第14話 三羽鶏

 小生が風梨家の門をくぐった頃。


 欅と青タン三姉妹は穴蔵神社を出ると、御霊屋橋おたまやばしを渡らずにそのまま真っすぐ進んで愛宕神社の方へ向かった。愛宕神社近くの野草園と茂ケ崎の一角に現在の貂族の住処がある。


 広瀬川のせせらぎの音が響き、経ヶ峰公園の木々の木陰のお蔭で夏を忘れる涼しさであった…坂を上りきるまでは。


 坂の上のコンビニを過ぎると、雲の他に日光を遮るものは無くなる。欅は少々うんざりしていたが、三姉妹は溌剌としていた。無邪気なのは良いが、ここから先の歩道は極端に狭くなるので、先行く三姉妹が車道に飛び出さんばかりにはしゃぐと、その度に気が気でなかった。


 程なくして長徳寺前の丁字路にまで差し掛かると、欅は急に立ち止まった。


「どうしたの、欅姉ちゃん?」

「あんた達、後はアタシ抜きでも帰れる?」

「え? うん、すぐそこだから大丈夫だと思う」


 長女の牡丹が欅の様子に怪訝になりつつも、そう答えた。


「アタシに用があるって奴等が来たからさ、ちょっと相手をしてくるわ」


 欅は朗らかに笑って見せ、優しく喧嘩腰な事を言った。


 三姉妹が無事に角を曲がって行き、見えなくなったところで長徳寺の山門をくぐった。踵を返すと拙くに人間に化け、不器用に尾行をし気付かれてもなお無様に隠れ続けている狸どもに言い放った。


「富沢んところの狸でしょ。さっさと出て来いよ。下手くそに喧嘩売られるのが一番ムカつくんだよね」


 いよいよ観念したのか、三羽烏ならぬ『三羽鶏さんばにわとり』たる富沢鶏一けいいち鶏次けいじ鶏三けいぞうらが御供を引き連れ現れた。


『青タン三姉妹』が愛らしさからくる愛称であるならば、『三羽鶏』は蔑みからくる蔑称である。鶏頭、甕裡醯鶏おうりけいけい、その上チキン。三拍子揃ったトリオである。


 因みにこの三兄弟は鶴子、雁ノ丞姉弟の従兄弟に当たる。偉そうにしているのは鶴子の傍で後光を笠に着ているからに過ぎない。狸の威を借る狸なのだ。


「喧嘩をしに来たんじゃないんですよ。少しお話したいことがありましてね。風梨家まで来てもらえませんか?」

「行く訳ないでしょう。狸の巣になっている内は、風梨の敷居なんて跨ぎたくもない」

「手荒な事をしたくないのです」

「どうか折れて頂けませんか?」


 彼らには独自の決まりがある。誰に対しても敬語で喋り、三匹が揃っている限り長男、次男、三男の順で声を出すというものだ。


 そのふざけている様なやり取りと、話の内容と馬鹿が覚えたような中途半端な敬語に、欅は見る間に憤りを露わにした。


「その発言が手荒な事をするつもりってことじゃない」


 しかしながら『三羽鶏』は相手にするのもアホである、というのが仙台に住む狐狸貂猫界の常識である。 


 欅は怒りに任せて、向かっていくと見せかけて長徳寺の墓地へ逃げた。虚を突かれた狸連中は反応が遅れた。


「待ってください」

「皆さん、逃がさないでください」


 後ろの狸たちが『三羽鶏』に従っているのが不服であるというのは見ていれば分かる。彼らが怖いのはこの馬鹿共ではなく、その後ろにいる鶴子なのだ。だからこそ、鶴子の為に必死に欅を追いかけてきた。


 入り組んだ墓地を巧みに走り墓石の影に身を潜めたが、逃げる方を間違えたことに欅は気が付いた。長徳寺は本堂を中心にして左右に墓地があるのだが、よりにもよって狭い方の墓地に入ってしまった。先は塀になっていて行き止まりである。飛び越えられなくはないが、高さがあるので登るのに手間取って捕まる恐れがあった。後ろから来るのは烏合の衆であるが、如何せん数において不利過ぎる。


「ったく、このくそ暑い中、汗かかせるような事させないでよね」

「どこに行ったと思いますか? 鶏一兄さん」

「化けていらっしゃるかも知れません。皆さん、数の利を使いましょう」


 一対一とまでいかなくても、少しの相手であれば化け比べでも負けない自信が欅にはあった。取りあえず『三羽鶏』さえどうにかできれば、この場でのまとまりは付かなくなるだろう。


 息を整え不意を突こうと思ったところで、目を丸くした。


 自分の目の前を、自分が駆け抜けて逃げていったのだ。


 偽物の自分は懸念していた塀を軽々と飛び越えて、向こう側へと消えてしまった。


「いたぞ、追え」


 狸の一匹が声を上げると、全員が欅でない欅を追って長徳寺を出て行った。


 何が起こったか分からない欅であったが、落ち着いて周囲に気を配ったら仕掛けが分かった。そして、ひょっこりと現れた一連の仕掛け人に声を掛けた。


「ありがと、青鹿。助かったわ」

「色々と綻んできたね」


 見れば尾が二本に割れ、青味掛かった灰毛色をした猫が一匹、罰当たりにも墓石の上に座っていた。


 猫族は自ら化けるのではなく、他者に幻覚を見せることを得意とする。あれだけの大所帯相手に一遍に逃げる欅の幻を見せたものだから、自分の姿を変える余力がなくなったらしい。


「暢気が取り柄の狸どもが目の色変えるなんて。何かあるのかしら」

「大方の検討は付くけどねぇ」

「どういう事よ?」

「姫さんがね、結婚するらしい」


 青鹿はとんでもない事をサラッと言い切った。


「あ?」

「オイラも風に聞いた話だから事の仔細はまだ分からないけど、あの様子だとそれっぽいね」

「ちょっと理解が追い付かないんだけど、仮に姫が結婚するとして、何でアタシにちょっかいを出すのよ」

「さあてね」


 青鹿は墓石から降りて、その日陰に入った。


「姫の結婚相手は分かってるの?」

「さあ、それも分からないよ。けど」

「けど?」

「萩太郎と雁ノ丞を連れて行って、欅まで捕まえようとしたってことはだよ…」


 欅は、今名前が挙がった三匹の共通点を見つけようと頭を捻った。けれども出てきたのは一番関わり合いのない男の名前である。


「まさか、海潮?」

「今のところ君たちと姫の共通点はそれしか思い浮かばないね。オイラの所には誰も来なかったけど…」


 やたら仲間外れになる日だなぁ、と青鹿の首と二つに分かれた尻尾がうな垂れた。


「なに落ち込んでのよ。て言うか待って、姫と海潮が結婚するってこと?」

「さっきの話を聞く限り、それはないんだろう?」

「…ないわね」


 欅は自分で言っておいて、自分の言の馬鹿らしさに気が付いた。けれども、そうでないとすると尚更海潮が出てくる理屈が分からない。青鹿をちらと見ると、一つの仮説を聞かされた。


「てことは姫は別の誰かと結婚をする。それは恐らくオイラ達が気に入らない相手なんじゃないかな?」

「何でそんな事が分かるのよ」

「だから、余計な事をされないように捕まえようっていうのが自然だろう。只でさえオイラ達は狐狸貂猫の間では、はみ出し者として疎まれてるんだし。それとも、邪魔はしないと?」

「それは…すると思うけど」

「だろう?」

「だって…やっぱりあの二人にはくっ付いてほしいし。見てて面白いし」


 青鹿は何故か欅の顔が乙女っぽく見えて素直に笑った。


「やっぱり海潮さんって人には会ってみたいねぇ」

「それより、これからどうすんの?」


 腕組をして思案する欅の顔には、考えるのが苦手だと書かれていた。


 ようやく力が戻ったのか、青鹿は人間の姿を取った。


「如何せん、情報が無さすぎるよ。姫さんが結婚するのだって噂で聞いただけだし、仮に本当だとしてオイラの予想通りだったとしたら…」

「どうすんの?」

「萩太郎の助太刀に行った方がいいかなぁ? 捕まってるかも知れない」

「萩太郎に限って、それは無いんじゃない?」

「暢気な狸が目の色変えていてもかい?」


 確かに、と欅は心中で頷いた。青鹿にはそれだけで伝わったようだ。


「行こうか」

「もしさ、全部青鹿の言う通りだったとしたら、あいつどうすんのかしら?」


 歩き出しててすぐに神妙な面持ちで欅は聞いた。


「あいつって?」

「雁ノ丞」

「……確かに一番可哀想な所に立っちまったね」


 取りあえずそれぞれが元の姿に戻り、二匹は急ぐことにした。


 タクシーやバスなどの交通機関を使うよりも、まず富沢家に見つからない事を優先して、広瀬川の河流にぶつかるまで人気のない隣の獣道を通ることにした。


 狐と猫は器用に寺の裏手の塀を乗り越え、林の中へと消えた。

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