◆憶えの桜

なおみこ

【憶えの桜】

──私にはどうしても忘れられない人がいた。


だがその人物は、私の『記憶』の中にしか存在しなかった。


なぜなら実在していた痕跡が一切なく、定かではないからだ。


同じ高校、同じクラスに通い、席は私の後ろの彼女。


最後にその姿を見掛けたのは、夕方に学校が終わってバイトに向かう途中、駅近くの砂浜だった。


彼女は『何か』に手を伸ばす仕草をしたあと、次の瞬間には姿が消えて無くなっていた。


その友人の名は──『黒本愛理』


──確かだ。


「……崎さん? 神崎さん?!」


声を掛けてきたのは、隣にいた先輩だった。


「あ、い、いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」


私の名は『神崎桜子』、この喫茶店でアルバイトをしてる。


店内には様々な珈琲豆のいい香りが漂っている。


「えぇと、キャラメルマキアートと……このフィナンシェを『二つ』お願いします」


「はい、かしこまりました。お持ち致しますので、お席の方でお待ちください」


今日は平日の雨、夕時でお客さまも少なかった所為もあり、しばし乖離してしまっていた……。


私は注文の品を揃えると、窓際のテーブル席へと運んだ。


「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ……」


「……ありがとう」


そのお客さまには『クラッシック』な雰囲気があり、まるで生きたフランス人形のようだった。


この辺りは観光地でもあるため、外人さんはそう珍しいものではなかった。


寧ろ珍しかったのは『日本語がお上手』なんですね、と思ったことだ。


「神崎さん、珈琲豆の在庫確認と発注……六時までにお願いね」


「はい、わかりました」


えっと……あと三十分くらいか。まあ、大丈夫ね。


私は作業をしながら『あの』時のことを思い返していた。


そこにいたはずなのに、何故いないことになっているのか、最初から存在していなかったのか……。


記憶違い? でも私はあの光景を確実に見ているし、それに実際に愛理と会話もしている。


黒く艶やかな長い髪が綺麗で、ちょっとお調子者だったけど……そういえば、少し変わったところもあった。


ファッション雑誌を見るように『日本刀』とか『エアーガン』の雑誌をよく見ていた……女子高生なのに。


『だって制服と武器の組み合わせって、なんかちょっとカッコいいかも、じゃない?!』


ひまわりのような笑顔で楽しそうに、よく愛理が言っていた。


小学校の秋には国立博物館へ、一緒に惑星探査機『はやぶさ』の帰還カプセルを見に行ったっけな……。


『ねぇねぇ、桜子『これ』見てよ……』


『なぁに? この写真、下の方が何も写ってないけど?』


『これは『彼』が最後に見た『地球』だよ。そこで通信が途切れたんだよ』


『ほぇ、なんかすごいねぇ……』


『……ちょっと桜子、わかってんの? 七年かけて宇宙を旅して、そりゃ少し迷ったこともあったけど、ボロボロのポンコツになりながら還ってきて……。


そしてこの懐かしい『光景』を見て、そのあと秒速十六キロもの速さで大気圏に突入して燃え尽きちゃったんだよ? そして彼が護り遺したのが、この金色の『帰還カプセル』……感動よねぇ? 桜子ぉ?!』


その時の愛理の瞳がキラキラしていたのをよく覚えている……私も少なからず共感していた。


愛理もいつか、還ってくるのだろうか……。


「……崎さん、神崎さん。さっきの窓際の外人のお客さんなんだけど、『これ』忘れ物みたいなの……」


少しあわててバックヤードに来た先輩が私に差し出したのは、一つの『フィナンシェ』だった。


「……それとも、口に合わなかったんですかね?」


「それはないと思うわ、会計の時に『美味しかったです』って、お土産用のを一箱購入されて行ったから……」


「わかりました。私、追い掛けてみます。どっちに行きましたか?」


「駅の方へ向かったと思うわ。まだそんなに経ってないから……」


私は店を出ると駅の方を望み、そしてその姿を確認した。


先ほどまでの雨は止んでいるようだった。


私は先輩に合図をすると、その姿を追った。


その外人さんは道路脇の階段を下りて、砂浜へ歩いていきました。


「……あの、お客さま。こちらをお忘れではないですか?」


私は外人さんを呼び止め、フィナンシェを差し出した。


「……あ! ありがとう」


振り返ると、目視でそれを確認した外人さんが笑顔で応えた。


しかし──


「でもね、『忘れた』わけじゃないの……『置いていった』のよ」


──えっ??──


「ただ置いていっただけじゃ『口に合わなかったのかも……』って思われるから、お土産を買ったの。


そうすれば日本の方は優しいから必ず届けてくれるはず。


しかも上下関係からして……あなたの方が『ここに』来る可能性が非常に高い……でしょ?」


──読まれている!──


次の瞬間、その外人の少女は左手に持った『銃』らしきものを私に向け構えた……。


長い髪を潮風になびかせ、薄っすらと笑みを浮かべている……。


もしかして……私、破目られた……ヤバい、周りには人の気配が……ない。


「……フフッ、とんだお馬鹿さんね。いいわ、わかりやすくて……わざわざ『消され』に来るなんて、素敵ね」


私には何がなんだか訳がわからなかった、でも……


『なーんてね。ちょっとカッコいいかも、じゃない?』


その『言葉』を聴いた瞬間、私の瞳から止めることなく涙が溢れた。


そして私はその少女に駆け寄り、抱きしめていた。


「愛理……愛理……愛理……」


「正解。桜子」


髪の色も、目の色も、声も違う……薔薇の髪飾りをした、黒のゴシックワンピースの少女。


──だけど、私の知っている『愛理』だ。


それから私たちは時間を忘れて話に夢中になってしまっていた。


「あ! いけない、バイトに戻らないと……」


「大丈夫よ、ここは『現実世界』じゃないから」


「えっ?! どういうこと?!」


「ここは『あなたの頭の中』の仮想空間よ。頭の中の処理は現実より、300倍くらい早いの。だから実際にはまだ数十秒しか経過していないはずよ」


「……ほぇ、なんかすごいね、愛理」


「だから周りには誰もいないでしょ? ……ちょっと桜子、ちゃんと理解してる?」


「う、うん……大丈夫だよ。最大限に理解する努力はしてるから……」


「……ねぇ、桜子。『はやぶさ』……覚えてる?」


「うん、もちろんだよ。博物館の展示で、愛理が私に教えてくれたんだもん」


「私ね、『ここ』で燃え尽きちゃったの。だから、もうこの世界に『黒本愛理』は存在しないの……


桜子にとって、今の私は『過去』の人、だから……


だからね、忘れ物を取りに来た。あなたの中の『私の記憶』を……」


「……それって、どういうこと?」


「ごめんね、桜子。間もなく『愛理の記憶を持った桜子』が消えて、この世界、本来の桜子が誕生する……」


「それって……今までの事、全部忘れちゃうってこと? そんなの……そんなの嫌だよっ!!」


そのとき、愛理が私を抱きしめて、耳元で囁いた……


──『バイバイ……大好き、桜子』──


『あの』瞬間を目撃してしまい、ノイズ的に残っていたこの記憶……そのままではいつか私が壊れてしまう。


だから、正常化する必要があったのだ。


愛理は私を護り遺した……これからの桜子の未来へ。


──そしてこの世界から、

黒本愛理は完全に消滅した──


「……あの、お客さま。こちらをお忘れではないですか?」


私は外人さんを呼び止め、フィナンシェを差し出した。


「あら、どうもありがとう」


目視でそれを確認した外人さんが笑顔で応えた。


「日本の方は優しいんですね。お礼といっては何だけど、この『桜の香水』、受け取ってくださる?」


「え?! そ、そんな……いいんですか??」


「ええ、ぜひあなたに受け取ってほしいの」


「ありがとうございます……あ! 私、桜子っていうんです」


「まあ、あなたの名にぴったりの香水ね。私は……アイリスよ」


……気のせいだろうか。一瞬、彼女の表情が曇った気がした。


「ありがとうございました、アイリスさん。私はこれで……」


私は一礼し、その場を後にした。


「さようなら……桜子さん」


なんか、お人形さんみたいに可愛い人だったなぁ……それに、いい香りもしてた。


「ぅあ! フィナンシェ渡すの忘れた……」


私が振り返ると、もうそこに彼女の姿はなかった……。


だが、私の左手には綺麗な薄ピンク色の香水の小瓶がしっかりと握られている。


何故かはわからないけど……それはとても『懐かしい』ものに感じていた。


私にはどうしても忘れられない人がいた。その友人の名は──


【憶えの桜】

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