第10話 アパートへのいざない



その日の夜、こずえひいらぎのアパートへ誘われた。


特に予定もないし、断る理由もない。


仕事を終えてそのまま喫茶店へ。

そこで夕食を軽く済ませると、コンビニに寄ってから二人はアパートへと向かった。


ひいらぎの住まいは二棟からなる小規模のアパート【コーポ樹恵じゅけい】。


楠珠鈴くすのきみれいと夫の榊鈴央さかきれおとが住む樹恵村じゅけいむらの中心に位置する。


最上階五階の角部屋。

そこが、彼女の棲家すみかだ。


ひいらぎの手元には五百ミリリットルの缶チューハイが二本。

アルコール度数は其々それぞれ九パーセントと高めだ。

 

明日は土曜日で仕事は休み。


開放感に踊る喜びが胸中を占めつつある。

どこか抑え難い衝動。

理性は大人しめになだめていく。



アパートの敷地まで約十メートルの位置。

そこで目的地の建物を指差したこずえは口火を切る。


「相変わらず黒っていうか緑色だよね。このアパート」


夜の暗がりが黒も緑も判別がつきにくい曖昧あいまいさを浮立たせている。


その周りでは、漆黒に染まる木々の枝葉によって、夜空の妖艶ようえんな紫が切り取られて見える。


「あはは、本来はクリーム色なんだけどね。しょうがないよ。管理人が業者につたの処理の依頼をしないから、こんなにつたや葉っぱに覆われちゃっているんだよね」


築年数は三十年を超え、これまで外壁塗装など必要なメンテナンスが講じられて小綺麗な外観を保っていた。


しかし、数年前から地中から壁面に対して蔦性つるせいの植物の侵食を受け、度重なる剪定せんていを余儀なくされてきたが、今ではそれもままならず、放置の沙汰が伺える。


まとわりつく緑の肢体したいに覆われた成れの果てがそこにはあった。

 

「何か理由でもあるの?」


「維持費とか修繕費なんかをかけたくないって管理人は言うんだけどね。でもまあ結果的に家賃をだいぶ抑えてくれているからありがたいんだけどさ」


確かにここの家賃は相場の十分の一だ。

以前、何かの話のついででひいらぎから聞いたことがある。


「引っ越そうとは思わないの?」

「彼氏とかいないし、今は別にそのままでいいかな」


「私がいるじゃない」


「あはは、こうちゃんは親友だよ。こんな私に付き合ってくれてありがとね」


――親友、か……


すこし引っかかる思いが心底にもわりとわだかまる。



初めてここを訪れたのは三年前。

こずえひいらぎと職場で仲良くなってから今回みたいに誘われたのがきっかけだった。

 

最初はたわいも無い話ばかりで、職場や上司の愚痴ぐちをはじめ、話題は元カレや好きな趣味など枚挙にいとまがない。

 

お互い未婚で、付き合っている異性もいないから、日頃から気楽に話し合える間柄あいだがらだ。

 


三年前の当時は一階部分の角だけに蔓性つるせいの植物が寂しげに絡みついていて、かまって欲しそうに見えてどこか愛らしかったのが懐かしい。


それから月日が経つにつれ、ここを訪れる度にその茂みは執念深さを増しているように見て取れる。

まるで何者かに精力を供給されている印象さえ、脳裏に植え付けられるようだ。


今では、ひいらぎの最上階五階の角部屋以外、外壁はほぼ緑色で埋め尽くされている。


それは異様な光景として映るだろう。


飽き足りない成長の果てに応えるように、伸ばすつたの先端が風になびいてこちらに黒い手を振って招いているように見える。


闇中あんちゅうに映えるナイフのような赤い三日月。

それは不気味にわらう口元を連想させる。


こずえは夜の景色の悪戯いたずらに嫌悪感を覚えると、心のり所を求めるようにひいらぎの横顔に視線をいこわせた。


整った目尻から頬へと流線が手元のスマートフォンの明かりでぼやけ、色素の薄い右眼はどこか憂いを帯びている。


その仄暗い眼差しに、こずえはぞわりとした感覚に襲われた。


恐怖やおそれといったたぐいではない。


蠱惑こわく恍惚こうこつに浮き立つ心境に近いのか。


一体どうしてここまでかれるのだろう。



こずえは昼夜問わずひいらぎのアパートを訪れたことがある。


昼間のアパートの外観は目をすがめたい印象に駆られたが、ふたりで過ごすかけがえのない時間を思いの熱で共有する度、その思考は薄れていった。


慣れというのは恐ろしいものだ。


何も夜だけを選んでここへ来ているわけではない。

日中の目のやり場にも慣れてしまえば、どうということはない。


環境の生き物という便利な言葉を使えば、少しは分かち合える余地を見出せるのだろうか。


でも、がある。

ひぃちゃんも分かっているよね、きっと。


こずえは敷地内に入るとひいらぎの背後に声をかける。


「日中だとつたとか外から丸見えだから夜に誘っているの?」


ひいらぎはふいに立ち止まる。

振り向かないまま背中で応える。


「うん。昼間は避けてる。それに……」


「それに?」


少し間をおいてひいらぎが振り向きざまに妖艶な口角で告げる。


「夜だと、雰囲気出るから……」






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る