっ!」
生まれて初めて言葉より先に手が出た。気が付けば、右手が海潮の胸ぐらを掴んでいた。
「俺が畜生だと思って、こんなもので釣ろうなんて魂胆だったのか」
「いや、そういうつもりじゃなくて」
「どんなつもりだろうと、こんなものを用意してるって時点でそうなんだよ。見返りが欲しくて、俺は走って来たんじゃねえ」
小生の腕は怒りと悲しさで震えていた。
「何でこんなもんを出しやがった。それが水臭いっていうんだ。何で、何で手ぶらで、助けてくれって頼んでくれないんだよ! 俺とお前だろうが!」
軽く開いただけの口からは、自分でも驚くほど大きな声が出た。
力任せに叫んだ分、静寂がうるさい程耳に響いた。
「悪かった。そうじゃないんだ」
部屋の中のしじまは、世界から切り取られたようにやたらと長く感じた。
やがて、海潮はどうすべきだったのか考え直して、素直にその通りにした。さっきまでの沈黙は仕切り直しでいい。
海潮は手を付いて頭を下げた。
「萩太郎、風梨さんに会いたいんだ。会って伝えたいことがある。力を貸してほしい」
「当たり前だ。馬鹿野郎」
恩返しのために来たのに、何故か小生が踏ん反り返ってしまった。
海潮は安堵のため息を出した。
「有難う。じゃあ、これは片づけるよ」
「いや、これは折角用意したんだから、おいて行けよ」
言うが早いか、小生は一升瓶を素早く抱きかかえた。元々、小生に渡すために用意したものであるから窃盗ではない。
「…この野郎」
小生らは笑い合った。そうだ。こうやって
笑い声が落ち着くと、海潮はしんみり言った。
「昔からさ、何ていうかエンジンが掛かるのが遅いんだよ。宿題とか課題とか、ギリギリにならないとやる気が起きなくてさ。親からはもっと早くやれって怒られて、直そうと思っても直せないままだ。この告白だって、何でもっと早くしなかったんだろうって思って、自分が情けなかったんだよ。誰にお膳立てしてもらってやっとなのかよってさ…」
「それは良い事を聞いた」
「え?」
弱気な事を言ったので喝でも入れられるかと思っていたのか、海潮はキョトンとした顔で聞き返してきた。
「何がだよ?」
「だったらお前は、今最高にやる気ってことだろ」
小生は悪戯に笑う。
そして、悪戯に笑い返して来る男の眼に、何かが宿ったのを見た様な気がしたのだった。
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