父さん、Vtuberで食っていこうと思うんだ

狼狽 騒

第1話 父さん、会社を辞めて来たんだ

    ◆



 七月の某日。

 大学生にとっては長い夏休みに入るこの時期。一年生の時はわくわくしたものだが、二年生ともなると友人関係も構築されてきたこともあり、更にわくわくするものになる人、そうでもない人に別れることとなる。

 僕? 言わなくても分かるだろ?


 ……バイト変えようかな。


 実家暮らしだからお金に余裕はあるので時給面で選ぶ必要は無いし、今のバイト先はおばちゃんばっかりで出会いがあったらそれはそれで問題になる。

もしくは今の時代はネットで出会いもあるかもしれない。

 実は最近、興味が湧いていることがある。

 僕は最近、配信者というものに興味がわいている。

 昨今、配信自体のハードルが低いことと、大学生という比較的時間がある中でお金になりそうな、そして楽しそうな活動だからという理由で興味が湧いている。ただ、顔出しは自分に自信が無いのでなしで。じゃあ声だけというとそういうことじゃなく、今は『とある形』が流行っているので、それをやってみようと考えている。まだ下調べの段階で機材などは揃えていないが、ゆくゆくはやるつもりだ。

 そしてその中でもしかして、可愛くて話の分かるオタクの女の子と仲良く――

 と、そんな風に妄想の先端に足を踏み入れた所でちょうど帰宅した。


「ただいま」

「おかえり」

「……ん?」


 僕は違和感を覚えた。

 今日は平日。しかも今は昼過ぎだ。


 なのにどうして今、親父の返事が聞こえたんだ?


 親父は普通のサラリーマンだ。口数は少なく真面目で、会社をサボるようなことはしないだろう。家族でどこかに出掛ける時くらいしか休みを取っている記憶が無い。

 でもまあ僕も大きくなったから一緒に旅行とか行きずらいだろうし、有給休暇が余って消化しなきゃいけない、とかいうのだったら、家でのんべんだらりと過ごすのもありだろう。

 リビングに入ると、ソファに座っている父親の背中が見えた。


「ああ、父さんこそお帰り」

「ん」

「母さん、お腹空いた。なんか余ってる?」

「はいはい。昼の残りちょっとあるわよ」

「チャーハンだ。やった。ありがとう」


「……驚かないんだな。父さんがいることに」


 母さんから受け取ったチャーハンをレンジに入れようとした所で、父さんが振り向いた。


「ああ。有給とか取ったんじゃないかって思ってたけど、違うの?」

「……そうか」


 父さんはソファから立ち上がるとテーブルの方へと移動する。母さんも自然と隣に座った。


「あのな、タカシ。大切な話があるんだ」


 タカシ――そう僕の名を呼ぶ父さんの表情は、いつもと変わらない真面目な顔だった。しかし、どことなくその言葉も含めて重みを感じたので、嫌な予感とチャーハンを持ちながらテーブルに向かった。


「なに? 大切な話って」

「実はな、父さん」


 一息溜めて、父さんは意を決した様に言葉を吐き出した。


「会社を辞めたんだ」


「え……?」


 ――空気が止まった。

 茶の間に重苦しい空気が一気に流れだし、時計の針の音が妙に大きくなった気がした。

 父さんも母さんも何も語らず、ただ、チッチッチッと音が耳に残るのみ。

 そんな雰囲気に苦しくなり、思わず質問を投げた。


「えっと、つまりそれは、クビ、ってこと?」

「んー、正式に言うと少し違うな。お父さんは早期退職って形を取ったんだ。昨今の不況で会社も人員整理が必要ってことでな」

「つまり自分から辞めたってことか……で、いつ辞めたの?」

「今日だな。辞めるって話は二か月ほど前から母さんには伝えておいたけどな」

「なんで僕には教えてくれなかったの?」

「まあ、お前には心配を掛けたり、余計なことを考えさせたくなかったらな。すまん」

「そんなのは分かってる……けど……」


 だけど、僕にも共有してほしかった――なんていうのはワガママだ。

父さんは僕のことを考えて、それで伝えなかった。だけど実際にそうなったら伝えざるを得ないから、今日、この場で伝えた。……父親の、いや、男のプライドとして口に出来なかったことだってあるだろう。そんなことを僕は突っ込まない。突っ込む必要が無い。

 そう割り切ったからだろうか。不思議と先の事実をすんなりと受け入れられている自分がいた。


「……いや、分かったよ。じゃあ僕、大学を退学して就職先を探すね」

「待て。そんなことをしなくていい」

「え? だって大学はお金かかるし、こんな状況でお金で負担を掛ける訳にはいかないよ。大学だけは出ておけとかそういうのはいらないから。人間、なんとかなるよ」

「いやいや、そういうことじゃなくてだな。金銭面は問題ないんだよ」

「父さん、ここまで来たら気遣いなんていらないって」

「違う違う。早期退職ってな、普通よりも退職金貰えるんだよ。父さんの年とこれからの出世の状況を考えたら、普通に勤めていた場合よりも多くお金を貰えるんだぞ」

「え? そうなんだ」

「うむ。じゃないとリストラ宣告されていないのに辞めはしないぞ」


 それにな、と、にこりともせずに父さんは淡々と言葉を紡ぐ。 


「父さん、もう再就職先も決まっているぞ」

「え? 再就職先? 金銭面は問題ないんじゃないの? だったら父さんがゆっくりする方に使えば……」

「問題は無い。だが、やることが無くなってしまったら一気に老け込んでしまうからな。そうはならないように、また別の仕事を続けようとは思っている」

「あー、やりがいがないと、ってやつね」

「そうだな。父さんは運が良くてな。いや、縁があったと言った方が正しいか。昔に指導していた後輩が起業していて、どこから情報を知ったのかは知らないが、今の会社を辞めるって情報を聞いたらしく、自分の会社に来ないかと声を掛けてもらったんだ」

「すごいじゃん。それはよかったね」


「ああ。ということでな。父さん、女の子になることになった」


「そうなんだ。父さんは確か人事だったよね? じゃあ次の仕事はそれを生かして女の子にな…………………………は?」



 



 さらりと流された言葉だったし、話の流れからおかしいから聞き間違いだと思う。流石に一連の流れから動揺して耳がおかしくなったみたいだね。ストレスって怖い。溜めないようにしないと。


「で、父さん、何になるんだっけ?」


「父さん、美少女になるんだ」


「聞き間違いじゃなかった! しかも何で『美』って付けたの?」


 父さんが化粧して夜の街に繰り出している所を想像したが決して美少女なんかじゃない。どうして無表情でそんなに自信満々なのかが分からない。


「母さん! 父さんがおかしくなったよ!」

「お父さんは何もおかしくなってないわよ」

「どう考えてもおかしいでしょう! 美少女になるとか言い始めたんだよ!?」


「母さん、学生の頃からね、お父さんとお付き合いしていたのよ」

「……急に何を話し始めたの?」

「でもね、お父さんには言ってなかったけど、母さん、実はもう一人、好きな子がいたのよ」

「急に何を話し始めたの!?」


「その好きな子はね、女の子だったのよ」


「!?」


「つまり母さんは女の子好きなのよ」

「このややこしい時に唐突にカミングアウトしないで!」

「百合なのよ」

「言い替えないても何も変わらないから!」


「つまりお父さんが女の子になれば母さんにとって勝利しかないのよ。母さん大勝利」


「成程……ってそんな訳ないでしょ!」


 僕の絶叫がリビングに木霊する。

 そしてわずかな静寂の後、父さんが短く息を吐く。


「母さんや……」

「ほら! 父さんも母さんの唐突な暴露に困惑しているじゃないか。ため息なんかついちゃってさ」

「百合ってなんだ?」

「用語が分かんなかっただけかい!」


 ここで百合について説明をしても仕方ない。むしろこの状況を説明してほしい。

 父親が会社を辞めて美少女になる。

 母親が女の子好きだからそれは問題ない。むしろ勝ち申してる。

 ……普通の家庭だと思っていた僕が馬鹿でした。


「……はあ」


 母さんが父さんに百合とは何ぞやということを熱弁しているのを見ながら溜め息をつくと、父さんが眉をピクリと動かす。


「どうした? この世の終わりみたいな顔をしているが」

「この世は終わらないけど、この家族は終わりだよ。父さん、夜の街でナンバーワンになってね……母さん、お化粧のコツでも教えてあげてね……応援しているよ……」

「ん……? まあ落ち着け。今、お前は勘違いをしていると思う」

「勘違い?」

「ああ。まさかお前は、私が女装するとでも思ったのか?」

「いや……まあ、その……」


「私がバニーガール姿で網タイツ履いて音楽に合わせて踊っている所を想像したのか?」

「そこまではしてねえよ!」


「いいわね。そそるわ」

「母さん!?」


 ウチの母さんが父さんの退職を機におかしくなりました。

 嘆きの感情を吐き出しかけたと同時に、父さんが咳払いを軽く行う。


「とにかく、だ。父さん自体がそういう格好するわけではない。それは分かってくれるな」

「分かったけど……分かってないよ。どういうことなのさ、結局?」

「うむ。お前が知っているか分からないが、父さんな」


 親父は真っ直ぐな目で僕にこう言った。



Vtuber



「………………………………は?」


 今ほど間抜けな声を上げてしまったことはないだろう。

 よりにもよって、Vtuberだと?


「ん? なんだVtuberって何だか知っているのか? バーチャルYoutuberの略なんだが」

「あ、ああ……知っているよ……」


「そうか。なら話が早い。父さんな、これからVtuberで食っていこうと思うんだ」

「ええ……」


 色々と線は繋がった。

 だが、受け入れるには来た情報が色々とピンポイント過ぎた。

 何故なら……


「知っているも何も、あなた、そのVtuberっていうのになりたかったんでしょう?」

「何で知っているのさ母さん!?」

「あらあらうふふ」

「まさか……僕のパソコンを勝手に……!?」

「あなたの部屋に掃除って言っても入らせてくれないのに、そんな確認なんてできる訳ないでしょうよ」


 よかった。新しいフォルダ17は見られていないようだ。


「女の勘でカマ掛けたのよ、カマ。まあ、お父さんはカマじゃなくて百合になるけどね」

「やかましいわ!」

「うむ。成程。ならば話が早い」


 父さんが身を乗り出してくる。


「なあ、タカシ。父さんにVtuberとして何をすればいいか、教えてくれないか?」

「え? ……僕が?」

「私はそういう若者文化に正直疎い。恐らく会社から言われると思うが、それよりも前にきちんと知識は付けておきたいと思う。お前のことだ。なりたかった、ということであれば下調べをきちんとしているはずだ。だから教えてくれると嬉しいんだが……」


 ……会話をしてなくても、親って見ているもんなんだな。ちょっと目頭が熱く


「そうそう。ゆうちゃんはパソコンの先生だから教えてあげて」

「ゆうちゃんじゃねえよ! というか母さん何でそんなネットスラング的なこと知っているのさ!?」


 なんで今日は母さんに恐怖を覚えなくちゃいけないんだ。


「まあ話が逸れたようだが、もしお前が色々知識を持っているなら、是非とも教えてほしい。正直、少し調べただけで聞きなれない単語ばかりで辟易していたんだ。頼む」


 親父はそう言って頭を下げる。

 ……こういう所、実直だよな。


「分かったよ。僕が知っている範囲でVtuberに必要な何かってのを教えるよ」


 僕は短く息を吐いて、父さんに質問を投げる。


「まず父さん、Vtuberって何のことか分かる?」

「うーむ……バーチャルYoutuberの略だよな。動画投稿サイトのYoutubeを活動拠点にするYoutuberの、生身ではなく、アニメとか漫画とか、そんな感じで二次元のキャラクターに声を当てて活動する、いわば仮想のVtuber。……それ以外に何があるんだ?」

「大体は合っているね」


 父さんはよく調べている。恐らくだが興味などなかった分野だったはずなのに、下調べをきちんとしている。

 だけど、それは表面上の話だけだ。


「ちょっとだけ違う所もあるよ。まず父さんは活動拠点を『Youtube』といったけど、実際、VtuberはYoutube以外での媒体でも名乗っていることがあるよ」

「む? そうなのか?」

「Youtubeは配信プラットフォームの一つであって、今は様々なものがあるからね。それでもVtuber名乗っている人はいるし、外部から『そうじゃねえだろう』って言われているのも確かだ。父さんが言った通り、バーチャルYoutuberの略だしね。だからこそ区別する為に、Youtube以外で活動する人は『Vライバー』って名乗っていたりもするね」

「うむ……要するに一般名詞になってしまた単語なんだな。音楽プレイヤーのことを『ウォークマン』というみたいに」

「そういうこと。さっきちょっとだけ違う、とは言ったけど、『Vtuberとして活動して』と企業から言われたのであれば、配信サイトはYoutubeで行う、というのは間違いはないとは思うよ」


 どこの企業から声が掛かったかは知らないが、流石に、再就職、と父さんが言うくらいだからまともな会社だろうからそこを間違えるはずがないし、父さんがVtuberという単語をもともと知っていたとは思えないから、プラットフォームについてはそれで合っているとは思う。


「あと、父さんはVtuberになれって企業の人から言われたんだよね? 何をするかってのはどんな風に聞いていた?」

「そこの話はまだ具体的には聞いていないな」

「そうなんだ。まあでも現在の企業勢の傾向から見るに『配信』をしていくんだと思うけどね」

「ん? 配信?」


 あ、そっか。ここから説明しないといけないか。


「えっと、父さんになじみの深い言葉だと『生放送』って言った方がいいかな。リアルタイムに色々とやるってこと。例えば雑談とか、ゲームとかね」

「成程。イメージが付いた」

「で、その生配信とは別にあるのが『動画』。さっきと同じようになじみのある言葉で表すと……これは収録したTV番組かな」

「おお、そういうことか」


 父さんは顔を明るくして手を打った。


「だとしたら、会社側から聞いた感じは確かに『配信』がメインになるようなことを言っていた記憶があるな」

「ならばとりあえず動画編集とか、そこら辺のソフトとかスキルはいらないってことか」

「うむ、ただゆくゆくは必要になる気はするから、そちらも勉強はしていこうとは思う」


 真面目だなあ。


「まあでも直近はいらないでしょ。で、逆に準備が必要なのはいくつかあるよ」


 1つ、と指を立てる。


「まずはパソコン。父さんはパソコン持ってる?」

「持っているぞ。というか実は再就職先の会社からもらっている」


 父さんは立ち上がり、リビングから続く自分の部屋の扉を開ける。

 そこにあったのは、テーブルの上に置かれている二つのディスプレイ、そして足元にある厳つい箱――紛れもないデスクトップパソコンだった。


「げーみんぐパソコン、とやらだそうだ。詳しいスペックはよく分からないが、一通りはこれで大丈夫、とのことだ」

「あー、これなら大丈夫そうだね」


 流石企業。十分すぎる環境を提供している。というかオーバースペックなのでは? 見た目だけで判断しているけど。スケルトンってかっこいいなあ。


「因みに、箱から取り出して配線やら何やら準備してくれたのは全部母さんだ」

「割と万能だね、母さん」

「母さんは何でも知っているわよ。……いたた」

「って、パソコンセットアップするのに指にばんそうこうを貼る事態になるのさ?」

「いたた……チラっ」

「これ見よがしにアピールしない!」


 というかついさっきまで貼っていなかったじゃないか。いつの間に用意したのやら。

 そんな母さんをさておいて、


「じゃあ、もうすぐにでも使える状態にあるってことね」

「うむ。一応組み立てて電源を入れるだけでよい状態で送ってくれた、とのことだそうだ」

「あー、なら後で中身見てみるね。配信ソフトの設定とかだろうから……とりあえずこのパソコンを立ち上げて」

「うむ」


 父さんがパソコンを起動し、デスクトップ画面が表示される。基礎的な操作は出来ていそうだ。

 それを確認した後、僕は「ちょっと貸して」と父さんと席を変わると、そのPC上でブラウザを立ち上げ、Youtubeでとある名前を検索する。


 有栖ありすばにら。


「Vtuber今、この子――有栖ばにら、って子が一番有名だね。『ログライブ』っていうグループに所属しているんだ」

「あ、この子、テレビのCMで見たわ」


 母さんが言う通り、昨今、Vtuberはテレビメディアにも進出してきているのだ。特にこの有栖ばにらはCDの発売をは下手なアイドルより売れている。そんな存在に、Vtuberは成ってきている。

 そんな彼女は、今ちょうど配信を始めたところだったようだ。


『こんばにー。有栖ばにらばにー。みんな待っててくれたかなー?』


 軽快な挨拶と共に、画面の中のアニメ風の女性がにっこりと笑う。

 途端にコメントが雪崩のように一気に増えていく。一つ一つのコメントなんて見ている暇はないだろう。視聴者数を表している数字は5万をゆうに超えている……いや、ただの雑談だぞ? なのにすごいな……


「お、この子は知っているぞ」

「ああ、流石に父さんも知っていたか。多分母さんと同じでテレビで見たんだろうけど」



「だってこの子、だからな」



 ……は?



 こともなげにそう言った父さんの顔をまじまじと見て、数秒思考する。


「えっと……ちょっと待って。あ、そうか。Vtuberの先輩、ってことだよね。先にデビューしているから。みんな父さんにとっては先輩にあたって」


「いや、父さんの新しい会社が、この子が所属している企業だからだぞ」


「はああああああああああああ!?」

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