第23話 元彼



由貴ゆきちゃん? 美嘉みかなら……」


英一は右手で私を指さす。


「えっ……」


私は振り向けなかった。

魔が差したように身体が漆黒の金縛りにあって動けない。


その呪縛を解くように美嘉みかは私を背後から抱きしめて来た。


「きゃっ!」


予期せぬ展開に全身が震えた。

 

「じゃーん! お待たせ!」


美嘉みかはさっきとは別人のように明るく振る舞う。

その奇妙な乖離かいりに心理的な粟立あわだちを覚える。


「ど、どこ行ってたのよ……」


「その辺だよ。その辺。由貴ゆきちゃん、ずっと動かずに照らしているんだもん」


「そ、そうだっけ?」


無意識だったのか。

美嘉みかの存在に全く気づかなかった。


でも、その辺って、一体何をしていたのだろうか。

美嘉みかわらう顔を見て気づいた。


美嘉みかのヘッドライトが、消えている……


そう言えばさっき、英一さんを照らすように美嘉みかから言われてから消したことを思い出した。


何も消さなくてもよかったのでは……



美嘉みかの右手に握られているのは金属製のジッポライター。


メタリックな金色が闇の中でも輝きを放とうと、その場に居合わせている双眸そうぼうを釘付けにしていく。


「な、なんで俺のジッポを君が持っているんだ?」


美嘉みかはそれには答えず、両手につけていた白い綿手袋を両方とも取って服のポケットにねじ込む。

そして、リュックのサイドポケットから赤のマルボロを取り出し、左手の定位置に一本絡ませた。

その近く――左手の甲に根を張る一円玉程の大きさの肉芽にくげ色の瘢痕はんこん

血色の良いいちごのような舌先でその感触を確かめ、過去の味をこれ見よがしに堪能する。


心の苦味を呼び覚ました味蕾みらいなぐさめようと一本咥くわえてから肺へと流し込み、闇色で変わらない空の紫煙しえんを吐いた。


「そのタバコも……俺が吸っていたやつだ」


英一は美嘉みかが何をしたいのかさっぱり分からなかった。

俺と偶然会ったことで、昔の煙草の真似をして悪戯いたずらに再現しているのだろうか?


「カッコいいんだよね。マルボロをジッポで点ける瞬間って……うっとりしちゃう」


美嘉みかは一人恍惚こうこつに染まる。


英一の鈍い頭で推し量る点と点とは結びつかないまま、憶測で引いた線はねじれの位置で空を切る。


蓄積された疲労に押し流されるように、拙いイメージは波打ち際に叩きつけられて粉々に砕け散っていく。


美嘉はそんな英一の思考に耽る瑣末な顔を、皺の一つまで読み取るように把握し、黒い表情でほくそ笑んだ。

 

しかし、由貴にはそれがある憂いの前触れとして予感させた。

美嘉は普段、煙草を吸わない。


ジッポライターを持っているところなんて見たこともない。

今日は特別で何が起きるかわからないから、用心して持っていくって言っていたけど。


それにしても……

なんだろう、この周到な計画性を思わせる胸のざわめきは……

 

口の中が急速に乾いていく。

まるで身体中の組織が本当に必要な部位に水分を集めようと、にじみ出た最後の一滴の唾液さえ搾取さくしゅしていく。


おりのようにわだかまる狂気に打ち震える舌根に歯の根が合わず、喉元を通り過ぎることさえ、敵わない。


美嘉の左手の甲には、今もえずに残っているケロイドがある。


それは一生涯、彼女の胸に消えずに生き続けるトラウマの花だ。


その香りは骨まで溶かす程の高熱にあぶらられた、硫黄を焦がす穢臭あいしゅうに似て……


聞こえてくる表皮の悲鳴は怨嗟えんさはらみ、目の前の人間を憎しみで殺すには容易い次元の呪力じゅりょくが宿っている。


「ね、ねぇ。この人って美嘉みかの元カレ?」


恐る恐る聞いてみたが、美嘉みかは薄くわらうだけで反応を示さない。


しばらくしてしびれを切らした英一が代わりに重い口を開く。


「あ、あぁ。そうだ。美嘉みかは俺の元カノ。三年前まで付き合っていた」


語尾が身体を離れると、英一は一歩美嘉みかに近づく。


英一さんは、倉田くんの前の彼……?


由貴ゆきさん。紹介が遅れてすまない。俺は桧山英一ひやまえいいち。エンジニアで生計を立てている傍ら、YouTube配信系に携わっているネット界のオタクです」


「エンジニアで、配信系……」


控えめに言っているように聞こえるが、由貴ゆきには妙な凄みを感じ取っていた。

配信系というフレーズが耳から離れない。

YouTuberということなら、なぜこの場所にいてドローンで撮影しているのか……


由貴ゆきは知らないんだ。英一が心霊スポット開拓系の有名なYouTuberってこと」


「! まさか、あの方? ソレさんとかいう……」


英一は黙ってうなづく。

敢えて自分からはその名前を名乗らなかった。


カメラが回っている間は売名行為になる恐れを抱いていた。

みんな無事に帰れたらその時明かせばいい。

そんな気持ちで接していた。



そう、無事に帰れたら……



「英一? なんで私がここにいるか知ってる?」


間違っても「俺に会いに来たんだろ?」と軽々しく言える関係ではなくなっていた。

喉元が鳴る。

 

「いや、知らない」


「そっか……じゃあ、これはなんのあとだかわかる?」


美嘉みかは左手の褐色を帯びたケロイドを右手で示す。

 

「あぁ、知っているよ。悪かったな」


悪かった……? どういうこと?

由貴は半ば混乱する。

美嘉みかの左手の傷をつけたのが、英一さんってことだと言うの?


「悪かったな……で済むわけないよね。死ぬほど熱かった……医者からも治らないって言われた……だから許せない……」


怨念おんねんを帯びる言葉。


美嘉みかちゃん。どういうこと?」


由貴ゆきちゃん。下がって」


美嘉みかは左手で制すると彼女しか知らないゾーンの外側へと退いていく。


英一はある悪い予感を察知した。

しかし、それは遅きに失した。


「お、おい! やめろ!」


「私に与えた地獄の苦しみを、味わってよ。英一」


美嘉みかはライターの火をつけると見えないゾーンのライン目掛けて投げ入れた。



刹那――



舐めるように忍び寄る蒼い鬼焔きえん

右と左、双方から円周を取り囲んで結ぶ炎円えんえん

英一と巨樹を取り囲む。

 

高い揮発性が可能にする炎の城壁。

やがてそれは光焔万丈こうえんばんじょうの境地へと立ち昇る。


やはり、あの臭いは……

由貴ゆきはワゴンに載っていた二つの赤いポリタンクが無くなっていることに気づいた。

あの中に入っていたのは、携帯シャワー用の水ではなくて……


炎に囲まれた英一は残された体力で自力での脱出は皆無だった。

もう、走れるだけの力は残っていない。


由貴ゆきが叫ぼうとしたその時。

誰かの叫び声が聞こえた。


「英一さん‼︎」


思わず声の方を向く。

 

そこには神秘的な白い羽衣はごろもが肩を揺らしていた。


 

見たこともない美しい女性だった。



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